面白い論文の記事です。「なぜ、武力を持とうと考えるのか」を考える上で、政治や外交でなく人の心に注目した実験です。こういうアプローチはわかりやすくて♡好き。
あなたは本当に「論理的」か?…「攻撃ボタン」実験が明らかにする「持つもの」の心理と人間の誤作動
https://news.yahoo.co.jp/articles/5b2cbceed70a34f2a5acfd4bd31336f517710d68
◆ルール 攻撃ボタンを押すと、自らは100点を失うが、押された相手は1000点を失う。互いに押さない場合はそのまま1500点ずつを得る。先制攻撃した方だけが効力を持つ。つまり攻撃ボタンを押すと確実に100点を失い、相手にダメージを与える以外に得することは何もありません。一番得をするのは互いに押さない場合で、1500点ずつを得られます。
◆論理 双方がボタンを持っていると、「相手から攻撃され、被害を受けるかもしれない」という恐怖が互いに生まれ、「その前に自分から」という先制攻撃を誘発する。そのため、「ボタンを持たない」という選択をする方が、相手側の恐怖はなくなり、攻撃されるリスクも低くなる。つまり、論理的には「持たない」方が得点の「期待値」は高くなる。

(アキノキリンソウ=アワダチソウの花言葉は「警戒」「用心」など)
◆非論理を選ぶ人間 結果は半数以上の人が攻撃ボタンを持ち、ボタンを押したようです。これは日本の学者が行った実験ですから、日本人がおもな実験対象なのかな? だとしたら、意外に多い結果だと思いました。非核三原則を持ち、決して好戦的ではない特性の日本人。それ以外の人で実験したら、もっと大勢がボタンを持って押すのでは?
◆恐怖心 論文でも「恐怖」が「先制攻撃」を誘発するとされ、私は激しく同意しました。恐怖で人は狂うし、あらゆる犯罪の根底にあると思います。だって😕虐めを傍観したり参加したりするのは、自分が虐められる側になるのが怖いからですよね? そして飢えるのが怖いから盗むし、馬鹿にされるのが怖いから嘘をつくし、負けるのが怖いから他者を出し抜きますよね。表面的なところは虚栄心だったり差別だったり色々あっても、奥底を探れば恐怖にたどり付く、というのが私の持論です。そして私は怖がりです。
◆感情 実験でも証明されましたが、人を動かす強い力は論理より感情だと思います。その人の根源に近くて、時や場によって変化しにくく他者に左右もされないから。人を狂わせる恐怖の感情も、本来は究極の危機回避能力でしょう。そういえば私は、DVからの回復時に「悪い感情というものは存在しない」と本で読みました。問題になるのは感情ではなく、その感情の扱い方ですね。喜びは肉体ごと元気にしてくれるし、悲しみは他者に寄り添わせてくれるし、怒りは正義を行わせてくれます。
◆意志 唯一、強い感情に打ち勝つ可能性があるのは「意志」だと思います(愛は最強ですが感情と混じり合いやすいですね)。感情に正しく意志がプラスされれば力になるのでは?と、私の妄想が始まります。
- 例:誘拐監禁された(恐怖)+ 絶対に生き延びてやる(意志)= 脱出策を練る(勇気と活力)
- 例:大切な人が事故に遭う(悲しみ)+ これを無駄にするまい(意志)= 安全策の開発や同じ境遇の人を励ます(勇気と活力)
- 私の過去も。恐怖や怒りや憤り等のおかげで、気の弱い一般人のくせに本を出しサイトを作って活動しました。あれは「この経験を生かしてやる!」という意志で自分らしからぬ行動力でした。今もあのころの残り火くらいはあるかな。
◆力と責任 数年前にこんな記事を書きました。武力に限らず力を多く持っている側が、少ない側より責任が重いと思うのです。
武力を持つあるいは使う選択をする権力者は、どれだけ重い責任を背負っていることか(原爆を造ったオッペンハイマーさんはかなり悩んだようですね)。全人類の命を左右する権力者に、生きているのが辛くなりませんか❓と聞いてみたくなります。それとも、関係者が多いだけに責任も分散している気分で、単純に無責任になるのかな?