渡辺参事官は歌舞伎座の前で電車を降りた。
雨あがりの道の、ところどころに残っている水溜まりを避けて、木挽町の河岸を、逓信省の方へ行きながら、たしかこの辺の曲がり角に看板のあるのを見たはずだがと思いながら行く。
・・・(中略)・・・
果たして精養軒ホテルと横に書いた、割りに小さい看板が見附かった。
これは森鷗外「普請中」(明治43.6.1『三田文学』)の冒頭部分です。
ここに記されている「精養軒ホテル」というのは、東京で初めての西洋料理店「精養軒」。12の客室も併せ持つホテル・レストランで、外国人宿泊客のもてなしや、西洋料理の出前、外国貴賓との交流がある日本人への西洋文化の指導などにもあたっていた、明治文明開花を代表するような施設です。

「精養軒」というと、現在は上野公園にある「上野精養軒」を頭に浮かべる人が多いかと思いますが、「精養軒」がまず初めに開業したのは、馬場先門という皇居前に位置する場所でした。


開業は明治5年。創業者は北村重威(文政2~明治39 実業家)という人物で、三条実吉(天保8.2.7(陰暦)~明治24.2.18 公卿・政治家)岩倉具視(文政8.9.15(陰暦)~明治16.7.20 公家・政治家)らの支援を受け「西洋館ホテル」と称してして開業。しかし、なんと開業当日に銀座の大火の影響で焼失。翌6年「精養軒ホテル」と改称し、場所を木挽町に移して再開業しました(築地精養軒)。築地川に面した現在の「時事通信社」ビルの辺りです。


すぐ近くには采女橋。
采女公園内には似たような名前の「築地ホテル館」跡がありますが、これは「築地精養軒」とは別物で、外国人用宿泊施設として維新のわずか2ヶ月前に開業した日本初のホテルです。

「築地ホテル館」は、二階建ての上に三層の塔が乗るというそれまで見たこともない、和洋折衷の建物で江戸の人々を驚かし、連日多くの見物客を集める名所ともなりましたがこの「築地ホテル館」も、なんと「精養軒」(西洋館ホテル)と同じく銀座の大火で類焼しています。

「精養軒」はその後、明治9年に上野公園の開園を機に、園内の食事処と社交場を兼ね備えた「上野精養軒」も開業していきますが、「築地精養軒」が大正12年の関東大震災で焼失。またもや本店を失った「精養軒」でしたが、震災後は「上野精養軒」に本店の機能を移し、現在に至っています。

何やらいっぱい「精養軒」「築地」「ホテル」が出て来てどれがどれやらですがw、鷗外が「普請中」の舞台にしたのは二代目の「築地精養軒」。
鷗外の「普請中」には、まだ建築が終わらず、大工が館内を行き来しているのにも関わらず、もう営業を始めている様子や、ソファのあるサロンに「梅に鶯やら、浦島が子やら、鷹やら」が描かれた寸足らずの幅が掛けられた、珍妙な和洋折衷の室内が描かれています。
「普請中なのだ。さっきまで恐ろしい音をさせていたのだ。」
・・・
「日本はまだそんなに進んでいないからなあ。日本はまだ普請中だ。」
・・・
「ここは日本だ」
「普請中」とは準備中のこと。近代国家形成のため性急に西洋化を進めている日本という国の象徴として、見切り発車営業の「精養軒」が描かれているのです。

「普請中」ではマイナスイメージな「精養軒」ですが、鷗外は「青年」(明治43,3~8 『スバル』)でも、「精養軒」を登場させたり(こちらは「上野精養軒」)、その他夏目漱石(慶応3.1.5(陰暦)~大正5.12.9 小説家)の「三四郎」(明治41.9.1~12.29『朝日新聞』)や「行人」(明治45.12.6~46.11.5朝日新聞』)などにも度々「上野精養軒」は登場していき、「精養軒」は近代文学の舞台として、多くの文学作品に彩りを添えていくことになりました。
また「上野精養軒」は、開化期の貴族や名士の社交場として盛んに活用され、文壇でも二葉亭四迷(元治2.28(陰暦)~明治42.5.10 小説家・翻訳家)のロシア行き送別会、芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)の中国行き送別会、島崎藤村(明治5.2.17~昭和18.8.22 小説家・詩人)の生誕50周年祝賀会、与謝野鉄幹(明治6.2.26~昭和10.3.26 歌人)の渡欧歓送迎会、太宰治(明治42.6.19~昭和23.6.13 小説家)の『晩年』(11.6.25 砂子屋書房)出版記念会、横光利一(明治31,3,17~昭和22.12.30 小説家・俳人・評論家)の結婚披露宴などなど、数々の祝いの席に用いられ、当時は「祝賀会なら精養軒!」といった風であったことが窺えます。
「精養軒」のマークの馬車の絵は、貴族や名士たちが馬車で訪れた華やかな時代を伝えているようです。「精養軒」という屋号の意味は、「精心養氣(心を込めたおもてなしでお客様に浩然の氣を養っていただく)」という意味があるのだそうです。

また「上野精養軒」といえば、ハヤシライスの元祖としても有名。

ハヤシライスの起源・元祖説には、日本橋の洋書店「丸善」の早矢仕(ハヤシ)による発案などなどいろいろあるらしいですが、「上野精養軒」のハヤシライスはこちら↓

これぞ王道!といった感じの、しっかりコクのあるデミグラス系ハヤシライス。

懐かしさを感じさせる伝統のハヤシライス。モボ・モガたちもこのハヤシライスに舌鼓を打ったのでしょうか。
「精養軒」には浅草など上野以外の店舗もあり、最盛期には地方での経営も行われていましたが、ごく近場の地方では東京の西、多摩川を超えた先の武蔵小杉にも「ホテル精養軒」が。

「この精養軒って、あの精養軒?」
「えっ!そうなの?」
「違うんじゃないの?」
と地元ミンにまでいわれてしまう「コスギ精養軒」ですが、こちらの「精養軒」も「あの精養軒」とちゃんと関りがあるようで、昭和23年本家から分かれ開業したのだそう。

武蔵小杉はひと昔前は工業都市、今ではタワーマンションの林立する再開発都市ですが、かつては江戸二代将軍秀忠が、小杉陣屋に小杉御殿を築いた地。殿様が鷹狩りを楽しむ地でもありました。「ホテル精養軒」もかつては二ヶ領用水畔の3千坪の敷地に大きな池や橋、30の離れがあり、京浜の箱根とうたわれていたそうのだです。
現在ではそんな豊かな敷地はなく、小さな商店街のどん詰まりにひっそり佇み営業を続けています。

こぢんまりとはしていますが、キレイなホテルでカレーも人気です。
上野精養軒本店レストラン(洋食)
東京都台東区上野公園4-58
☎0338212183
営業時間 11:00~17:00(平日) 10:30~18:00(土日祝日)
定休日 月曜日
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