長塚古墳を堪能した後は、同じく「前波の三ツ塚」を構成する西寺山古墳と野中古墳へ。
長塚古墳の南側広場から見えていた西寺山古墳。

賑わうスーパーの後ろ、弘福寺の敷地内にあります。

道路と駐車場沿いから始まる墳丘。

西側から。

そこに説明板が立っています。

市指定史跡 西寺山古墳 可史第12号 昭和31年6月2日指定
前波の三ツ塚
当所、中恵土地内の前波地区には、古くから「前波の三ツ塚」と呼ばれる大きな古墳が知られます。これら三つの古墳は、古墳時代の前期に位置づけられ、概ね4世紀の中頃~末頃にかけて相次いで築かれています。埋葬施設や外表施設、出土品などの状況から、西寺山古墳(前方後方墳)→野中古墳(前方後円墳)→長塚古墳前方後円墳)の順で築かれたものと考えられます。西寺山古墳の概要
西寺山古墳は、墳丘の半分程度が削平されていまが、平成10年と16年に実施した発掘調査の結果から、元は全長60mの前方後方墳と確認されました。 前方部の長さは26m、後方部の長さは34mを測ります。墳丘は二段に築かれ、裏込めも含めて川原石による葺石で厚く覆われています。
墳頂部付近には数多くの埴輪が立て並べられていたようで、発掘調査では転がり落ちて壊れた多量の埴輪片が、墳端付近から出土しています。これらの埴輪は、円筒形ではなく底に穴のある壺の形をしたものばかりです。その形状から(二重口縁)壺形埴輪と呼びますが、外面が赤く塗られた大型品です。
墳頂にある埋葬施設の状況は分かりませんが、昭和初期に鏡が出土したと伝わります。西寺山古墳の意味
隣接する伏見地区の前方後方墳三基も含め、この古墳は4世紀の可児地域の首長墓と考えられます。古墳時代前期の東日本では、各地で前方後円墳に先立ってよく前方後方墳が築かれています。濃尾平野でもこの傾向は顕著で、当可児地域の他、西濃方面や犬山方面で見受けられます。西寺山古墳の壺形埴輪や葺石の状況は、犬山方面との深いつながりを示します。平成18年10月建替 可児市教育委員会
実測図部分。三ツ塚の中で最初に築かれた当墳は、前方後方墳で元の全長は60m。大きいですね。が今は、前方部はほぼ無くなり、後方部の一部が残っている状況。

看板の脇から上がらせていただきました。

墳頂には祠。

祠に参拝。

役行者とおぼしき像も。

後方部からくびれ部方向。なかなかの高さが残っています。

後方部裾。

この後、県道を渡って野中古墳へ。

住宅街に残る墳丘はのっぺりしています。

前方部左裾側から。くびれ部が残っているので、前方後円形を感じられました。

満開のツバキ。もとは道路のこちら側まで墳丘が続いていたようです。

2024年12月上旬訪問