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ハルク・ホーガン逝去。プロレス界を「現在のスタイル」に、完全に変えた男でした。




……ハルク・ホーガンさんが死去したことが、24日(日本時間25日)分かった。71歳だった。米の複数メディアが報じた。

 米芸能専門サイトTMZによると、24日早朝、フロリダ州クリアウォーターにあるホーガンさんの自宅に救急隊が派遣された。オペレーターは「心停止」に関するものだと伝えた。ホーガンさんの家の外には多数のパトカーと救急車が停まっており、ホーガンさんは担架で救急車に運ばれた。

 警察によれば、当局は午前9時51分に通報に応じ、ホーガンさんはクリアウォーター消防救助隊の隊員による治療を受けた後、近くの病院に搬送されたという。しかし病院で死亡が確認された。
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「列伝」主人公で存命はハンセン、マスカラス、ドリー、T・J・シン、タイガーマスク、カブキか…
過去にこんな記事書いた
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WWE(かつてはWWFだが、便宜上全部WWEとする)のビンス・マクマホンJrが、父親シニアからNYのプロレス団体事業を家業として譲渡された時(ちゃんと凄いお金を出して買ったそうだ、シビア!)、その地区その地区ごとにローカルのヒーローがすみ分けていて、その地区ごとに客を呼んで木戸銭を貰う(たまにNWAチャンピオンや、「世界8番目の不思議」アンドレや「キングコング」ブロディがやってきて地元のヒーローあやうし!で盛り上がる)、そんな古き良き時代だったものが「全米にケーブルテレビ用映像を配信、この国を…いや世界をWWEプロレス一色にそめてやるーーーーー!」とスターウォーズチックな野望を抱いた!

だが……「しかし、そんな全米がこぞって熱狂するような、これぞアメリカの象徴!!!みたいなヒーロー候補がいるのか???」となった。


そしてその結果、白羽の矢を立てたのがこのハルク・ホーガン!当時の現王者だったボブ・バックランドはたしかに役者不足ではあったが、レスリングのしっかりした誰もが認めるシューター、猛者だったはずなのに…。

かなりバックランドにとっては不本意な形で王座交代劇があり、”柔道全日本王者を極めた男”とも呼ばれるアイアン・シークを間に挟んで”リアルアメリカン”ハルク・ホーガンが誕生した、というわけ。



その後はマクマホンの傑出したビジネス手腕もあり、見事なまでに「古き良きプロレスの、地域ローカルヒーロー」が色あせて見えるようなかっこよさを演じ、本当にいまやWWEが”世界制覇”をしてしまったことはご承知の通り。


で、当時シュートの腕に覚えのあるローカルヒーローも多かったし、そんなホーガンをくさす人も多かった。

たしか当時、ルー・テーズが思いっきり批判に回り「自分はホーガンを今でも片手で5分で倒せる。私と同世代の仲間にはそんな奴がゴロゴロいるよ!!」と日本のメディアで公言したのは結構衝撃だった。その後、テーズはその「今のプロレスはなっちょらん節」で商売するようになり、「しかしUインターは本物だ!」みたいに……しかし、それもプロレスに命を懸けた男の晩年のビジネスとしてはありだと、私は思う!!!(なぜか「アントニオ猪木談」調)



しかし、一方でホーガンは「自分はヒロ・マツダ道場で地獄のトレーニングをして、新日本で本格レスリングを学んだ男!そういうキャリアを積まない男を俺は尊敬しない」と言ってたらしい。
歴代の部活OBが「今のうちの部の後輩どもは軟弱すぎる!俺の時代はこんなもんじゃなかった」と毎年言い続けるようなアレ、プロレス界でもある(笑)


ただ、実際にWWEをやめて新日に来た時は、こういう細かい関節技の攻防とかを好んでやりたがるの、やや、とってつけた感じで(笑)

ハルク・ホーガンは実はヒロ・マツダに指導されて、 アントニオ猪木新日本プロレスで育ったことをかなり誇りに思っており「俺は日本人と一緒にハードウェイで育てられてプロレスラーになった。他のアメリカのレスラーは生半可なトレーニングで口ばっかりでプロレスができない」「俺はハードウェイを誇りに思っている」「そんなに簡単にプロレスラーになった人間を俺は尊敬しない」 と、悪い新日本育ちみたいなプライドを持っていたそうな。
しかしタイガー服部が「また日本で戦ってくれ」とギャラ額を提示すると「それだとブーツ片方しか履けないな」
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そうそう、全米侵攻時代に戻るけど、「レッスルマニア」という超スーパーカードを成功させたし、「3」ではヒール転向のアンドレとシングルを行い、キャリアに置いてフォール負けなし!とされてきたアンドレをボディスラムで投げ、そしてピンフォールを奪い完全決着したそうな。これはやはり大事件で、あの完璧におぜん立てされたマクマホンプロレスであっても、まだレスラー同士の機微がリング上で発揮された時代でもあってホーガンは「ボス(アンドレ)は本当に俺にフォール負けしてくれるのか?最後は裏切って俺に仕掛けてくるんじゃないか?」と不安いっぱいだったそうな。そんな時代でもあったし、アンドレも「怒らせたらヤバイ」とリング上でガチの実力も評価されていた。その相手に前田日明は…と続くのだが略す。


あと1990-1991年の湾岸戦争で、リングの上に「イラク側に寝返った悪役」を登場させてホーガンがそれを成敗、お茶の間は喝采したものの「いくらなんでも不謹慎すぎる」と怒られが発生した、というのもあったね。

その後は散発的にWWEの中で、違法な筋力増強剤使用に関するスキャンダルがあったが、ホーガンも名前が浮上して…結局、逮捕されるとかそういうのはなかったが、やってないわけが(略)



そしてビンス・マクマホンと派手な大げんかをして、当時はまだWWEと全米人気を二分した、CNNのテッド・ターナーが背後にいたWCWに移籍。
もしWWEに生涯忠実なカンパニーマンで居続けたら、更にWWEは順調に発展してたけどプロレス史はその分平坦でつまらなくなったし、何より会社とレスラーの関係がいまよりずっと、後者が弱かったろう。
そういう点でもプロレス史を作ったと言える。


また、この中で「そんな大スターが、完全に悪役に回る」というアイデアに乗っかり、まだまだプロレスを真剣に見ている人も多かったファンを大激震させた。


その大地震津波となって日本にも到達、nWoが日本プロレス史においても金字塔となったのは言うまでもない。


その後は数回、ビンスと和解&また大喧嘩を繰り返し、「いま現在のスーパースターに、その彼が少年時代憧れた伝説のスターが立ちはだかり、敗れてレガシーを譲る」という名場面を演じた。





そこから下った短い「晩年」は、差別暴言の音声が流出したとか、リアリティショーに家族ぐるみで出てて有名人でもある娘たちと険悪な関係となったとか、トランプ支持集会に登場して大接戦の最後の決め手となったとか、断片しか聞こえてこない…プロレス経由ではなく、日本にも多い「ハリウッドゴシップ界隈」のほうが詳しいんじゃないかな。正直断片的すぎて、文脈が掴めない情報も多かった。


しかし、そんないろいろを越えて、スーパースターの訃報でした。安らかなれ。

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ハルク・ホーガン逝去



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