スピリチュアルっぽい話だが…
まだ起きていない未来を、まるで起きたかのように喜んで、心から祝うことで、実際にそういう未来を引き寄せていこうという行為を「予祝(よしゅく)」というそうだ。
※厳密にはもっと色々な意味があるはずですが、超ざっくり説明ですのでご了承ください。
先日の日曜日にゴスペラーズのコンサートへ行って以来、ゴスペラーズの私が好きな曲だけを集めたプレイリストを聴き直しているのだが…
その中の一曲から、かつての私が、意図せずしていた「予祝」のことが、ふいに記憶から蘇ってきた。
決してメジャーではないけれど、多分私の中でゴスペラーズの好きな曲BEST5に入るこの曲。
この曲を絶対に自分の結婚式で使うのだと、当時新社会人になろうとしていた私は夢見ていた。
近くに水辺がある小さな結婚式場で、白と緑でまとめた空間で、花をたくさん飾って、この曲が流れている大好きな人と歩いて…と。
とにかくひたすら具体的なイメージを描いて、予定もないのにワクワクして…考えただけで幸せな気分になっていた。
それこそ、「予祝」に近い感じのことをしていた。
しかし。
その「幸せ」の感覚を覚えて、実際に現実のものにするということは叶わなかった。
今振り返ると、叶わなかった理由がわかる気がする。
憧れだけで、本当に現実になるという風に心からは思えなかったのだ。
当時の私は私が大嫌いで、私が幸せになる未来をどうしても思い描けなかった。
私にお金をかけるなどもってのほか
それなら親に仕送りしなくては
4つの奨学金、完済しなくちゃ
好きな人は私が尽くさなければ、いつかいなくなってしまう
再婚した父親のように、不倫して捨てていく
ささやかで甘美な予祝ごっこなど太刀打ちできないほど、遥かに根深く強固で頑固で、どす黒い呪いのような自己否定が私をがんじがらめにしていた。
社会人になり4年後に結婚が決まったとき、「お金がもったいないから」「私なんかのために来てくれる人などいるはずがない」と、あんなにあこがれてイメージしていたのに、ほぼ即答で結婚式を拒絶。
元夫の両親から勧められてフォトウェディングは辛うじて行った。
指輪も要らないといったが、これもやはり元夫の両親の「せっかくお嫁に来てくれたのだから」という計らいで作ってもらった。
(離婚したけれど未だに元義両親と程よい距離で会話が出来るのは、当時から変わらないお二人の優しさのおかげ。幸せなことだと思う。)
友人や知人が素敵な結婚式をしたと見聞きするたびに、「あれは私と世界が違う出来事」と言い聞かせ、私なんかに、ふさわしくない、出来っこないと思っていた。
いつでも出来ない理由を探して、本当は選べる幸せな未来に踏み出そうとしなかった私に、憧れる未来など来るわけがないのだ。
そう考えると、「引き寄せの法則」というのは、特に悪い未来については本当にあるのだと思う。
そうやって過去を省みることができた今、2025年。
夢見ていたあの頃から15年以上経ってしまったが、最近少しずつ、「私も私が望む未来を受け取って良い」「私にもそれだけの価値はあるはず、多分。少しは。」くらいの気持ちは持てるようになってきた。
もしも次の結婚というこ゚縁があれば、どんなにおばさんと言われる年になっていても、夢見た光景を実現するつもり。
その時に鏡を見て、自分にワクワク出来るように、これからも前を向く。
ゴスペラーズの歌は、やはり私の分岐点にいつもあるなぁ、としみじみ思いながら、今日もまたプレイリストを再生する。

タイトルは、ゴスペラーズ「青い鳥」のフレーズから。