日本橋浜町にひっそりと佇む「常盤会ー久松邸跡ー」の看板。

常盤会とは、旧伊予松山藩主久松家によって設立された、在京の旧藩士子弟たちの学習援助組織。日本橋浜町に屋敷を構えていた、久松家の邸内に設置されていました。
常盤会は、立身出世を志し東京で勉学に励む旧藩士子弟たちに、旅費や学費を支援。学生たちの心強い後ろ盾となっていました。
初代給費生の中には、松山を代表する俳人で歌人の正岡子規(慶応3.9.17(陰暦)~明治35.9.19)も。

(正岡子規)
子規は明治16年6月に、松山から単身上京したあとここ浜町久松邸の書生部屋に、しばらくの間寄宿していたのだそうです。
その後常盤会は給費生たちの便宜をはかって、東大のある本郷は真砂町の坪内逍遥(安政6.5.22(陰暦)~昭和10.1.28 小説家・評論家)邸内に宿舎を設置し、子規もそこに寄宿することになりました。子規は、常盤会の初代給費生に選ばれたことを、半生の中での大きな喜びととらえていたそうです。
(坪内逍遥)
また子規の門弟で同郷の河東碧梧桐(明治6.2.26~昭和12.2.1 俳人・随筆家)も、常盤会のお世話になっています。

(河東碧梧桐)

現在浜町に久松邸はなく、この看板は車の往来の激しい新大橋通りに面しており、立ち止まって見る人の影もありません。久松邸がここにあった頃は、現在の新大橋通り、清澄橋通り、浜町川緑道、明治座通りに囲まれた辺りが屋敷の敷地であったそうです。

近くの「浜町公園」まで足を伸ばすと、かつて久松邸近辺にあった大名屋敷の名残のような石垣を目にすることができ、往時の様子を想像することができます。


すぐ近くには、子規の親友で松山にもゆかりのある夏目漱石(慶応3.1.5(陰暦)~大正5.12.9 小説家)も観劇した、明治座があります。

虚子来。あした明治座を見に行かないかといふ。芝居はついに見たことがない。ー中略ーまあ行つて見やうと約束す。(明治42.5.11 日記)
常盤会ー久松邸跡
参考文献
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