TL;DR
英会話とMVP(Minimum Variable Product)って類似性あるんじゃね?という思いつきが湧いたのでそれをネタにブログ書いてます。 この記事は社内で英語が苦手だと自認しているぼくと同じく苦手意識を持っているメンバーと雑談していたことや直近Kyoto Tech Talkに登壇してくれた同僚の外国籍エンジニアの登壇を見たことがきっかけで思いつきに至りました。 一旦ザーッと頭の中に思い浮かんだピースを書き出しているだけなので整合性とかはないと思う。
これまでのTOEIC受講歴とその成果の一覧
これは社内の自己紹介ページにも掲載しているこれまで社内で受けていたTOEICのテストの結果一覧。
TOEIC Listening and Reading Test
| 時期 | Listening | Reading | Total |
|---|---|---|---|
| 2021/12/22 | 240 | 120 | 360 |
| 2022/07/02 | 235 | 160 | 395 |
| 2022/10/03 | 270 | 240 | 510 |
| 2023/01/23 | 300 | 145 | 445 |
| 2023/03/25 | 370 | 180 | 550 |
| 2023/04/30 | 295 | 230 | 525 |
| 2023/10/30 | 320 | 285 | 605 |
| 2024/01/28 | 305 | 275 | 580 |
| 2024/02/29 | 260 | 360 | 620 |
| 2024/03/30 | 335 | 325 | 660 |
| 2024/04/30 | 260 | 265 | 525 |
| 2024/05/30 | 350 | 295 | 645 |
| 2024/10/28 | 355 | 350 | 705 |
だいたい3年くらい英語学習を受けてきた(一部英語学習を中断していた時期もあるので3年間ずっとではない)ことがわかると思う。 初めてTOEICを受けたときから最終的におよそ2倍にまで点数が伸びたことがわかると思う。
同時期にトレーニングを受講していたid:vtryoが半年で達成しているのでこのあたりは短期でやり切る!という集中力の差が出たんじゃないかと思ってる。VTRyoすごい。
MVPと英会話の関係性について
以下の画像はMVPを紹介するときによく引用されている有名な画像なので見たことがある人もいると思う。

英語学習はだいたい車に該当する部分が「English Native Speakerと英会話ができる」とか「英語で登壇できる」とかになるんじゃないかな。 あとは街中で英語で話しかけられたときにスマートに対応できる、みたいなのもあるかもしれない。 では、TOEIC700点を達成し、今の自分がどこにいるのか?と考えるとよくて「3. 自転車」くらいの位置なんじゃないかなーと思っている。 正直気持ち的には「2. キックボード」くらいのお気持ちだがあまり低すぎても、ぼくと同じ英語弱者が身構えるだけだと思うので自己評価を少し上方修正している。
TOEICの点数はあくまで指標だが習熟度で意味や価値が変わる
英語強者による「TOEICの点数は英会話に意味がない」はある意味でその通り。 ただし、英語弱者にとっては全く意味がないか?と言われたら、ぼくは意味があると思うと返す。
英語弱者はいってしまえば「マラソンに出る」という目標を立てているけど、その舞台に立つための基礎筋力や体力がない状態。 筋トレにあたる「英単語を繰り返し覚えて脳に定着させる」や「英文法を完璧に理解する」あたりは筋トレに当たる。 ある程度これらの筋力がついたうえで効率的な走り方であったり、フォームの改善にあたるテクニックを習得する意味が生まれてくる。 試合に出るための技術を身につけるフェイズと必要最低限動けるためのフェイズは分けて考えなくてはいけない。 いわゆるTOEIC500点以下は最低限必要な筋力がない状態だと体感的に思っている(これは自分を基準として考えているので英語スキルの習熟度が人によって異なるため絶対の指針ではない)。
英語強者はこれらの筋力がそもそも身についているか、かつて身についていた人たちではないかと想像している。あるいは全くそういった自身の能力とは関係がなく聞きかじりの知識で他人を叩きたいだけか。
理由はされておき英語弱者にとってはまずベースとなる体力・筋力をつけなければ目的が達成できない状態になっているとだけ理解できていればよい。
TOEICは役に立たないか?
