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雨よけカバーを見て残り時間に想いをはせる

 私の自転車の後ろのカゴには、母が手作りした雨よけカバーがついています。何年も前に私が母の誕生日にプレゼントした傘が古くなり、リメイクしてくれました。当然ながら雨に強く目立つので、自転車置き場で探しやすくて便利です。洋裁の得意な母は、カバーが飛んでしまわないようカゴに取りつけるホックもつけてくれています。

◆思い出した感覚 そのカバーを見て、ふと「あとどのくらいこうしていられるのかな」と思いました。そしてこういう感覚を、義両親に対してずっと持ちながら介護生活していたのを思い出しました。夫の両親は私の両親よりひとまわり年上で、同列に考えにくかったです。介護期間はほぼ夫の実家のことしか頭になく、私の母はむしろこちらの助けになってくれる存在でした。

          

(ユスラウメ=梅桃の花言葉は「郷愁」「輝き」など)

◆亡くなった義両親のこと 段々弱ってくる義両親のところに向かう際、疲れているけれどその時間を貴重なもののように感じていました。あと何回この道を自転車で走るだろう。あと何回あの店で義両親の必需品や好物を買物するのだろう。いずれあの店もこの病院も行く必要は無くなるから、縁が終わると思いました。特にふたりとも入院した後、空っぽになった家の寂しさはひとしおでした。家も取壊しが決まっていたので、家に向かって何度もお礼を言いました「ずっと家族を守ってくれてありがとう」。忙しくて長く感傷にひたる時間がなかったのは、むしろ幸いだったかも知れません。

◆じんわりくるタイプ 私はこうして長くじわじわと寂しさを感じます。昔から郷愁の思いが強い子どもでした。いえ望郷とは違うし郷愁ともちょっと違うのかな。とにかくかかわった人や場所や物や事柄への愛着が強い気がします。「もうこの場所に来ることはない」とか「このメンバーが全員集うことは二度とない」という状況に切なくなります。泣きはしませんし、特に生活に影響もありませんけれど。

◆ショックを分散しているのか 早くからゆっくり感じるおかげか、いざその時に嵐のような感情には苛まれない気がします。同居していないので実感がわきにくいし、義両親のときと同様に亡くなる前も後も機会あるごとに思い起こして寂しがると思います。実親の場合の方が、より喪失感は大きいだろうと思いますが。(義両親の場合は友人を失った感覚に近かったです)

◆残りの時間 自分の両親にそんなことを思う時期が来てしまったなあ、と感じます。残りの時間を大切にしなくては。以前、母の長年の親友が年賀状に書いてくださった言葉を思い出します。両親が元気なうちに「自分が子どものころの話をたくさん聞いておいてね」と。両親しか知らない私の一面もたくさんあるのでしょう。その母の親友からすでに数年前「新年のご挨拶は終了」との通知がありました。私がお目にかかる機会があるとすれば、もうどちらかのお葬式くらいでしょう。それも寂しいです。

◆父に聞かねば 父の記憶力はすでに危うくなってきているので、早く話を聞かないと聞き損ねるかも知れません。でも相変わらず施設での面会は1回に15分のみです。しかもなんと今日、父がコロナに罹患したと連絡がありました。提携の病院に連れていってくれたそうです。退院して施設に入ったばかりなのに・・・軽くてすんで早く治ってくれますように!




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