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【12/20】緊急代原

使うための批評勉強会(凸待ち)by新萬

企画概要

参加者の漫画批評能力・技術の向上を目的として、批評の方法論を勉強する。また、勉強を活かした実践の機会も設ける。

発起人のモチベーション

 僕は基本的に、あらすじを語り直すようなかたちでしか漫画批評を書けない。

 あらすじを語り直すというのは、作品がそれなしには成り立たなくなるような物語上の重要部分とその流れ(配置の順番)を抽出して、自分の言葉で再構成するということだ。作品内で語られたことを繰り返すという意味ではくどいうえ、細部に言及しにくいという意味では平板なものになるおそれがある。だが、うまくやれば、なにを語り直すかという選択、強調点の置き方に個性を滲ませることができるだろう。

 僕が漫トロピーでこれまで実践してきたもろもろの批評やレビューは、程度の差こそあれそうなっていると思う(クロスレビューの原稿はその傾向がとくに顕著だろう)。読むときにはいつも、あらすじを精確にたどることに意識が割かれてしまうし、語るときにはいつも、あらすじを語ることが中心になってしまっている。

 この能力を培うことの意義はよくわかっているつもりだけど、それ一本だと、やっぱりどこか物足りない。果たしてあらすじの語り直しは批評と呼べるのか? 読んだらわかるようなことをわざわざ言い立てる意味はどこにある……? サークルに入ってからの4年間、この手の疑念はずっと拭えなかった。

 多分そろそろ、座学するべきときなのだろう。先月某誌に書いた『ふつうの軽音部』論 と今書いている『多聞さん』論はこれまで好き勝手にやってきた自己流の批評方法の成果として、いくらか満足もあるが、限界も感じる。いまは他人がどんな方針でどう書いているのか、気になって仕方ない。大枠の方法論(たとえば、で挙げるけどフェミニズム批評だのマルクス主義批評だの精神分析だのなんだの)も知りたいし、もっと細かい執筆プロセスも気になるところだ。漫画批評だけじゃなくて音楽・映画・アニメ・ビデオゲーム等々、別のメディアを対象にした批評も、方法論の観点からかなり興味が湧く。

やってみたいこと

 以下は現段階での思い付きです。参加者のやりたいことや目標を考慮しつつ決めます。
・批評の方法論にかんする本を輪読して(北村紗衣『批評の教室』とかどうでしょう)、そこで学んだことをもとに1本書いてみる。
・商業出版された(≒ある水準以上のクオリティが認められた)作品批評と、そこで批評の対象にされている作品そのものを両方鑑賞し、気付いたことや活かせそうなことを話しあう。

参加のお誘い

 批評の技量向上に関心はあるけど、一人でやるのはしんどいかもなぁ、という人。お待ちしてます。
 興味ある会員は新萬(X: karate_hospital)まで(^_-)-☆

消息不明のくさつを蘇らせるため、私がくさつ氏のイタコをします。byぼーず(酔・M1ウォッチング中)

 今年ももう、師走になります。寒い。なんて寒いんだ。しかし、京都のこの寒さも今年で最後になると考えるとなんだか寂しいような気もします。お母さん元気ですか。親父も元気にしていますか。京都で4年、私ももう立派な社会人に、"大人"になれたように思います。例えば、みなさんはSpotifyの「今年のまとめ」を見ましたか。その中にはあなたのリスニング年齢を推定する機能があるのですが、あなたのリスニング年齢はいくつでしたでしょうか、あ、女性の方に年齢を聞くのは失礼でしたね。私も、もう社会人ですから、そういうマナーをきちんと身に着けないといけません。現実はいつだって厳しいんですから、ガキの魂の叫びはもう、我慢して我慢して我慢して、マナーを体得する必要があります。話がそれましたね。私のリスニング年齢の話です。私のリスニング年齢ですが、今年は74歳でした。……74歳でした? ……74歳でした!? どうなってんだってばよ……。もう年金もらえるじゃんね。おまいら、俺には“敬語”を使うように。くさつ“さん”な? Repeat after me KUSATSU C SANN ということで、なぜか通り過ぎてしまった壮年期を取り戻すためにも、納税をきちんと行うためにも、改めて4んで、そして復活遂げる必要があります。 そこで、今回、私の最後のブログは「4んでみた」です。ということで、いい死に方(もう伏字飽きたこまち)ってなんですかね。エアガンを腹に打ち込んだことがあるんですけど、これじゃ全く傷がつかなかったので、きっと銃程度じゃ死なないんだと思います。包丁で指を切っても、別に1日あれば治ったので、包丁でも大して死なないんだと思います。外傷を加える程度じゃ、多分「復活」できないんですよね。そこで、内側から殺してみようと思います。胃液が塩酸ですので、塩酸と反応すると凄い反応をしてくれそうなもの……なんてのはどうでしょうか。大学で勉強したんですけど、塩酸と金属は反応して水素を生み出すらしいです。なかでも、よく酸化してくれるものだと、水素が良くうまれるらしいです。私の回りにあるモノだと、リチウム? ってやつらしいです。私の持っているスマートフォンにも使われているそうなので、スマートフォンを生で食べようと思います。食べてみると、なんかSpotifyが誤作動を起こしたのか井上陽水の少年時代が流れ始めました。夏が過ぎ風あざみ。早く、誰のあこがれにさまよう、水素を発火させないと、青空に残された私の心は夏模様、いけません。夢が覚め夜の中、火が欲しいので歯におが屑を詰め、長い冬が窓を閉じて、火を起こしていきます。呼びかけたままで、急いでネジネジしていきますよ。いきますよ! 夢はつまり3...2...1...想いでのあとさき────


