前回の奥の山古墳から並木越しに見た中の山古墳。

奥の山古墳と中の山古墳は大字渡柳(旧渡柳村)にあって、今は消滅した戸場口山古墳(方墳)とともに渡柳三古墳と総称されていたそう。
この場所には初めて来たが、緑の中で3つの中型の前方後円墳に囲まれ、古代の雰囲気に浸る充実したひと時を過ごすことができた。
おすすめのスポットだと思います。
右が後円部、左が前方部。

現地説明板。もとからこの色だったのだろうか。

中の山古墳
形状:前方後円墳
全長:79.0m
後円部:径39.0m 高さ4.4m
前方部:幅40.0m 高さ5.5m
(平成2年2月現在)
古墳群内の前方後円墳のうち、第6位の規模です。最近の発掘調査で、二重の堀のめぐっていることがわかりました。
堀からは須恵器の技法でつくられた埴輪壺が多数出土しています。
古墳の築造年代は、6世紀末から7世紀のはじめと考えられ、古墳群中の前方後円墳としては、最も新しい可能性があります。
QRコードからの解説も詳しい。
北西側面に正対して。右が後円部、左が前方部。

前方部左裾から。左奥が後円部。

博物館のガイドブックによると、中の山古墳は同時期(古墳時代終末期)に関東各地で築かれた前方後円墳のほとんどが埴輪を伴わないものだったが、当墳丘には円筒埴輪の代わりに寄居町末野窯でつくられた須恵質埴輪壺が並べられていたとのこと。
「葬られた人物が埴輪はやめても古墳の周りに器を並べるという行為をやめたくなかったのかもしれません」との記述になるほどと思いました。
中の山古墳は、石棺があったとの伝承から唐櫃山(かろうとやま)とも呼ばれたそうです。