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大阪万博2025について

大阪万博2025、行ってないし、たぶん行かん。でも行った人の声はめっちゃ気になる。

2025年4月13日、ついに開幕した大阪・関西万博。
未来社会を体験できる一大イベント…らしいんやけど、
僕は行ってません。そして、たぶん行かないと思う。

でもね、行かんと決めてるくせに、
X(旧Twitter)とかYouTubeの現地レポとか、めっちゃ見てしまうんよ。
「人の体験を追体験するのが一番コスパええな」って思ってたら、
まさかトイレとたこ焼きでここまで話題になるとは…。

なぜ僕は“行かない派”になったのか

昔、一度だけ似たような大規模イベントに参加したことがある。
某ローカルフェス。めちゃくちゃ並んで、やっと入れたと思ったら、
屋台のたこ焼きが冷えてて、トイレが地獄で、帰りの電車で立ちっぱなし。
それで僕は悟った。「人が多いイベントは、“好きな人だけ行けばいい”」って。

今回の万博もそれと似た空気を感じた。
体力とお金とスケジュールに余裕がある人には最高の体験かもしれんけど、
僕みたいに混雑で消耗するタイプにはちょっとハードル高すぎる。

トイレは未来を超えてパニックに

現地組のX民たちが一番叫んでたのはトイレ問題
・デザイナーズトイレは見た目が良すぎて入口がわからん
・カギが自動式で混乱する
・構造が複雑すぎて「ここ入っていいやつ?」ってなる
・実際に詰まって使用禁止になった場所もあったらしい

しかも、開幕して数日しか経ってないのに、
すでに複数の場所で故障・閉鎖・混乱が報告されてる。
「これ、脱出ゲーム?」「トイレに挑戦するイベント?」って言ってる人もいて、
読んでるこっちは笑ったけど、現地だと絶対焦るやつやん…。

メシが高い未来、財布は過去のまま

飲食ブースの価格設定もエグい。
・たこ焼き8個1250円
・神戸牛すき焼きえきそば:3850円
ポーランド料理:4500円
・ベルギーワッフル:400円(これはむしろ安く見えてくる)

未来社会の物価体験」ってそういうことか?
学生時代に1個80円で食べてたたこ焼きを思い出して、僕の心はノスタルジーで満たされたよ。
いや、高すぎてむしろ詩的な境地。

Xで見た“万博あるある”がカオスすぎた

Xで「#万博あるある」で検索してみたら、なかなかのカオスっぷりだった。
「万博の思い出=トイレ探しと暑さ」「ドローンよりたこ焼きの行列が記憶に残った」「未来体験のはずが、日傘と汗との闘い」…そんな声が散見される。
その一方で「子どもが喜んでたから全て許した」「世界の文化に触れる感動があった」というポストも多くて、“カオスの中に希望がある”って感じがした。

行かない自分なりの“関わり方”

今回の万博を見てて思ったのは、「リアルな場所に人が集まるって、まだまだ意味があるんやな」ってこと。
SNSの時代、何でもネットで見れるけど、それでも“実際にそこにいた”っていう体験には勝てない部分があるみたいやね。
だからこそ、そこに行けた人、行った人の言葉って、なんか重みがあるんよ。

僕はたぶん、その“重み”を受け取る側に回るタイプなんやと思う。
現場に行かなくても、そこで何が起きてたかを想像して、
そこから何かを感じ取って、自分の中に取り込んでいく。

評判が二極化してるのはなぜ?

万博って、ほんと不思議なイベントやなと思う。
賛否が分かれすぎてて、SNS見てても「最高だった!」と「地獄すぎる」が交互に流れてくる。
その振れ幅がすごい。もうジェットコースターやん。
でも、それってそれだけ期待と注目が集まってる証拠でもあるんよね。

僕の中では、「じゃあ万博ってなんなん?」って疑問がずっとあって。
未来を見せる場? 世界との交流? 国内経済のテコ入れ?
いろんな意味があると思うけど、たぶん一番近いのは「答えのない問いを体験する場所」なんかなって。

未来ってなんなん?

結局、「未来」ってのは、テクノロジーのことだけじゃなくて、
“人がどんな風に関わり、どんな想いを共有するか”にかかってるんじゃないかと思った。
万博の中身より、そこに集まる人たちのリアクションこそが、未来を映してるんかもしれん。

僕の万博は、ここにある。

思えば、僕がこんなに万博に興味持ったのって、今回が初めてかもしれん。
2005年の愛・地球博も、ニュースで見ただけ。
それが今回は、「行かないけど、気になってしょうがない」って不思議な立場に立ってる。
この感覚、案外“今の時代”っぽいんじゃないかなって思ってる。

情報の海に浸かって、自分の生活圏の外にあるものを、
まるで身近なことのように語れるようになった現代。
良くも悪くも、「経験してないのに感情が動く」ことが普通になってる。

でも、それでも僕はこの“関わり方”を悪くないと思ってる。
行かなくても、語れることはある。
参加してなくても、未来に向けて考えられることはある。
その証明として、こうやってブログを書いてるんよね。

そして今、こうして万博のことをつらつらと語ってる自分を見て思う。
たぶん僕、ちょっとだけ参加してたんやと思う。
画面越しでも、言葉越しでも、人は未来に触れられる。
それを教えてくれた2025年の春に、ちょっとだけ感謝してる。

たこ焼きの値段に驚いた日も、ちゃんと未来の一部やったんやろな。




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