速い身のこなしアラブ刀術👍
— 中国武術教室道場 /日本馬氏通備武術協会(公式) (@tongbeijapan) April 18, 2025
We practice Muslim wushu. pic.twitter.com/07xeOpwGpY
日本の居合と似たような刀捌き。ある種の収斂進化なんかなぁ。こんなの見ちゃうと蒙古の馬上弓とアラブ騎兵の弓術、那須与一の弓術との比較とか…あっ、いえ、なんでも無いです戯言です。
— ゆうゆう (@lednight) 2025年4月19日
これはほぼ日本剣術の影響かなぁ。
— 道具屋皇士 (@KqkeeYEYjGlxeJz) April 19, 2025
アラブ剣術ほとんど失伝してて、他の似たような剣術を参考に現在復古再現の真っ最中、て話を聞いたことがある。まあヨーロッパの剣術もここ三十年くらいそんな感じだったしなあ。
所謂、素肌か鎧かとか騎馬か徒歩かでまた少し変わってくるからなあ。
騎馬鎧◯… https://t.co/hg9NVuxann
ヨーロッパの剣術は廃れてしまったものの、フェシトビュッフが多く残っていて部分的な動きが推測できるので、復古再現が盛んに行われているイメージがあります
— はすね (@Re_113_Gnu) 2025年4月19日
いやまあほぼ口伝だったのであれも結構大変だったんですよね(笑)
— 道具屋皇士 (@KqkeeYEYjGlxeJz) 2025年4月19日
「なんじゃこの絵は?」
「これ手の位置逆では??」
「なんでこの形になるん???」みたいのは今でもありますw
そこがネックになってますよね
— はすね (@Re_113_Gnu) 2025年4月19日
"部分的な動き"は推測できるものの、どうやったら次の動作がこうなるのか、みたいなのが分からないんですよね

この話を聞いて、ちょっと反応したのは、以前「流派」について考えたり、教わったりした記憶があるからだ。そしてこれも、ブログという形で記録したからこそ「失伝」を免れている・・・・・・
【質問】武芸や芸術スキルを「道場」「流派」を作って教え、伝承するって世界中にあるの?日本や中国だけ?
m-dojo.hatenadiary.com
・フェンシングとか、レスリングを見てると、やはりはるか昔から「刀をうまく操って、自分は当たらないようにしていち早く相手を斬る」技術や「相手を捕まえて、バランスを崩して倒したり、関節をコントロールする」技術は世界中にある。m-dojo.hatenadiary.com
・そしていくら人間に本能あるといえど、これらの技術は体系的に研究し続け、過去の”知識”や”実験結果”を保存するアーカイブがないと、進歩発展はしづらい。
・絵画や詩、書道や陶芸工芸などもそうでありましょう。
・それが日本においては古今の「道場」であり、〇〇流などの「流派」「家元」であることは間違いない。
・彼らはたぶん、藩とかのお抱えもあるだろうけど、ほかに弟子から「束脩(月謝)」を取り立て、そのお金を集め、段位や称号を認定して、組織を維持する。
・中国も、太極拳だ八極拳だ北斗神拳だが伝わっている(「拳児」由来知識)んだから、そういう流派や道場はある…よね? 朝鮮半島も、詳しいことはさっぱりわからんが、同じ中華文明圏の影響が強いから同様のものがある??ベトナムとかも?
…まだまだ続くんだけど、丸々写すのも意味がないので、リンク先過去記事を読んでくれ。今思えば、とてもいい”質問”したな、俺…宛先不明だが、それでも回答が来るのがSNS時代の良いところだ
流派・道場といった組織・集団で系統だった技術を指導・練習するシステムの存在は各国に事例があり、それが近代・現代まで継続してきたかどうかとなるとある程度減っていきます。
— 町田@司書・システマ使い・火薬と鋼運営 (@machida_77) September 8, 2021
2年ほど前から、武術関連は@SystemaTamaのアカウントに一本化しておりますので、こちらから…
— システマ多摩/民俗武術研究稽古会 (@SystemaTama) September 8, 2021
定義にもよりますが、広い意味では
「“道場”“流派”は世界中にあった」
と言って差し支えないのではないでしょうか。
例えば、インドのカラリパヤットゥなどはそれこそ道場が無ければ成り立ちません。 https://t.co/UNdrqCpr1g
だけれども、現実として、中東で資料だけで、中東剣術を復興するのはむつかしい…西洋の剣術も、難しいところがある。
その復活に日本の剣術・武道が役に立つなら、光栄なことではあろうが、しかし彼らも、遠く離れたところの技術体系を使うのは残念だろう、とも推測できるし、その結果として生まれた技術は本当に●●剣術と言えるのか?という点もわかる。
逆に、日本でこれだけ剣術の技術がよく残ったよ、ということだが、これもざっと俯瞰すれば単純なことで
・銃が発達し、剣が現実の軍事力として徐々に意味が無くなっていく時代(17世紀~19世紀後半)、その時代に鎖国をして銃の発達を凍結した。
・国内も平穏で、集団戦による剣の衰退にも歯止めがかかり、支配者が「軍事の伝統を持つ貴族」だったがゆえに個人戦、たしなみとしての剣を操る技術という形で洗練された。
・上の記事で書いたように、失伝しようと思えばすぐに消えるだろう身体動作のスキルと体系を「流派」として伝承するシステムが生まれた。
そして近代、まさに一気に歴史が早送りされ「剣を巧みに操ってうまく他人を斬る?重心を操作して相手を投げて組み伏せ、関節の逆を取る? そんなこと、今の時代に何の役に立つんだ」という、その時代では確かに正解だった問いに…
shonenjumpplus.com


「これはスポーツなのです。また、この技術を学ぶと精神的にも成長する『道』なのです」という”虚構”をでっち上げて?近代にアダプトさせた天才・ジゴロー・カノ―がいて、そのやり方に他の武術も倣った。
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「私が思うに、カノウこそ近代においてもっとも卓越したマーシャルアーティストだ。その成し遂げたことを考え合わせると、彼がどれほど驚くべき人間だったかということに感嘆するのみだ。たった一人の男が、昔からある日本の柔術の諸流派―つまりコリュウだ―から柔道を創り、そこからさらにサンボやブラジリアン柔術が派生し拡げてたんだ。つまり、世界の着衣レスリングの三つの主要な形態は全て、ただ一人の男を源流とするんだよ。これはもう、インクレティブルな達成としかいいようがない」
――確かに。
「加えてカノウは、武道にオリンピック競技という栄誉を授けた唯一の人物だ。彼が柔道をオリンピック競技にするよう働きかけた。
第二次世界大戦の直前に亡くなることがなければ、それを自身の手で成し遂げたかもしれない。しかしそうはならなかった。彼の満願が実際に叶ったのは、あの悲惨な大戦を経た後の1964の東京オリンピックだ。
とまれ、柔道、柔術、サンボを学ぶ我々すべては、カノウという近代におけるグレイテスト・マーシャルアーティストから、計り知れないほどの恩義を受けているよ。そして彼は、近代のマーシャルアーツトレーニングにおける、もっとも偉大な叡智をもたらした人物でもある」
――もっとも偉大な叡智?
