どうも、漫トロ3年目のメメ太*1です。
先日、千尋さんのおかげでアドベントカレンダーとは何なのか今更知りました。俺が今書いてるこれって、そういう趣旨のものだったんすね。で、今年のアドカテーマは「復活」ということで。そもそも消滅したものって何があったかな~と思うと、入トロ同期なんですよね。最早ひじき(生きてる?)さんだけになって、なんだか寂しく思います。だからといって、同期の「復活」を望んでいるわけではないですが。同期の話をしても仕方ないので、本編へ。
最近、衝撃的な「復活」漫画に出会った。それは相原コージがギャグ漫画家としての「復活」を掲げて1999年~2000年に描いたメタ・ギャグ漫画。
その名も「相原コージのなにがオモロイの?」だ!
というわけで、俺のアドカは「なにがオモロイの?」の“なにがオモロイのか”を考えてみよう!というテーマで書くぞ。ちなみにマンガ図書館Zで読める。
https://www.mangaz.com/title/index?category=&query=%E7%9B%B8%E5%8E%9F%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B8&sort=&search=inputwww.mangaz.com
オモロイの?
まず「なにがオモロイの?」は、コンセプトからして類を見ないもので面白い。「より多くの人が笑えるギャグが良いギャグである」という仮定のもとで、相原コージによる「万人にウケる“良いギャグ”を追求する」という宣言から始まる。

いかにして追求するのかというと、その方法は至ってシンプル。自分で描いたギャグ漫画についてアンケートを行い、その反応を基に新しいギャグ漫画を描く。この繰り返しにより、誰もが笑える漫画に近づけていこうというのだ。なおアンケートはインターネットと街頭インタビューの2種類が行われ、①「笑えた/笑えなかった」の投票、②作品への意見が集められている。

では早速漫画の中身を見ていこう!今回のアドカでは全45回のうち主に第1~8回について書く(つもり)。理由は後述するように第8回を境に企画の主旨が変わってしまうからだ。
第1回
風俗店という相原コージっぽい下(しも)によった舞台で、お客とキャッチがかなり典型的なボケ・ツッコミを繰り返す作品だ。
ポリンキーからの連想ゲームで秋山仁が出てくるところは、そういうボケ・ツッコミのリズムを一時的に崩してくれて、いいギャップを生んでいると思う。個人的にツボだった。(書き始めてから思ったけど、ギャグ漫画を説明するのって野暮すぎるよなぁ。まぁ漫画の趣旨的にそれも許されると信じたい。)


俺がこの回で個人的に気になったのは2つ。1つ目は、ムフロンという馴染みのない動物が出てきたこと。この後もカラッカルという動物が出てきた理するし、過去作のことも考えると動物好きなのかなぁと思ってしまう。
2つ目は、読者の意見にもある「シャワーを浴びるのにフロントの前を通るのか」という素朴な疑問。昔の風俗の形態を知らないけど、さすがにおかしいよなぁって思ってしまう。相原コージは過去作を見ていても、平気でこういうツッコミどころを描く。ボケや不自然さが面白いとかでもないし、「意味がないからオモロイ」ですらないと思う。そういう引っかかりは漫画を読む流れが乱されるし、作者の格が出ている気がしてしまって悲しい(相原コージは凄い作家だけど)。
第2回
二人組のギャルが珍妙な掛け合いをするという作品。

