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妖怪ウォッチ1面白かった

Switchで妖怪ウォッチをプレイしていた。面白くてクリアしてしまった。めんどくさく感じる点もあったけど、気に入ったところがたくさんあり、その勢いで突っ切ってクリアした感じだ。加点方式でクリア。

チャンスくじが面白い。大当たりってそれで良いんだ…みたいなムービーが流れる。

まず街や部屋の描写が好みだった。主人公の住む家の近所に公園があるんだが、その形が三角で、いかにも土地が余った場所に拵えたんだろなぁと思えたりとか、自分の家と友達の女の子の家の中の、家具の配置から便座カバーに至るまで、細かいところまで全然違うのが良かった。眺めていて楽しい。街を駆け回っていたとき、分譲地と書かれた看板を見て笑ってしまった。

人の家に入る時に靴を脱いで入るところに、現代の日本を舞台にしているからこその描写なんだなと感心した。作中ではイベント以外ほとんど出番のない体育館や塾の中さえも作り込んでいるのが素晴らしい。オイラはRPGのゲームで町をウロウロ探索するのが好きだから、これは嬉しかったな。

あとは街に住んでいる人との会話が、フツーで良かった。今日はいい天気だとか、痩せないといけないなとか、カップルでいちゃついてたりとか、3日連続残業はキツイだとか。シナリオが進むことで街の人が話すことにも変化があったりして、ぐるぐる回るのが面白かった。ミニイベント・おねがいを達成しようとする場合、街の色んな場所を行き来することになるので飽きるのだが、この変化のおかげで幾分マシになった。

街の人の殆どが、妖怪について言及しない所が良い。妖怪とは殆どの人間の目には見えないので、会話に出ることはあり得ないからな。これは普段ポケモンばかり遊んでいるオイラからすると、結構新鮮だった。

色んな人と会話をするんだけど、変に捻くれてたりスラングに染まってなくて、素直な気持ちで話せたのも良かった。夜にクスリを売ってくるヤベー医者がいたり、メタっぽい発言をする妖怪もいたが、そういう奴は稀で、逆にスパイスになっているように感じた。わざわざ話しに行かないいと話せないような所にいたのも、自分たちで世界観を壊しにいかないようにする姿勢のように感じられた。

スナックの裏口から入って会話を聞けたりもする。綺麗なママさん。

今作に登場する妖怪たちもかなり好みだ。まさに妖怪、という感じがして良い。今作で一番気に入ったのは、妖怪そのものかもしれない。

人間は、人智を越えた現象・存在に触れたとき、それを妖怪に認定することがある。また人々を怖がらせるために誂えられる妖怪もいるらしい。キレイにしないとあかなめが来るぞ!的な。

今作の妖怪たちの多くは、先輩妖怪(?)たちと同じだ。何故か無性に腹が立つ。急に賭け事に狂い始める。思ったことをつい口にしてしまう。これらは作品内では妖怪の仕業かもしれない、と言われるし、実際妖怪たちのせいで人間たちはそういう気持ち・行動をとってしまう。現代人が今でも苦しめられる衝動や煩悩に性癖などの原因を、妖怪として捉えている、そこが気に入った。

また、妖怪たちの伝承というのは、基本的に抽象的だ。彼ら妖怪が人間の前にどんなタイミングで現れるか、どんなことをする妖怪なのかは文献に多く記されているが、彼らが普段どんな生活をしているのかは、殆ど描かれない。妖怪は現象として書かれていることが多いからだ。

今作の妖怪たちを眺めてみても、確かにその姿形を見ていては、彼らがどうやって生活しているのかは全く想像が出来ない。作中の妖怪についての説明や、それぞれが戦闘時に使用する技や呪文などを見ていても、この日本でいつ寝ていつ起きて、何を食べて……などと言うことは思い浮かばない。ここがとてもいい。

 