「マーシャルアーツの価値を決めるのは個々の技術ではなく、トレーニングシステムだということだ。そして彼はそのトレーニングシステムを導入した。ランドリだ。そのことによって、コンバットスポーツ(格闘競技)と伝統的武道(トラッディショナルマーシャルアーツ)の違いが生み出されることとなった。文字通りの形で、だ。
そしてこのコンバットスポーツこそが、現代のマーシャルアーツにおける大いなる革新をもたらしたんだよ」東天の獅子
こういうことがあったから、
偶然に、偶々に、日本では剣術の体系が多めに残った。
本来的には難しい事なのだ、すごく。
トルコレスリングの「また裂き」が、他国に広まるためには、映像記憶、運動記憶の天才を待たねばならなかった。
笹原は、東京選手権で対戦したトルコ選手の技を再生し、その上でさらに改良を加える。
この技〜「股裂き」は、英語名を「ササハラレッグシザース」というのである!!
当時の寝技の習得というのは今と違い・・・貴重な八ミリフィルムでも使わない限り(ソ連では使った)試合の映像なんて残せない。複雑な寝技の、ちょっとしたこつを、映像抜きで相手から盗むというのが今より何百倍も難しかったのだ。
笹原も、トルコの技の再現のために「3カ月」を要した、とある。
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それを他国の失伝の皆さんのお役に立てるなら、やっぱり名誉なこと。だが、そこに一抹の寂しさも感じたい。
それは、歴史から何かが消える時の、名残惜しい何かなのだよ。
論語より。
子、匡に畏す。曰く、文王既に没し、文茲に在らざらんや。天の将に斯の文を喪ぼさんとするや、後死の者斯の文に与るを得ざるなり。天の未だに斯の文を喪ぼさざるや、匡人其れ予を如何せん、と。
孔子が匡で大難にあって、殺されそうになったとき、落ち着き払って次のように言われた。聖人の道は周の文王によって盛大になったが、その文王はもうすでに亡くなってしまっている。文王亡き後の文明の道の伝統は、この私の身に伝わっていないであろうか。もしも、天の神がこの文明の伝統を滅亡させてしまうつもりなら、文王の後に生まれたこの私は、文王の作った文明の道を学びえることはできなかったであろう。しかし、幸いにも、私は文王の教えを学び、その道を体得している。もし天の神が、まだこの文明の伝統を滅ぼさないつもりならば、文明の修得者であるこの私は、きっと天の神がお守りくださるだろう。天の加護のあるこの私を、匡の人如き者がいったいどうしようとするのか。断じて指一本我が身に触れることはできまい。
子太廟に入りて、事ごとに問う。或ひと曰わく、孰か鄹人の子を礼を知れりと謂うや、太廟に入りて、事ごとに問う。子之を聞きて曰わく、是れ礼なり。|「論語」八佾第三15
孔先生は君主の先祖の霊を祀った廟で祭礼にたずさわったとき、儀式について一々先輩に質問した。ある人が言った、誰かが鄹の田舎役人の子が祭礼の儀式に通じた人だと評判したが、廟での祭礼に際してあれこれ聞いてばかりではないか。孔先生がこれを聞いておっしゃった、これこそが「礼」である。(太廟での大事な祭礼において、間違いがないように確認をして行うことが敬意を払う礼儀というものだ)|「論語」八佾第三15
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子 斉(せい)に在りて、韶を聞くこと三月(さんげつ)、肉の味を知らず。曰わく、図らざりき、楽を為すの斯(ここ)に至らんとは、と。(「述而第七」13)
「孔子が斉国に滞在しておられたとき、韶を学ばれること三か月、没頭しておられて食事の中身のことなど念頭になかった。そしておっしゃられた。「思いがけないことであった。楽曲の奥の深さがここまでとは」と。」(論語 加地伸行)
孔子が魯の内乱を避けて、当時の大国斉に亡命したのは前517年、孔子36歳のときだったという。そこの重臣高昭子に仕えていたという。「韶」は、舜が作ったとされる舞踊をともなう交響楽
また「文化の伝承に失敗」「失伝」にまつわる過去記事
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