前回の祇園原古墳群から15㎞ほど南西、大淀川の支流の台地上に国指定史跡・本庄古墳群がある。
北西側から細長く伸びてきた舌状台地先端に立地し、そこを取り囲むように南に本庄川、北に深年川が流れ、すぐ下流で合流しそのまま大淀川に併合される。
街中なので駐車スペースを見つけてから探索開始。まずは中央の通りに面した墳丘へ。

墳丘の裾にあった案内図。街中なのに42号まで番号がある。前方後円墳だけで17基も。

古墳って何だろう?
古墳時代につくられたお墓のことです。一般的に、豪族(自分が住む地域を代表する力をもっている人)のお墓と考えられています。有名な前方後円墳(上から見るとかぎあなのような形に土を盛っている古墳)ですが、他にもたくさんの種類があります。
ひとつの地域にたくさんの古墳をつくる場合もあり、それらはひとつのまとまりとして「古墳群」と呼ばれます。本庄の古墳はひとまとまりで呼ぶとき「本庄古墳群」と呼ばれます。
〇本庄にはいくつの古墳があるの?形や大きさがちがうのはなぜなの?
本庄古墳群は、昭和9年(1934)に前方後円墳17基、円墳37基、横穴墓2基、地下式横穴墓1基の57基が国の史跡に指定されました。
また、古墳の形や大きさのちがいが豪族の身分や権力の大きさなどを表していると考えられています。例えば円墳よりも前方後円墳、小さな古墳より大きな古墳の方が、より力のあった豪族であったことを示しているのです。
運動公園の近くにある42号墳は、藤岡山東陵と呼ばれる全長90mの前方後円墳で、本庄古墳群の中で最も大きなものです。
なかなか大きな13号墳・観音山塚を道路対岸から。前出の案内図によれば、正面が後円部で右に前方部が続く。

麓にあった標柱。

そこから墳丘に上がらせていただいた。墳頂には「観音山塚」の碑が。

北側の向かいには15号墳・東銚子塚。

隣の家具屋さんの建物がモダン。

振り返っての南側。このときは正面の祠あたりが前方部と勘違いしていた。

13号墳を下りて、再び道路を横断し、家具屋さんの 左に見えていた小道を入った。

道なりに墳頂へ。

墳頂には祠の中に地蔵様がおられた。「東銚子塚」の碑も。

参拝後に祠の裏側へ。

墳頂(後円部)から、小さく残っている前方部の方向を。

後円部の北側。 周囲は住宅に囲まれていた。

前方部側に回り込んで望む13号墳・東銚子塚。

ズームで。

そのすぐ背面、パチンコ店・タイガー国富店の駐車場の北側に、18号墳・西銚子塚の墳丘が残っていた。正面が後円部で左側に細く前方部が残っている。

後円部先端側から。左奥へ前方部。

後円部墳頂には「西銚子塚」の碑。

後円部から南東側。左の木立が13号墳・観音山塚。
正面中央の駐車場内にも墳丘が。

近寄ると、17号との標柱が立っていた。

17号墳の100mほど南西、民家の塀の中にも標柱だけ見えた(24号墳)

「九州の古墳」の本庄古墳群の項によれば、13号墳、15号墳、18号墳ともに前方部が低く狭長な柄鏡形の前方後円墳(12号墳も)で、これらの築造年代は4世紀に遡ると考えられるそうだ。
- 作者:吉村 靖徳
- 発売日: 2015/12/25
- メディア: 単行本