
ここ数日、毎日ブログを更新している。
1週間前くらいかな。友人に、ブログを更新したくても出来なくてヤキモキしていると伝えたところ「とりあえずなんか書いてみよう」ということになった。だもんで書いている。オイラのブログを購読している人は、通知がピコンピコンなってウザったく感じているのではないか。すみませんそのうち飽きますから。
特に書くことがないなーと思って書かないでいた、というよりは「だいたい2000文字以上書きたいなー」という欲求を発散したくてヤキモキしていたところが大きい。
ランニングが趣味の場合、自由な時間が30分くらいあったとしても、1時間くらいは走りたいから今回はランしない、みたいな感じに似ている。と思う。オイラは走るの趣味じゃないけど。
オイラはブログ以外にも実況プレイ動画を拵えるのが趣味なんだが、どちらも他人の目に晒すところまでが趣味の範疇だ。だからなのか、ブログを書くにしても動画を撮るにしても「これくらいはないとダメなのでは」と思ってしまう。
動画の長さも20分程度に収めようとするのも、2000文字以上書きたがるのも、出所の分からないサービス精神や固定観念によるものだ。確かに2000文字以上のブログを読みたい人がオイラのブログを購読してる可能性はあるし、毎週動画を見に来る人も20分程度の動画の長さを期待しているかもしれない。
が、そうじゃないかもしれない。だったらあまり気にしなくて良いのでは?と思って、毎日思ったこと・起こったことを長さや品質を気にせず書いている。
全然関係ないんだが、オイラは人や物を細かく観察し、詳しく書かれた文は好みではない。
細かい文章には神秘性を感じない。分からない物を分からないままに、ぼんやりと捉えるのが好きである。雑でテキトーと言っても良い。
また、特に人(自己を含む)を観察・分析した文章は、醜聞めいていて見ていたくない。例えそれが誰かにポジティブな評価をするためのものだったとしても。
そういった文章とそれを書いた人間を讃える風潮からも、なるべく距離を置いている。より分かることや、より伝えることがそんなに大切なんかいな、と思うから。分かりたい、伝えたいという欲求があるのは知っていて、その精度や深度を高めようとする気持ちも、なんとなくは理解できる。しかし、そうあればあるほど良いという価値観は、意味がわからない。それを知るためにいろんな本を読んだこともあるのだけれど、その「良さ」みたいなのはまだ分かれないんだよなー。
もし分かれたら、それを許容することが出来たら、もっといろんな物を楽しめると思うんだがなぁ。そのうちわかるか。
そんなわけで、オイラのブログはあまり事細かに書かないし、書きたい欲求が沸いてもそれを無視してテキトーにアレとかソレとかでお茶を濁して終わりにしている。