前回と違って不条理ギャグっぽさが出てきている。読者の反応はノレるか・ノレないかの2択な気がするが…。

あとインターネットと出口調査の笑えた率の差が28ポイントもあるのはどういうことなのだろうか?意見の掲載をインターネット・出口で分けていないので俺の個人的な憶測でしかないが、インターネット投票の人の多くは以前からの相原コージ読者であり、出口の人はそういうわけでもないというのが原因だと思う。全体で見ても出口調査のほうが評価が高くなる傾向があるが、それでも50%はかなりいい結果だ。実は相原コージっぽさを出しつつも、ディープさを排して(元々の読者から嫌われるタイプの描き方なだけかもしれん)大衆に寄ることができた変な漫画なのかもしれない。
第3~5回
第1~2回を経て人間を題材にするのを一旦やめることにし、動物・植物・無機物(石)を擬人化する方向で描いている。
動物を扱った第3回は、「かってにシロクマ」*2の焼き直しと受け取られ笑えた率も30%代にとどまる。実際、動物の種類をヒグマからカラッカル(ネコ科の動物)に変えただけで、「シロクマ」で作ったしっかり者と怠け者の兄弟という形式を流用していることは否めない。しかも兄弟の見分けが難しいことが、可読性を下げているのがさらなる減点ポイントだ。




この頃から、意見の中に単なる誹謗中傷が目立つようになる。とくに第5回は、自殺を促すようなものまである。

第6回
ここから、一度不条理ギャグに立ち戻ろうとする。

まぁ、反応は悪くなるよね。
そして誹謗中傷もより目立つように。

・「笑えた」なんてのは、ヤラセだろ!なぜ気づかない?富士樹海へ行け!
・そろそろ相原さんも自殺を考えてる頃だと思いますが、世間を爆笑の渦に巻き込むような自殺方法でお願いします。そしたら伝説になると思います。

第7回

さすがにやりすぎたので、編集者判断によって第7~12回は出口調査が行われていない。
相原コージの過激さが増せば、読者の意見に攻撃的なものが増えてくる(まともな感想もありはする)。さらに、それに呼応する形で作風の過激化(電波化)が行われていく。こんなことやってたら、相原コージの気が狂っちゃうよ。

そして・・・
第8回


「サルまん」の毒電波じゃねーか!!

「サルまん」こと「サルでも描けるまんが教室」では作者の相原コージ・竹熊健太郎両名が、作中の主人公として覇権を取る漫画を描こうとする。その作中作「とんち番長」は一時商業的な成功を収めるのだが、編集の無理な連載引き延ばしにより、次第に時代遅れになってしまう。そうして正気を失った相原・竹熊が描いたのが「とんち番長」の毒電波だ(当然「とんち番長」はこの後すぐ打ち切られる)。
つまり「サルまん」では、編集の方針に従わざるをえない漫画家が正気を保てなくなる、という悲哀をギャグとして描いている。
一方「なにがオモロイの?」では、読者の過激な反応によっても漫画家が狂ってしまうことを、自分が実際に連載している漫画でもって示してみせた(それ自体がギャグになっている面もある)。つまり「サルまん」の毒電波展開の再生産ではあるが、作中作ではない自分の作品によってそれを成し遂げたのだ。
ここにこそ、相原コージの魅力である(と勝手に思ってる)メタ視点を持ったうえで、それでも体を張ってベタを追求するオモロさがあると言えるんじゃないかな。
また、昨今こそよく問題にされるインターネットにおける作家への誹謗中傷を1999年の時点で完全に戯画化してしまったことも、なかなかすごい。
まぁこんな感じで締めさせてください。第8回以降もなかなかの内容なので、気になった方はぜひ読んでみてね。ばいばーい!
オマケ
毒電波をやっちゃったので、第8回以降は「笑えた率を上げる」という企画の主旨が変わることになる。
第9~25回
は相原コージが考案したネタの読者の反応を見るための試金石といった感じだ。特筆すべきは、第9、16、25回の3つだろう。
第9回
後に連載化する「もにもに」を描いて読者の反応を試しているみたい。第10回も「もにもに」の続きだったので、よっぽど連載化したかったのだろうか。

第26~45回(最終)
26回以降は、特定の読者層をターゲットにしてウケる漫画を描くという方向に企画の主旨を変えた。つまり、今までの出口調査をターゲットを明確にして笑えた率を測る。最終回では、相原自身がエジプトに行ってアンケートを取っていた。