TOEICは英会話の役にたたない、はその通りでありつつ、ぼくのような英語弱者にとってはきちんと効果があった。 それは自己学習をするときに大きな効果を発揮していたと感じてる。
例えば、社内にいる外国籍エンジニアと会話をすることがあったとして、「luccaは今日なんで東京に来たの?」と質問されたとする。 これに対する答えは「実は週末東京でイベントがあるから前日入りしたんだ」や「今晩友人と半年ぶりに飲みに行くんだ」などいくつか候補が上がると思う。
で、日本語だとこれらの会話は特に詰まることなく説明できる。当たり前。 一方、英語になると単語であったり、相手に伝える際の文章が構築できなかったりと「できない」という現実を直視することになる。 そうなったときに先程の筋トレの効果が現れる。
ぼくの場合、英語学習前と英語学習後の明確な違いとして同じ「喋れない」という状態になっていても、TOEIC学習前は早々に英語を話すことを諦めて「英語で話せないから日本語で話すね」と言っていたと思う。 英語学習後は「あーこれなんだっけ?XXXってなんていうの?」や「もう一回言い直すね」であったり、「英語を話す」という挑戦を手放しにくくなった。 これは絶対に発生しないというわけではなくこれまで80%以上(高確率)だったものが60%(中確率)くらいまで下がった……くらいのものだと思う(ここで書いた数値は適当、体感なのでまあ1/5くらいは効果が現れてるとイメージしてもらえればいい)。
何が大事かってPDCAにおけるC(CHECK)が自分自身の能力でできるようになったのが大きい。 うまく言葉にできなかったあとよく「あ〜…これこう言えばよかったのか」とあとから振り替えれる回数が増えた。 逆に「英語でXXXってなんていうんだ?全くわからん」のような完全に自分の英語スキルでは会話でなくても構築できない場合も把握できるようになった。 以前までは「英語でXXXってなんていうんだ?全くわからん」ばかりだったのが、多少そういうケースが減った……という感じ。 ボキャブラリーが増えた、センテンスが身についた……というプラスよりも「落ち着いているときは英語が思い浮かぶのに会話だと出てこない、うぐぅ……」みたいなマイナス面でのふりかえりができるようになったことがとても大きい。 なんというか無知の知みたいな状態を自分自身でできるようになった感じ。
じゃあTOEICは英会話に効果があるか?
TOEICにはこのような効果があります!……というと完全に嘘になる。 ただTOEICはあくまで指標で、筋力が足りない人があとどれくらい足せば目標に到達できるかを示す標でしかない。 というか英会話云々以前の人を「英会話を勉強することができるレベルに持っていく」が正しいと思う。
習得するとはどういうことか?
