
推理パズルの、ごくごく個人的な、感覚的な話。
ヒント部分の書き方はいろいろあります。
【パターン1】箇条書き形式
・ちなつが好きな野菜はナスではない
・好きな野菜がナスの子が好きな色は紺
・赤が好きな子の好きな野菜は、トマトでも赤カブでもない
・ちあきの好きな色は青
・ちふゆの好きな野菜は赤カブ
【パターン2】セリフ形式
「暑いねえ、夏だねえ。夏野菜といえばナスだよね。でも、ちなつちゃんが好きな野菜はナスじゃないんだ。 ナスが好きな子が好きな色は紺なんだって。茄子紺ってキレイだものね。 もっとも、赤が好きな子が好きな野菜はトマトでも赤カブでもないから、これも関係しない話だけどさ。 ところで突然思い出したんだけど、ちあきちゃんの好きな色は青で、ちふゆちゃんの好きな野菜は赤カブだよ」
箇条書きの伝わりやすさと、セリフ形式の読み解いていく楽しさと、どちらも長所がありますよね。
さて、このふたつのパターンの中間として、次のような形式があります。
【パターン3】セリフ箇条書き形式
・「ちあきちゃんの好きな色は青で、ちふゆちゃんの好きな野菜は赤カブだよ」
・「ナスが好きな子が好きな色は紺なんだって。茄子紺ってキレイだものね」
・「赤が好きな子は、トマトか赤カブが好きなんだと思うでしょ? 意外にも、トマトも赤カブも好きじゃないってさ」
・「夏野菜といえばナスだけど、ちなつちゃんが好きな野菜はナスじゃないんだよ」
これがわたくしは結構好きで、よく採用するんですという話なんですけど。
詳しく説明するのに、わたくしの能力が追いつかないので、以下の図をご覧ください。

パターン2、パターン3を模式図にしたつもりです。
パターン1は、問題の中に会話の主体が登場していないので、この表現にはならないかな、と思います。
それで、ですよ。
作者と解き手がともに問題の外にあるという、冷静な認識ならこれでいいのです。
が、解いていて、問題に没入しているときに、作者と解き手はどこにいるか、ということを考えたい。
パターン2の場合、素直にこうなるのでは、と思います。

ところが、パターン3の場合、こんな感じになるのでは、と、思うのです。

なぜかというと、パターン3は、解き手に届く情報が取捨選択され、整理されていますよね。
つまり、パズルを成立させる意図(=作者の意図)はどこにあるかというと、聞き手の部分に存在していると思うのです。
一方、語りかけられているという事象もパワフルで、解き手も聞き手に自然に感情移入するのではないか。
ということは、聞き手という存在に、作者と解き手が都合よく2重写しされているのではなかろうか。どうでしょう。
さてここで、そもそもですが、推理パズルで、「聞き手」の存在は意識されますでしょうか。
わざと図には書きましたが、ほぼ、意識して解いていないのではないでしょうか。
もし、意識していたとしても、ほとんど「解き手」の意識が支配的なのではないか。
つまり、パターン3を採用することにより、問題から「作者」をうまいこと消去できるのではないか、というのが主張です。
という、とりとめもない話なのですが。
最初に宣言したとおりに、ごくごく個人的な、感覚的な話ですので、うまく〆られなくて御勘弁。