先程も少し書いたが、オイラはよくポケモンをプレイする。ポケモンの好きなところは沢山あるんだが…ポケモン1匹1匹が普段どんな生活をしているのか、どんな性質を持っているのか?を、作中の様々な情報で表現しているところが好きだ。

例えば……最近のポケモンで言うと、ヒラヒナなんてどうだろう。ヒラヒナはエスパー単色で、図鑑の説明には「サイコパワーでわずか1cmだけ浮いている」と書かれている。”わずか”と図鑑にハッキリ書かれている。そしてヒラヒナを捕まえて技を確認してみると、エスパー技は殆ど覚えていないのだ。この、エスパー技を殆ど覚えていない点と、わずか1cmしか浮かべないサイコパワーを持つという点がつながっている。この繋がりによって、ヒラヒナがどんな生き方をしているのか、オイラには少しだけ見えてくる。想像しやすくなる。

簡潔に書いてしまったが、このような話はヒラヒナに限ったものではない。オイラはポケモンのこういう所が好きだ。ポケモン1匹1匹の情報が濃く具体的なので、彼らの世界を想像しやすいのだな。

 

その一方で、例えばジバニャン。彼の設定は割と有名だと思われる。地縛霊のネコなのでジバニャンだ。彼は今作にも登場するが、実はシナリオでは序盤の1章分で活躍するだけで、後はシナリオに絡むことはない。そしてジバニャンが普段何をして生活しているのか、一切書かれない。まさか四六時中走行中の車に飛び込み続けているわけではなかろう、それは彼の一面に過ぎない。

ジバニャンですらこうなので、他の妖怪はもっと薄い。具体的ではないのだ。現象によって形作られているので当たり前である。そこがこれまでオイラが見聞きしてきた妖怪たちと似ていて、すごく感動した。

具体的ではないということは悪いことではない。抽象的であるということは、いくらでも他の存在と結びつけられるということだ。キャラクターに血が通っていないからこそ、そのキャラのおかげで物語がいくらでも、我々の生きている現実世界にまで広げられる。これが抽象的なものの良さだ。

モンスターボールもげんきのかたまりも存在しないこの現実世界に、いきなりピカチュウだけが我々の世界にやってこれはしない。しかし、なんの設定もない妖怪であれば、いくらでも入って来られる。

具体的に書かれることで世界を想像しやすくなるポケモン、抽象的に書かれることで人間の生活に潜りこむことが出来る妖怪。それぞれに違い、それぞれに面白い。オイラは妖怪ウォッチの妖怪たちを知ることで、ポケモンの面白さまでもを確認できた。これが一番良かった点だと思う。

妖怪のスクショあまり撮ってなかった。最初の妖怪がセミって所が子どもっぽい

あとは色々…虫取りとか魚釣りに拘りを感じたりとか、最初に友達になる妖怪ってジバニャンじゃないんだなって驚いたりとか、主人公が普通に喋ったりリアクション取ってくれて面白いとか、そういう所が良かったなー。

 

妖怪ウォッチが初めて世に出たとき、オイラはまだTwitterをやっていた。あの時は本当に酷かった。妖怪ウォッチがすごい、ポケモンのほうがすごい、あっちはクソだこっちはカスだと叩き合い罵り合っていた。ポケモンが好きだったオイラは、見ていられなかった。自分が好きなものが叩かれるのは悲しいし腹が立つ。しかし、自分が好きなものを好きな人達が、ああやって他者を攻撃している様は、醜いと感じた。

今は妖怪ウォッチは下火になったようで、アニメもやっていないしゲームの売れ行きもあまり良くない。良くないので、オイラはSwitchで妖怪ウォッチを始めた。今始めても、誰も攻撃してこないだろうと思ったからだ。

結果、始めて良かった。妖怪ウォッチポケットモンスターも好きだ。攻撃されたらどうしようか。やだねー。

 

※※ふだんはYoutubeやニコニコで動画投稿しています。興味があればプロフィールから覗いて下さい。日記はこっちでも書いてます。




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