同じ苦労でも、相手の善意がわかるのとそうでないのでは、受け止めようがまったく違いますね。私は幸いにも、これまでの介護で相手の意図がまったくわからない事態は未経験です。
あなたは気づいていましたか? 認知症の人の「不可解な行動」に隠されていたのは「周囲への思いやり」だった
◆私の父の例 すぐ思い出したのは、父が入院する少し前のことです。田舎で不幸があり母が留守にする際、私が久しぶりに実家へ行きました。そこで父の夕飯の支度をしている間に、まったく出歩かなくなったはずの父が消えました。私と夫への「おみやげに」と、近くに牛丼を買いに行った帰りに転び、しばし動けなかったそうです。牛丼は不要だったし余計な心配をかけられましたが、大事には至らず父の好意はありがたく受け取れました。

(ポピーの花言葉は「思いやり」「いたわり」「慰め」など)
◆義父の例 もうひとつは亡くなった義父のお話しです。長期入院した義母の退院が決まり、リハビリ病院スタッフの指導のもと室内を整えました。退院日の朝、私が夫の実家に立ち寄ると、義母が使うはずの重い介護ベッドの位置が、数十センチもずれています。トイレまでの距離や手すりの位置を、しっかり計算して置かれたのに···でも義父は、きっと義母のために何かしてあげたかったのでしょう。義父は止められていたにもかかわらず、義母のお見舞いにひとりで行こうとして迷子になったこともあります。当時のことを書いた記事はこちら↓
◆相手の思いを考える いくつになっても認知機能が衰えても、人が「誰かの役に立ちたがる」ことは比較的知られています。少し脱線しますが受けとめる側の思いを。私は相手が認知症の人に限らず、嫌な目にあったときに相手の意図を考えることで、自分がうけた痛みを減らせると思います。相手の善意からだと納得できれば尚更です。ただし考えるのも😓程度問題ですが。(私は過去のDV経験で自我を殺し相手の気持ちばかりを考え過ぎでした)
◆仕事をしていたい 自分の遠くはない未来を考えます。まず定年が来たときに自分が「社会の役に立てず」「稼げない」とがっかりするだろうと推測できます。私はそのための準備を始めたばかりです。会社とのつながりが消え通勤する体力が落ちても、書くこととナレーションは出来るでしょう。中身が伴えば収入も得られるので、今から経験値を上げておきたいです。ただこれらに体力は不要でも、身体機能の衰えはやはり足かせですね。持久力も落ちたし体のあちこちに痛みが出たりして。
◆足かせになる衰え 今の一番の悩みは「目」の衰えで、パソコンに向かうのがつらいことです。しかもスポーツではないのに、動体視力の衰えを感じます。勝手な持論ですが、長い文章をスラスラ読むには動体視力が必要です。若いころは初見の文章でもサラサラ音読できたのにな(目の速さはそろばんで鍛えられたと思います)。もちろん声のおばさん化が進むことは、ナレーションには不利です。
私が温存したり鍛えたりすべき筋肉は、特に目と声帯ですね。歩くことは長年通勤通学でやってすでに足を痛めましたから、もう必要以上には歩きません。なるべく自転車で動きます!