え~~~~~くさつです。無事「復活」できましたか?

以上です。くさつさん。4年間ありがとうございました。お疲れ様です。



10年代前半「あの頃」の復活 byひじき

代理が一、ひじきです。くさつが死んでいるらしいです。南無南無タムタム

今更「20 世紀少年」を読みました。

本当になんで今更「20 世紀少年」?と思われるでしょうが、「大衆向けだが実は読んでいなかった漫画」を急ピッチで読み、冷え気味らしいNF 古漫画市へぶち込もう!という1人企画の産物です。結果的に古漫画市には出せなかったのですが、幼少期の感覚を喚起する良い「復活」体験になったので、記録(とくさつ©︎への鎮魂歌)として残します。ちなみに漫トロシェアハウス宴会部としては「復活してみた」体当たり企画を書こうとして臨死体験から戻ってきていない説を推しています。

読んでいなかった…というか正確には断片的に読んだはずななのですが案の定「忘却」していました(👴)。いやこの忘却にはちゃんと理由があって、漫画版よりも幼少期に見た映画版の方の印象が上回っていたからです。

幼い頃(その頃は家のテレビがブラウン管でした)(👴)に見た映画版「20 世紀少年」前編は衝撃的で、特にロボットがウイルスを噴霧し市民を殺戮していくシーンは当時自分の中で恐怖の象徴でした。明らかに敵対的な巨大なシルエットが、足元の人間に対して、踏み潰すでもなく、ミストの噴霧という一見して暴力的でない振る舞いをすること、その振る舞いが「全身からの出血による死」というこの上なく暴力的な結果を誘発すること、その巨躯にもかかわらず殺害という行為を回りくどく行うこと。これら全てが理解不能で、ともだちの会拡大などのシーンよりもわかりやすく「恐ろしいもの」としての印象が与えられていました。

おそらく次の週放映だった「20世紀少年」中編はひじき少年の恐怖をさらに煽ります。全国に仕掛けられたスーツケースからウイルスが噴霧され、美しい虹が反対に世界の終わりというこの上なく破滅的なモチーフとして機能する。今もどこかで虹が生まれていたらどうしよう?と寝る前に不安になり眠れなくなってましたね。

しかし、一方で痛快でもあったんですよね

(化学系の人間がこんなこと言って大丈夫?)

うおお!化学すげえ!これからの時代はウルトラ怪獣の物理的破壊でなくウイルスによる殺戮や……!と幼いながらに感動していた記憶があります。
(本当に大丈夫かこれ?)

そして今漫画版を改めて読むと、巨大ロボットはハリボテであり、作中の「恐怖の象徴」は虚飾の上で成り立っていたことがわかります。あれっ拍子抜けだな……?

そしてそして今ドラマ版の殺戮シーンを観ると、どこか作り物くさいというか……幼少期の「恐怖の象徴」は幼少期ゆえの感受性の上で成り立っていたことがわかります。あれっ……?

とここまで幼少期とのギャップを書いてきたんてすが、これは「20世紀少年」作中、20世紀に囚われた者たちの感覚とシンクロしているんですよね。作品自体は浦沢直樹の「その場」の技巧ありきなことと思い出とのギャップで面くらい気味だったのですが、これに気づいた時に初めて「20世紀少年」を理解できた気がしました。俺ともだちだったかもしれん。

というわけで今度都心で巨大ロボットが暴れてたら俺の仕業かもしれません。

復活しろくさつ!お前が類で俺がともだち、「破壊」の限りを尽くすんや!




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