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上記エントリの原文ありました(司馬遼太郎「風塵抄」1巻)

2009年末大掃除にて発見。
上にあるように「風塵抄」1巻の「石油」という小文より。

湾岸戦争で、軍事評論家たちがテレビに出ている。
民間に軍事評論家をもっていることは、自由な社会であることのあざやかな証拠といえる。テレビをみながら、ふと、
(こんな分析家たちが昭和一けたに五、六人もいたら、昭和史は変わっていたろう)
と妄想した。むろん、たわごとにすぎず、昭和一けたの時代にそんな自由はなかった。


せめて大正デモクラシー時代にこういうひとびとが出て、前時代の日露戦争を徹底的に解剖してくれていたら、と思ったりもする。以後の日本人の理性−−国家を等身大でみる能力−−が大きく成長したに相違ない。
 ただ、大正時代は軍縮の時代で、自由と平和が謳歌された。込み合った車中で長靴を蹴られる軍人もいたそうである。たしかに大正時代は自由だった。しかし油断した自由だった。自由でありながら、民間人で軍事研究をする酔狂な人はいなかった。
大正時代に冷静な軍事研究が民間でおこなわれていれば、昭和に入っての軍人のファナティシズムの爆発は、不発か、より軽度だったにちがいない。

ひとつ上のエントリは
http://d.hatena.ne.jp/zyesuta/20091016/1255636477
などで取り上げていただいたが、私のうろ覚え要約では分からない司馬氏の味わいある文章が、あらためて伝われば幸いです。




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