本当は四角い(?)丸山古墳から駐車場まで戻った後、案内地図にある二子塚古墳の方へ行ってみました。

直線距離では数十mしか離れていない墳丘です。
歩き始めた左手に、佐志能(さしのう)神社。

拝殿前の広さが荘厳な雰囲気。

神社と丸山古墳の説明板がありました。

史蹟 丸山古墳と佐志能神社
高友の丸山丘陵の中央の丸山古墳と佐志能神社は、大和朝廷の東国征伐に大きな業績を残された第十代崇神天皇第一皇子豊城入彦命の奥津城であり、命を奉斎した杜として、古くから崇敬され顕彰保存されてきた。
昭和27年、丸山古墳の性格を学術的に究明する必要から、明治大学の後藤守一教授指導の下、高友部落民の十日間の協力奉仕による発掘調査の結果、前方後方墳
(長55m・高7.0m)で、後方部中央からはご遺体を納めた粘土棺が発見され、内行花文鏡をはじめ、同鏃、勾玉、管玉、小玉、鉄刀、鉄剣等多数の遺品が副葬されていた。
古墳の築造は、4世紀末から5世紀初頭の頃と推定され、東国地方における貴重な古墳であることが明らかにされた(昭和27年12月18日県指定) 佐自塚古墳、二子塚古墳等のゆかりの古墳約30基を丸山古墳群と称す。
副葬品は八郷地域内の出品と共に柿岡考古博物館に保管、一般に展示公開されている。
昭和55年 丸山古墳保存会 県文化財保護協会
道路に戻ってさらに東へ行くと二子塚古墳への分かれ道。

こんな感じの林道を少し進むと

草に埋もれそうな説明板が。

説明板で、二子塚古墳(丸山4号墳)は墳長35mの前方後円墳と知りました。

二子塚古墳(丸山4号墳)
古墳は恋瀬川左岸の高友地区の後背に連なる50~60mほどの丘陵部に所在し、丸山古墳(丸山1号墳) の東方30mに位置する。古墳としては横穴式石室を有する中規模の前方後円墳であり、主軸を西北方を示し、丸山古墳及び筑波山に相対して築かれている。昭和29年度において、明治大学考古学研究室及び高友区民の奉仕活動を得て埴輪円筒列の調査と、明治時代に乱掘の被害を受けている横穴式石室の修復作業が行われた。墳丘からはきめ細かな粘土を用いて焼かれた円筒埴輪や形象埴輪(人物・馬)など出土している。
県内の横穴式石室を有する前方後円墳としては、比較的早い時期に築造されたものと考えられている。
所在地:八郷町大字柿岡字丸山4118番地の2
古墳の規模:全長35m、後円部径20.5m・高さ3m、前方部端幅18m・高さ2.7m平成14年3月 八郷市教育委員会
前方部に2ヵ所・後円部に一ヶ所、横穴式石室を持ちます。

説明板の後ろが入口のようにも見えますが、草が密。

回り込んでも墳丘の感じがつかめず。

手前側が後円部、奥に前方部だと思いますが…。早春に再訪してみたいと思います。

obitoさんが後円部石室の写真を撮られています。
ぶじんさんも2020年に入口の写真を。
佐志能神社境内の説明板で、丸山古墳の出土品が保管されていると記されていた柿岡考古資料館へも行ってみました。柿岡小学校のプール脇。

考古博物館自体が考古資料になってしまった感が…。公開の機会があれば再訪したいです。

2024年9月下旬訪問