この数日またブログを書けなくなっていたのは、祖母が危篤状態と連絡を受けたからだった。
同じ県内に住んでいる祖母。
私の母親が離婚して地元へ戻って以降、7歳の時から近所で暮らして、毎日学校帰りには祖父母宅へ行って、たくさん一緒に過ごした母方の祖父母。
祖父は一昨年の6月に他界した。
そして祖母は昨年から体調を崩していた。
病気のせいで、コロナのワクチンが打てていないと聞いたので、敢えて、お盆正月は会いに行かなかった。何かあったら悲しいから。
そんな祖母は、先週倒れてしまったそうだ。
私の母は、祖母のことを私たちにギリギリまで黙っていた。
元々、言いにくいことは後回しにする人で、手遅れになってからおずおずと話し出して私とよくケンカしてきているが、今回も動揺したのかそんな調子だった。
もっと早く言ってくれたら、コロナが落ち着いていた秋の終わり頃に会いに行ったのに。
いつどうなってもおかしくない。
体力的に手術はおろか、胃ろうも難しく、水分補給も誤嚥性肺炎を起こすリスクから方法が限られているのだとか。
会話も難しくなっちゃったから、さすがに言わなくちゃと思って…、と母。
であればせめて、一度会いに行きたいと思った。
コロナが怖いなら、車でノンストップで行って、窓越しに数分でもいいから、と。
でも、悲しいことにそれもダメだと言う。
田舎のコロナ差別はひどいもので、村八分にされるのは困る、どんなに注意していても来ること自体、ダメだ、と。
コロナにかかりたくない、ばーちゃんはさておき周りに移されると困る、の一点張りだという。
母はもう少しマイルドに言っていたが、現地の親戚があまりに頑ななので、ついに諦めざるを得なかった。
祖母とは、15歳で盛岡の高校へ行くために家を出た私とは、他の孫よりかなり短い付き合いだったと思う。
私は異論があるとすぐに言い返す強気な孫だったので、ある意味では可愛げがなくて、ある意味では頼りになると、よく言われていた。
割とドライな気持ちで今に向き合ってはいるが、それでも脳裏に心配はよぎる。
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祖母と過ごした時間を思うと、必ずと言って良いほど思い浮かぶ景色がある。
小高い丘のみどり一面の畑と快晴の空と、新しくはないけれど落ち着く家々と、その中でみんなで畑仕事や田植えをしている片隅で、虫や花を追いかけている私や妹や弟。
10時になるとこびるだといい、黒飴とか麩菓子とか、内心ちょっとときめかないおやつが出てきて、それでも外で食べると何倍も美味しく感じた。
晴れの日は外で大きな釜でとうもろこしを茹でたり小豆を煮たり、雨の日は家の中で団子やうどんをこしらえたりした。
晴れなら晴れなりに、雨なら雨なりに、出来ることを楽しむ祖父母の姿は、今も心の中にある。
いつかそういう日を私も送りたいと、時代は変わった今でも思う。
今の祖母は声を出すのも辛いらしいのだが、私の頭の中には、祖父の声も祖母の声も、ちゃんと生きて残っている。
会えたら良いが…
…会えなくても心にはいるのだ
そう言い聞かせて遠くから少しでも祖母の苦しいのが楽になるよう祈る。