前回の福王子古墳群を見た後は、今回のツアーの最終目的地である南滋賀廃寺跡へ。

ここも手書きの標識がいい味を出していました。
石垣の左を回り込むと、史跡と刻まれた石柱が。

琵琶湖側への傾斜地を、広く平らに造成した境内です。
つつじ(?)に囲まれた一画。

その中央には塔の礎石が残されていました。

現地説明板あり。

国指定史跡 南滋賀町廃寺跡
南滋賀の地は昔から古瓦が出土することが知られていました。昭和3年(1928)と昭和13年から15年にかけての2度にわたる発掘調査によって、塔・金堂・僧房跡等が見つかり、この地に寺院が存在していたことが明らかにされました。また、その後の調査によって、この寺院跡の伽藍配置は塔と西金堂が東西に対置し、これらをとりまいて回廊がめぐる「川原寺式伽藍配置」であることがわかりました。このうち塔・西金堂・金堂の基壇は瓦積みで仕上げられていました。
この寺院は天智天皇建立の崇福寺とも桓武天皇建立の梵釈寺とも考えられていましたが「扶桑略記」に崇福寺が大津宮の乾(北西)の方向に建てられたという記事があり、この南志賀の地が寺院跡と同時に調査された滋賀里山中にも寺院跡が発見されたことから、そこが崇福寺跡として妥当性が高く、また、「日本後記」には崇福寺と梵釈寺が近接した位置にあったことが見られることから、この南志賀に位置する寺院跡は逸名の寺院、南滋賀町廃寺ということになっています。
調査の際には多数の瓦や土器が出土しており、その中にはこの地でしか見られない、蓮華を横から見た紋様で飾った方形軒瓦もあります。これらの遺物等から、白鳳時代から平安時代末頃までこの寺院が存在していたことが明らかになりました。
この廃寺跡から約300m西の地点で、この寺で使用していた瓦を焼いた瓦窯群(榿木原:はんのきはら 遺跡)が見つかっており、瓦を手掛かりにして生産・需要・供給といった流通関係が明らかにされています。
昭和32年(1957)に国の史跡に指定されました。
平成9年(1997)3月 大津市教育委員会
南北軸の伽藍配置で、金堂の前には西金堂(左:西)と塔(右:東)が並びます。
軒先瓦は蓮の花を縦割りで表す珍しいタイプ。

ガイドの新出さんによる説明の途中でしたが、帰路の時間の都合で途中で失礼しました。今回のツアーでは各所でとても興味深いお話を聴かせていただきました。ありがとうございました!
場所はこちら。京阪石山坂本線の南滋賀駅から徒歩7分ほど。
2024年6月上旬訪問