最初の一覧でいうと最初に受けたときから3回目はおよそ150点増加していることがわかる。 特に顕著なのはReadingが2倍の点数になっている。 つまり、英単語か英文法のどちらか、あるいはどちらも習得できていなかったことがわかる。
では習得とは何を持って習得できたとするか? これはいわゆる「身についた」状態、学習の5段階でいう「レベル4 無意識的有能、考えなくてもできる」だと定義できる。
英文法であれば、中学の英文法が書かれた教科書の目次を見て「仮定法完了とは?」という文字から「If + 主語 + had + 過去分詞, 主語 + would/could/should/might + have + 過去分詞」が一瞬で出てこなければいけない。
もし、考えて出ているならばそれはまだ「習得できていない(レベル3の意識的有能、考えればできる)」ということの証明になる。 実際にこれができなければいけない、というわけではなくあくまでも習得できているかどうかを判断するリトマス試験紙的なものとしての検証だと思ってほしい。 ぼくの中でTOEIC300点未満は「レベル1 無意識的無能、知らないしできない」に該当し、TOEIC300以上〜500点未満は「レベル2 意識的無能、知っていてもできない」に相当する。 TOEIC700以上〜850?未満は「レベル3 意識的有能、考えればできる」に相当するんじゃないかと考えている。 英会話ができる、登壇ができるというのは(自分が日本語基準で会話していることを考えると)レベル4以上の話だと考えられる。
英語弱者が見ている世界はレベル1〜2の話だと思っていて、英語強者が見ている世界は低くてもレベル3、一般的にレベル4以上の世界ではないかなぁといろんな人の意見を聞いたり、見たりしているうちに感じるようになった。 TOEICがいい悪いではなく、あくまでもどこの基準を満たしているかを知るための道具でしかないということが重要。
SLIにTOEICという外注可能な指標を採用しているってだけの話だと思う。なので「英会話できるようになる(SLO)が目標なのにTOEICで判断している(SLI)のはナンセンス」というのは一部正しいけど的を外したコメントだと思う。 実際にはコメントした人がイメージするよりももっとレベルの低い話なのだ、ガハハ。
褒めてほしい自分と英語を頑張っている自分、そして公平である意味で残酷な評価のギャップについて
以前書いたこの記事でも書いているけど自分はそもそも英語が苦手だ。
英語学習をするときの最大の障壁は自己の努力に対する結果と周りの評価とのギャップにあると思う。 頑張っているがその結果に対する評価が自分の期待するものとギャップがある場合にショックを受けてモチベーションが下がってしまい、英語学習を止めてしまうということだと思う。 あとTOEICが死ぬほどムカつくのは「同じように勉強をしているのに点数が下がる現象に遭遇する」こと。
TOEICにはいくつか傾向がある、自分が得意なテーマのときは当然聞き取りやすかったり、答えやすい。 反面、あまり自分が興味がない、不得意なテーマのときは当然集中力が下がる(これは無意識的に発生するのでコントロールできない)ので、点数も当然下がる。 この現象に遭遇するとまあモチベーションがだだ下がりする。当たり前だが我々人間は無意識的に「努力をしたらそれが正当に評価されてほしい」という願望を持ちやすい。 そのため、努力したのに点数に現れないと想像以上にがっかりする。ぼくは実際この現象に遭遇して半年くらいやる気がでなかった。 当時の上司からは「モチベーションで勉強するのはコントロールできない(不確実性が高い)のでやめたほうがいい」とアドバイスをもらったがぼくはモチベーション駆動で動くことが多いのでこのアドバイスはうまくフィットしなかった。 (とはいえ、脳死でもいいので英語学習を習慣化するのが一番効果的である点は否定しない、当時はうまくアドバイスを受け止められなかった……が正しいと思う。こちら側に受け止められるだけの余裕がなかったんだろうなって)
閑話休題。 元記事の話に戻る。
記事内に埋め込んだ動画内で細江さんが「TOEIC600点?ひっく!」と驚いてるのがわかると思うけど、当時これは結構ショックだった。 ショックと言うかハッとさせられたというほうが正しいかも知れない。
自分は投書をした時「「自分は英語を頑張った」という自信を持っていた、その状態で「きっと褒めてもらえるんじゃないかな」という期待を持ってGoogle Formに投書欄を埋めていた。 ところが、細江さんの発言を受けて、自分が期待していたイメージとギャップが発生してしまい、少しショック(ネガティブな意味ではない)を受けた。
