前回の塩塚古墳の西側の道を南に進むと、200m程で佐紀瓢箪山古墳の東側に到達。
この五差路を一旦右へ行ってみました。

カーブの左側が佐紀瓢箪山古墳の後円部のはずですが入口がわからず。

堤のような感じですが向こう側が見通せません。

五差路に戻って南に進むと、道路右側に墳丘が見えてきました。

さらに進むと公園のような雰囲気に。

標柱と説明板もありました。右の道を降りてきて振り返ったところ。

(佐紀)瓢箪山古墳は、全長96mの前方後円墳です。

史跡 瓢簞山古墳
昭和46年5月27日指定
瓢箪山古墳は、前方部を南に向ける前方後円墳で、墳丘の全長96m、後円部径60m、同高さ10m、前方部幅45m、同高さ7mである。
前方部の西南隅で大正年間に土砂採取が行われ、一部原形をそこなっていた。墳丘の周囲には前方部の西南をのぞいて周濠がめぐらされている。周濠が全周しないのは本古墳の西南に隣接する丸塚古墳をさけたためと考えられ、丸塚古墳が本古墳に先立って築造されていたことを想定させる。その他の外部施設としては、墳丘の一部と周濠に葺石が、また墳丘で円筒埴輪の遺存が確認されたが、量は少ない。後円部の埋葬施設や副葬遺物については明らかでないが、大正年間の採土の際、前方部から粘土槨が発見され、碧玉製琴柱形石製品三点が出土したと伝えられている。古墳の築造年代については、墳丘の形態などから古墳時代前末期から中期初頭(4世紀末~5世紀初頭)と推定されている。
本古墳を含む佐紀盾列古墳群は、わが国でも有数の大古墳群であり、天皇、皇后陵の伝承をもつ古墳が数多くみられるところなどからも、日本古代史研究上きわめて貴重な古墳群とされている。
瓢箪山古墳は、この古墳群を構成する前方後円墳の一基として学術的に貴重な古墳であるところから昭和46年史跡に指定され、48、49年度に奈良県教育委員会が環境整備を実施し、前方部の復元や周濠の一部復元的地上表示を行った。
平成3年3月 奈良県教育委員会
説明板の右から先ほど周濠沿いの柵が見えたエリアに入れますが、墳丘東側へ回り込む道があったで、先にそちらへ向かいます。

これは墳丘への登るルート!

西(左)斜面は、木々が刈られ、墳丘の様子がわかるように手入れされています。

西隣には、佐紀陵山古墳!

前方部から後円部方向を。

鞍部へ進んで後円部を。

墳頂の様子。

途中でガレージ越しに墳丘を見たあたり。

後円部の裾には周濠が巡っています。

周濠に降りて、後円部先端側から左右を確認。


後円部先端側をパノラマで。

読めない部分がありますが、三段築成だったようですね。

墳丘西側面に向かいます。

振り返った後円部側のカーブ。

側面をパノラマで。右が後円部、左が前方部。

前方部左裾から。左奥が後円部。

最初の説明板のところに戻って、その先へ行ってみます。

周濠には黄菖蒲。

道はさきほどの後円部裾へ続き、一周できました。

佐紀瓢箪山古墳の前方部左裾側(西側)にも、標柱がありました。

上記の金網の右へ入ると、衛門戸丸塚古墳(よもんどまるづかこふん)があります。
衛門戸は小字名。

ちょっと入ると、墳丘の一部と思われる土盛りが残っていました。

Wikipediaによると、径50m前後の円墳とみられる衛門戸丸塚古墳は、大正2年(1913)大阪電気軌道の建設工事に伴う土取りで、14面の銅鏡を含む以下の遺物が出土。
内行花文鏡7面(直径10.1cm~12.0cm)、神獣鏡5面(直径16.0cm~22.4cm)、獣形鏡2面(直径12.9cm~16.2cm)、琴柱形石製品 3個、銅鏃 19個、鉄製刀剣 18口で、回収されて宮内庁書陵部の所蔵となっており、墳丘中央部の地表下約1.21mに南北約3m・東西1.51mの粘土槨が存在したと伝わるそうです。
隣接する佐紀瓢箪山古墳の周濠が当古墳の近接する部分だけ築かれていないことから、佐紀瓢箪山古墳(4世紀末~5世紀初頭)より前の4世紀後半頃にに築造されたと考えられるとのこと。
2024年5月中旬訪問