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百穴古墳群 滋賀県大津市滋賀里

志賀山寺岩屋不動尊からは旧山中越の道へ戻り、さらに上がって百穴(ひゃっけつ)古墳群へ。

 

道を上りながら振り返った琵琶湖。

 

百穴古墳への入り口。後ろの小屋には水車小屋が隠れていたようです。

 

踏み入れた先は、見渡す斜面にいくつもの「穴」が。

 

ごろごろしている石も全部古墳・元古墳だと思います。

 

現地説明板。

国指定史跡「崇福寺跡」内
百穴古墳群
百穴古墳群は、今から約1400年前(古墳時代後期)に造られた墓が多く集まったところです。これらの墓は、大きな石を上手に積み上げて造られた石の部屋(横穴式石室)を土でおおったものです。石の部屋は、死んだ人を納める場所(玄室)と、これと外とを結ぶ細い通路(羨道)とにわかれています。表から見ると、この通路の入口が穴のように見えます。この穴がたくさんあることから、「百穴」という名前がつけられました。
石室の壁の石は、天井に向かうにつれて少しづつ迫り出して積まれているため、天井はドーム状になっています。石室内には2,3人の人が葬られており、死んだ人は時には金のイヤリングや銅のブレスレットなどで飾られ、木や石の棺桶にいれられました。また石室内には多くの土器(土師器・須恵器)も一緒に納められました。この中には、お祭り用のミニチュア炊飯器セット(カマド・カマ・コシキ・ナベ)も含まれています。
古墳時代後期、古墳群は全国各地でたくさん造られましたが、この百穴古墳群のように、石室の天井がドーム状で、ミニチュア炊飯器セットが納められているという特徴は、大阪・奈良・和歌山の一部にも認められますが、ほとんどが大津市の坂本から錦織にかけての地域だけに見られるものです。現在までの研究では、これらの特徴は、遠く中国や朝鮮半島からやって来た人たちと、深く関係するのではないかと考えられています。
昭和16年(1941)1月、国指定の史跡となりました。
平成4年(1992)3月 大津市教育委員会

 

古墳分布図には円で墳丘の位置が示されています。

 

一行のワクワク感はMAXであったかと。

 

こちらが目立っていた9号墳。

 

刳り抜き式の石棺が残されています。


右は側壁の崩壊を押さえている土嚢ですね。

 

13号墳。

 

13号墳を側壁側の上から。

14号墳。

 

こちらは10号墳。

 

開口部から奥壁を。

 

上部へ回って見下ろして。

 

天井石が落ちていたのは何号墳か…

2024年6月上旬訪問


現地ではどれが何号墳か把握していませんでしたが(大量の穴を現前にして途方にくれていた…)、あとで検索すると、ぺんさんが4年前に丁寧に回られていたブログに行き当り、記事を参考に上記の附番をさせていただきました。

 

百穴2号墳-3号墳-4号墳【滋賀県大津市】 - ぺんの古墳探訪記

百穴5号墳-6号墳【滋賀県大津市】 - ぺんの古墳探訪記

百穴8号墳-9号墳【滋賀県大津市】 - ぺんの古墳探訪記

百穴10号墳-13号墳-14号墳【滋賀県大津市】 - ぺんの古墳探訪記

百穴11号墳-12号墳【滋賀県大津市】 - ぺんの古墳探訪記

百穴46号墳-47号墳-53号墳-54号墳-56号墳【滋賀県大津市】 - ぺんの古墳探訪記

百穴33号墳-34号墳-35号墳【滋賀県大津市】 - ぺんの古墳探訪記

百穴40号墳-41号墳-62号墳【滋賀県大津市】 - ぺんの古墳探訪記

百穴28号墳-29号墳-30号墳-32号墳-61号墳【滋賀県大津市】 - ぺんの古墳探訪記

百穴22号墳-25号墳【滋賀県大津市】 - ぺんの古墳探訪記

百穴17号墳-19号墳-20号墳-21号墳-未掲載古墳【滋賀県大津市】 - ぺんの古墳探訪記

 

前回のお不動さんのあった熊ケ谷1号墳の裏山の古墳群も回られています。

熊ヶ谷2号墳-3号墳-4号墳【滋賀県大津市】 - ぺんの古墳探訪記

熊ヶ谷5号墳【滋賀県大津市】 - ぺんの古墳探訪記

熊ヶ谷1号墳-9号墳【滋賀県大津市】 - ぺんの古墳探訪記

 




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