前回のつづき。
小山市立博物館は東北本線・間々田駅から徒歩15分ほど。間々田駅は野木駅の隣の駅になる。
野木町のれんが蔵「きらり館」のある友沼からは、国道4号を北東に4kmほどの場所。

入館料は大人200円。常設展は小山の原始・古代から中世、近世、近現代から民俗資料まで網羅するが、古墳時代では石室内部の原寸大復元模型や埴輪の展示もあって充実していた。
5月29日までは企画展「戦国時代の小山」も同時に見学できる。
入口エントランスにて、おそらく企画展にあわせて、復元された戦国時代の甲冑が展示されていた。
右側に6体。

左側に4体。

藤堂高虎の兜は”車幅感覚”が求められそう。

お隣の加藤嘉明の”イカの頭”が”普通”に見えてくる。

細川忠興の鳥の羽は周囲が硬そうな素材を使うなかで逆に目立っていた。

黒田長政のこちらは一番重そうだった。馬上では風圧もかなりではなかったか。

とても興味深い展示だった。
残念ながら館内撮影は不可。
こちらのサイトでも展示室の様子が地元ゆるきゃらとともに見ることができる。
『元気ニコニコとちまる隊』が「小山市立博物館」に参上!|とちまるくんオフィシャルホームページ
小山市内には琵琶塚古墳や摩利支天塚古墳などの大きな前方後円墳があるが、その資料もいくつか展示されていた(それがここを選んだ理由でもあった)
3年前の古墳探訪初心者時代に訪ねたが、どちらも120m級の魅力的な墳丘だった。
復元されていた石室は「乙女雷電神社古墳」
博物館の北隣の寺社の敷地にかつて存在していた7世紀の古墳で、河原石が積まれた羨道と角閃石安山岩で造られた前室・玄室を持っていたとのこと。群馬県地方のものと造りがよく似ているそうだ。
ところで、博物館のある乙女という地名が面白いと思って検索してみるとなかなか興味深かった。
小山市乙女(おとめ)の地名の由来について知りたい。 | レファレンス協同データベース
オトメのオトは崖・傾斜地を意味し、メ(目)は二つの物の接点・境目の意で思川に臨む崖縁に由来する地名らしい。鎌倉時代からあった古い地名。
博物館見学後、すぐ北にある泉竜寺の境内の雷電神社へ向った。常設展にあったパネル地図で、石室が復元されていた古墳の位置がこのあたりに示されていたので。

神社は本堂の裏手、境内敷地の北の隅にあった。

こちらの遺跡ウォーカーさんのサイト地図では本堂前の墓地の中に位置づけられていた。
なお、境内には乙女不動尊が祀られる不動堂もある。

雷電神社のあるあたりから西側は思川(おもいがわ)に向って切れ落ちていて木々を透かして水田や堤が見えた。

境内を出て坂を下ると田植えを終えたばかりの水田があった。

小麦畑も。

その背後は水田。

思川の堤の階段。それは登らざるを得ない。

堤の上には「にっぽん縦断こころ旅」に出てきそうな道があった。

振り返って。木々のあるあたりからが台地。

西側、思川のある方向。

階段があるので降りてみた。

小道を進むと川面が見えた。それほど大きくない川の割には堤防までの距離がある。
2.5km先には巴波川(うずまがわ)が流れるが、両方とも渡良瀬遊水地に注ぐ。

大きな鯉がいた。人影を感じると全速力で逃げていった。

つづく。