なぜ友達を選ぶかのように政治家を選ぶのか
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ポピュリズムの問題点は、「熟議かスピードか」という政治の《本来的》文法の次元から外れて政治家が選ばれている点にあります。「イメージ」「好感度」「親しみやすさ」「知名度」「がんばり」などですね。たまたま議論よりも決定の方が「わかりやすいしかっこよく」みえるので、ポピュリズム政治家は「スピード重視」という言葉を好んで使うだけです。仮に「よく考えて無理に決定しない」のがかっこいい世界があるのなら、ポピュリズムの政治家は、あれこれ考えるだけで決定しない政治家を演じるでしょう。「好感度」「がんばってる」「やってくれそうなイメージ」というのは、友達やサークルのリーダーを決めるとき、あるいはアイドル総選挙やコミックのキャラクターの人気投票には機能するかもしれませんが、政治では全く機能しません。同じく、科学者を選ぶとき、科学の知識、スキル、業績などを無視して人柄やイメージで決めちゃうと、壮大なリソースの無駄遣いになります。「相対性理論の妥当性を、アインシュタイン博士の頑張り具合で決める」ような奇妙な世界です。
▼「面倒」だから「好感度で選ぶ」のか?
ではなぜ、政治を前に進めるスキルがない人が「選ばれてしまう」のか。つまり、「イメージ」「好感度」「親しみやすさ」の文法が、その故郷(日常生活の親密圏)を離れて、公的な領域を浸食し、その結果「活動が空転」してしまうのか。・・・・
だいたい、正論なのだ。
だが……、なんというかね。たとえば極端にいえば、やはり政治家が勉強するには国会周辺にいて、役人や専門家や知識人と対話して、勉強会に出て……のほうがいろいろ有益でしょう。
いわゆる「金帰火来」、盆踊りに出てお祭りに顔を出して、運動会で挨拶して……は、「無駄」なことが多い。
もちろん、地元の生の声は本以上に勉強になるのだ、とか言えなくもないが、まあ、ね……。
だけど、日本で国会が1890年に生まれて早1世紀以上。民主化されて80年。
その中で、やっぱり「どぶ板選挙」、「選挙カーで町中を回って連呼」が、政治家を選ぶ基準になってきた。それを批判する声は、時折出たけど、けっきょくは現実の選挙結果に駆逐された。
……という話を、2026年2月17日現在で公開されている「ビッコミ」サイト配信(雑誌は「スピリッツ」連載です)の「魔界の議場」の回は描いてる。
魔界の議場 三田紀房(原作) 魚戸おさむ(漫画)
月曜更新
引きこもり歴、15年。"終わった男"の人生大逆転劇!?中学時代のいじめが原因で、15歳から30歳まで・・・
15年間引きこもり生活を送っている久和正人(くわ・まさと)。”終わった男”が、人生をめちゃくちゃにされた相手に復讐するため自分から最も遠い場所──議場を目指す!?
最初の三話も無料だから、大前提の設定とか知りたい人はそっちも。
魔界の議場の全話(1ページ目) | ビッコミ(ビッグコミックス)
実は原作は「ドラゴン桜」の人、漫画は「家栽の人」の黄金タッグなんよ。
※今回のこの記事で「魔界の議場」に興味を持った人は、そこから広げて「小学館雑誌(ビッコミ、サンデー)は、かなりの主力作品がやや雑誌から遅れて無料配信している」ということを再確認し、いろいろ覗いてみてください。また、面白い回があったら、もっとブクマをはてな内でやっていきませんか?
…みたいな話です↓
m-dojo.hatenadiary.com
そして同作品の16話、17話は、けっきょく選挙に必要なのはドブ板と笑顔だ、という話で…


このへん、ドラゴン桜風だね…




・田んぼに革靴で、笑顔で手を振って入っていく
・犬にも挨拶する
・有権者の顔と名前は忘れない
・イケメンを利用して目を見て握手してぐっと引き寄せる
・・・・・・どれもこれも、民主主義の根本から見れば無縁、あるいは枝葉もいいところ、あるいは逆によくない効果すらもたらしそうなものもある。
ただ、現実として
こういう要素を排除する、ったってできない……ので
「残念ながら、こういう要素を持っている(上の論文でいえば「友達として選ばれる資質がある」)人のみが選ばれる」というのを大前提にして、それがある人々の中で、優れた政策や識見を持っている人を選んでいく……、ということしか、少なくとも大衆民主社会では、できないんじゃないか(※完全に民主制の要素を無くした国家なら、そういう資質皆無だけど有能、という人物が権力を得ることもできるだろう)。
自分が最初にポピュリズムという言葉を知ったのは高坂正堯氏経由だったけど、その時の言葉は
「ポピュリズムは全く自分の趣味にあわない。だがそれによって時々は政治を「洗う」必要があるのだ」
そんなことを考えるために、今話題のnote記事と、無料公開の選挙漫画「魔界の議場」を合わせて紹介した。
思い出したので追記 福田恆存翻訳 「コリオレイナス」
実際に見たわけではなく、訳した福田恆存の解題を読んだだけなんだけど。
いまは新訳も出てるようだね
さて、この「コリオレーナス」はシェイクスピアの歴史劇の中でももっとも上演回数が少ない作品だと聞いていた。
だから一般的に言って「面白くない」のかもしれないと思ったが、特にシェイクスピア好きでもない僕のようなものでも存外楽しめた。
それというのも話が非常に単純で説教臭くもなく、主題も骨格もはっ きりした物語だと感じたからである。見方によれば今こそ上演するにふさわしいシェイクスピア歴史劇だということも出来る。
ローマ共和制(紀元前4.5世紀)と言う時代は、あまりよく知られていない。
勿論シェイクスピアは芝居の冒頭から(17世紀の、そして現代の)観客にそれ がどんなものであったかを巧みに知らせる。
平民は飢えている。それを穀物を独占する貴族のせいだとして暴動を計画し民衆が集まってくる。
とりわけ、ケーアス・マーシャス(宮本充・田中正彦とWキャスト)は民衆の第一の敵である。彼は倣満で残忍、平民を蔑み憎んですらいると話しているところへ貴族であるメ ニーニアス・アグリッパ(小山武宏)が登場し、マーシャスの武勲を称え、彼が強欲と悪徳とは無縁であると彼の人となりを説明する。
そして、民衆の飢えも神々のなせることで暴動は無意味だと説得にかかる。
このときの市民たちとのやり取りの中でローマ共和制の骨格が明らかにされる。王族を追放した後に残った貴族と平民 は執政官を置いて政治を付託することにした。貴族に対して平民の立場を代表する護民官を選出し代議員とする。そして執政官になるには平民の投票による承認 を得なければならない。現代の民主政治に似ている。
しかし、どういうわけかケーアス・マーシャスは平民を軽べつしてはばからない。民衆はずる賢く利己的 で、信用が置けないウジ虫同然の存在だというのである。平民が憎むのは当然である。
そこへ隣国山地コリオライのヴォルサイ人が挙兵しローマに迫っていると言う知らせが入る。敵将はタラス・オーフィディアス(田中明彦とWキャスト)、マーシャスにとっては幾度か剣を交えたことのある人格高潔の戦士である。
マーシャスはこれに撃って出てオーフィディアスを撃退しローマを侵略から守る。このとき獲得したコリオライに因んで、以降ケーアス・マーシャス・コリオレイナスと呼ばれることになったのだ。
凱旋したコリオレイナスを貴族院は執政官に推薦する。彼は固辞するが、結局貴族の説得に応じてこれを受諾、平民の審判を受けるために街頭に……