通常、関係性が近い人からこのような発言をされるとショックが転化して、カチンと来る、怒りにつながる人もいるだろうと思う。多分自分はカチンと来ると想像できる。 でも細江さんに言われたときに感じたことはショックではあったが感情を大きくかき乱すものではなかった。 なぜなら自分の中で「これだけ頑張ったんだから褒めてほしい!(きっと褒めてくれるだろう)」という承認欲求があることを自覚していたから。 同時に「そうか、TOEIC600点って低いんだよな。ぼくは元々が低かったから高くなったと思ってたけどようやく一般的な人たちのスタート地点にたっただけだったんだな」と気づくきっかけになった。
ぼく自身は今回のような承認欲求が駄目だとは思わない。承認欲求はうまく使えばモチベーション向上にもつながるし、やっぱり褒められると嬉しい。学習における最大の友は「楽しい」であり、「楽しい」を生み出すためには「褒め」がとても重要になると考えているからだ。
ただ、諸刃の剣であることに気をつけられる、コントロールすることができるのなら、承認欲求をうまく取り入れることでより人生を豊かにできるだろうなと思う。 ところが、そんな超人のような人はほとんどいない。少なくともぼくはコントロールできないので一喜一憂している。あるいは最初から期待しないことで虚無になっているか。このどちらかが多い。
とはいえ、ショックは受けたが心情としては「自分の浅はかな承認欲求を見破られた」と感じ、恥じ入る気持ちが強くなっていった。 なので、怒りの感情が湧き出るのではなく素直に「そうだよな、まだまだスタート地点も立ててなかったんだ」という自分の現在地を客観視することができたのだと思う。
これまで歩んできた道、決して峻嶺なわけではないがそれでも自分にとっては大冒険だったこと。 これから先、これまでの艱難辛苦を超えてくるつらく、大変な道のりを歩んでいかなければいけないこと。
そういった自分の中での腹落ちポイントがあったので、特に怒りの感情は湧いてこなかった。
とりとめのないまとめ
思いつきをとりとめなく書いているのでそろそろまとめに入ろうと思う。
何がいいたいかというと英語学習をするときに立てる目標というのはみんなが考えるよりも難しいということ。 そして、そこに至る道までの道は階段をのぼるというよりもMVPのように少しずつ、目標に歩み寄ることだと思う。
多くの人が英語学習でつまづく理由はMVPの画像でバツがついているやり方を実践してしまってるからじゃないかなぁと思う、実際ある時期までは自分もこの実践方法だったと思うし、いつまたこの駄目だと思っている方法に戻ってくるかわからない。正直戦々恐々としている。
ともあれ、英語学習(というか何かを学ぶ、作るという意味)では理想とするパーツを作るのではなく、形は違っても達成する目標のための機能として能力を身につける必要があるんじゃないかなと思う。
ぼくは昨年2024年にGopherDay Taiwanに登壇したが、登壇することで気持ちがあがった!というよりも自分はモチベーション駆動で学習するタイプなのでモチベーションが下がるなら刺激を外部から注入するためにチャレンジしてみようと思った。 チャレンジしている間は楽しいので学習のモチベーションが向上しやすいんじゃないか、という浅はかな発想でCfPを書いたり応募したりしていた。
正直なところそんなことをしなくてももっと身近なところにチャレンジの機会は転がっているし、そっちのほうがより適切だと思う。 でも登壇をすることで、自分の中で「全然駄目だったな」と感じるところと「ここは成長を感じられたな」というところが体感できた。 自分にとっては体感するということの影響力が思いの外、大きく結果として登壇したことの価値を感じられたのだと思う。
なんでこんなことを考えたかっていうと多分今回東京に来るときに読んでいたid:mhidakaのnote記事があまりによくて、その公開前日に開催していたKyoto Tech Talk #8 に登壇してくれた弊社の外国籍エンジニアが初めて日本語で登壇するというチャレンジを直近やっていたので、そういったあれこれがつながって、そういう感じの思いつきに至ったのだろうと思う。
まだ読んでる最中だけどいい記事。
— luccafort@技術書典18け-19 (@luccafort) 2025年5月29日
昨日、弊社のEnglish Speakerが初めて日本語で社外登壇にチャレンジしてくれたんだけどあれすごいことだったと思う。
本人は「あの発表は良くなかった」と反省してたけどまさに冒頭の未熟を体験しただけで悪かったわけじゃないと伝えておこうと思った。 https://t.co/v7jXX7K6lu
という感じで終わり。 一旦考えてたことの脳内ダンプはできたと思う。 追加や補足は気が向いたらやるかもしれないので、気になることやここおかしくね?っていうのがあったら教えてほしい。