カンファレンススタッフ、なんでやるんですか?と言われたときにいつも答えに窮していたのだけどある意味これかな?と自分の中の答えが出たのでメモしていく。
基本的にはコミュニティに対する恩返しの面が強い。 いつもカンファレンスを開催してくれてありがとう。 ここで学んだことが自分の中の血肉になって、成長や評価につながっている。
そういった思いから返せるのが自分自身の労力くらいなら出せるなって思っている面が強い。 最初からそう思っていたか?でいうと明確にNOで、スタッフしている人たちはすごいなと思っていたけど自分が出来るイメージは持てなかった。
それはまあ当たり前だろう。だってやってないんだからイメージなんて持てるわけがない。 以前Voicyであんざいゆうきさんが「人間はやりたいと思ったことしかイメージできない(要出典)」のような話を聞いたことがある。
スタッフがなにかしているのは知っているが、スタッフ業にどういったことが必要になるか見えていない。 見えていないものはイメージが難しい(類似の記憶や関連する何かなどの記憶や経験をつなぎ合わせる起点がないと不可能という意味)。 「スタッフをするイメージが持てない」はぼくの場合「スタッフがなにをしているかわからないし、知ろうとしなかった」というだけの話だった。
ただまあそれで困ることもなかったし、別にそれでもいいかなと思っていた。 参加者であることで自分が欲しいものは得られているし、正直こういうお祭り騒ぎの幹事とかは苦手な分野なのでお任せできるならしたいと思っていた。 仮にコミュニティがなくなっても別のところにいけばいいと思っていた。
運営側に転ぶ大きな転機があったとすると思い当たることが2つある。 1つは tenntennさんがGo Conferenceの運営に誘ってくれたこと。 もう1つがどちらかというと原体験に近いのだけど、マネーフォワードの技術書典に頒布しているサークル、まねふぉ執筆部の執筆者に巻き込まれたときだろう。
なんか楽しいことがあって、それを継続して欲しい、したいと願った時に参加者にいるだけだと生殺与奪権を自分が持っていないことになる(これはかなり拡大解釈している)。 自分がコントロールできる、あるいは貢献することで継続され、自分自身にとってプラスになるので多分ぼくはカンファレンススタッフをやってるんじゃないかな〜。
これ、なんでかObsidanに死蔵してたのでシュッと共有しておく。