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弟・巣鴨〜兄・日比谷。30年前の高校受験業界。

日比谷高校の東大合格者数が急進し、巣鴨高の成果が振るわない、というこの記事を読んで少なからず思うところがある。

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加藤家は僕が巣鴨高卒で、兄が日比谷高卒だからだ。

 

直撃する日比谷高校の凋落

兄が進学した頃、日比谷高は凋落の一途を辿っていた時期で、放任主義の下で遊び回る兄を見て両親は「こりゃダメだ」と思ったに違いない。
7歳下の僕は、地元の公立中から巣鴨高校へと放り込まれることになった。

実際、ぼくの年代(1994年入学)が日比谷の最底辺期で、入試の倍率で伝説となる「日比谷が定員割れ(0.96倍)」を起こした年でもあった。東大合格者も1人、担任の先生との面談でも「日比谷はやめておけ、大学進学がきついぞ」と言われる始末。

日比谷の卒業生にとっては悪夢のような時期だったに違いない。

 

受験界を席巻する巣鴨中高

打って変わって巣鴨中高は「新御三家」と言われ、中学受験界を席巻していた時期でもあった。独自のスパルタ校風を掲げながら、うなぎ登りする東大合格者数。
「やっぱり昭和式の教育って正しかったんだ」と思って安心したい当時の親たちに人気だったのだろうと僕は踏んでいるが、それ以外にもさまざまな時流や戦略がうまくはまったのだろう。最高で78人の東大合格者を出し、演説が長いことで有名な名物校長だった堀内マサゾウ校長は意気揚々だったのではないかと推察される。

 

高校入ったら演劇をやる!はずが……

僕は小学生の頃から「大きくなったら日比谷高校に入るのかなあ?」と思っていた。家からも近いし、近所の大人たちがが勧めてくれた。演劇や合唱に全力で情熱を注ぐ兄の姿はまぶしく輝いて目に映った。
しかしその反面の勉強に情熱を全く注がないようすを知る両親や担任の先生の勧めで、クセが強め目な私立高校を選ぶことになった。ふんどしで泳いだり、深夜に登山をしたり、思い描いていた高校生活とだいぶ違う、思い出すと眩暈のする不思議な3年間だった。何度か辞めようと思ったが、高い学費を払ってくれている親にも申し訳なくて、退学する踏ん切りもつかなかった。

 

日比谷の再生/巣鴨の凋落

僕が卒業した後から、やっと都教委が「日比谷がこのままではやばい」と本腰を入れ始め、長年の放任主義を撤廃し(兄が言うには「日比谷らしさは無くなった」)、進学実績の出る学校へと運営の舵を切ったのである。

そうすればネームバリューと立地では随一の高校である。やや時間はかかったが、都下でも有数の進学校として完全な再生を遂げた。

反面、僕が放り込まれた巣鴨高は親世代も平成育ちになりつつある現在、教育方針はさすがに時流から取り残され、進学実績は右肩下がりに落ち込んでいる。

 

巣鴨高に対して特に残念に思うところは無い。あの方針では現代において仕方ないだろうな、と教育業界に入った身としては思う。それでも私立校は進学実績が全てではなく、もっと大切な魂がある、ということは朝礼でマサゾウ先生から週2回×3年間で100回以上は聞かされた。
(「私学は二刀流、教育理念が大刀、進学実績が小刀です」というキラーフレーズは今でも個人的に使う)
これからも魂を大切にして欲しい。

むしろ日比谷高校に僕は思う。なんで僕が15歳の時に、もっと本気を出していてくれなかったのだと。あの頃、都立がもっとしっかりしてれば、僕は間違いなく都立高を第一の選択肢として進学していたはずだった。

僕が就職先として公立校ではなく私学業界を選んだのには、根底に15歳の頃に感じた都立校界隈に対してのこの不信感がある。いまさら言っても、どうにもなるものではないのだが、都立校に関するニュースを聞くたび、20年間もんやりと思い続けている。




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