前回の赤堀33号墳から東南東600m程に、一ノ関古墳があります。
粕川沿いの左岸で国道462号との間で、なんとか”頑張って”います。
駐車場完備。

説明板あり。伊勢崎市指定史跡。復元長約50mの前方後円墳です。

伊勢崎市指定史跡 一ノ関古墳
平成10年12月28日指定
一ノ関古墳は前方後円墳で、粕川の侵食により前方部の大半を削り取られています。現存する墳丘は全長約28mですが、失われた前方部を合わせると、およそ50mの古墳に復元することができます。 墳丘は二段の葺石が築かれ、その間のテラスに円筒埴輪が立てられていました。また、下段の葺石から周堀までは約7mの基壇面が広がり、3段築成を意識して築造されており、周堀は幅約5m、深さ約0.8mで墳丘をめぐっています。
後円部には横穴式石室が造られていて、入口を南に向けています。墳丘からは家形埴輪や円筒埴輪が出土しています。また、前庭付近からは須恵器の高坏なども出土しています。
築造年代は石室の構造や出土遺物から、6世紀後半と考えられます。周辺は本関町古墳群を形成していますが、そのほとんどが小規模な円墳であることから、この時期の地域の中心的な人物を埋葬した古墳と考えられます。
平成17年1月31日 伊勢崎市教育委員会
駐車場側から見る墳丘。右(西)へ前方部が続きます。

後円部墳頂。

回り込むと横穴式石室の開口部が。

とてもしっかりとした見学施設です。

柵の向こうに玄室入口が。

柵の手前の説明板。

一ノ関古墳の石室
石室は両袖型の横穴式石室で、遺体を埋葬した玄室と通路の役割をもつ羨道からなっています。全長や約6m、奥壁部の幅は約1.5m、高さは約2mです。石材には輝石安山岩の割石を使い、奥壁には巨大な石を使用しています。石室は当時の地表面を掘り込んで造られており、外側には補強のための石組(控え積み)が行われ、天井石の周りは粘土で覆われていました。
羨道の入口は石でふさがれ、前面には墓道のような細長い前庭が設置されています。この前庭は幅が0.8mと狭く、羨道入口から下段葺石にむけてスロープ状に造られたもので大変珍しいものです。
遺物は石室内にはほとんどなく、前庭などから須恵器の高坏、提瓶が出土しています。玄室の天井石
天井石は玄室と羨道を覆っていましたが、玄室部の三石だけが残され、羨道部のものは失われていました。天井石は輝石安山岩の自然石を利用し、大きさ、形状にはばらつきがあり、一番奥の天井石は約4トンもの巨大な石材を使っています。控え積みのようす
石室を造る際、まず壁となる側壁や奥壁を、一番下の根石から順に数石積み上げます。その外側約1mのところにも石を積み上げ、その間に石を詰め、隙間を砂で埋め、壁石の補強を行います。この補強方法を控え積みといいます。この工程を数回繰り返し、最後に天井石をのせ石室は完成します。
平成17年1月31日 伊勢崎市教育委員会
手前に踏み石があるということは、近くに寄れる見学機会もあるのでしょうかね。

ズームすると奥壁も。

床面の様子。

開口部の左手に、後円部墳頂への階段が整備されていました。


上がって振り返って。左が開口部庇の上部。

後円部先端方向は国道462号。

この墳頂からも赤城山(ズームで)
近景には粕川、中景には国道17号と北関東自動車道と。

西側には浅間山。

駐車場側の墳裾カーブ(後円部と、くびれ部、左へ前方部)

くびれ部を裾から。北側面で右が前方部。

その後円部側を。

墳丘も石室も綺麗な、貴重な古墳だと思いました。
こちらでリーフレットも見られます。築造時期は6世紀後半とのこと。
https://www.city.isesaki.lg.jp/material/files/group/96/ichinoseki.pdf
2021年12月上旬訪問