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いま地方のコミュニティーに求めるものとはなにか?

先日、社内のメンバーのインタビューをしていてハッとさせられたのだけどいま地方のコミュニティに求められるものとはなんだろうか?ということをつらつらと書いていく。

ぼくは京都にいながら東京に本社がある企業で働いている。 給与水準は全社統一なので京都だからと減るわけではない。 社内では週に何度か勉強会が開かれており、それに参加するのは自由だ。 自分が飛び入りをしても良いし、人が多いチャンネルなどで告知されることもある。

インタビューを受けてくれたのはぼくとほぼ同時期に入社(彼のほうが先に入社してるので形式的には先輩に当たる)した人で現在子育てと仕事の両立に忙しいとのことだった。

その中で「子育てが忙しいので社外のコミュニティーに参加するのは難しい」という話題が出た。 そこまではよく聞く話しだなと思っていたのだがこのあと想像していない発言にガツンと衝撃を受けた。

曰く「なので、社内のコミュニティがあることで受動的にでも情報をインプットできるのはありがたい」とのこと。

これはぼくにはない視点で、というのもぼくは独身貴族なのでなんとなく伝え聞くところによる「子供がいるとコミュニティ活動に顔を出すのが難しい」までしか認識できていなかった。 社内に業務として参加できるコミュニティがあるというのは「あるだけで誰かの救いになる」状況を生み出してるのだなと新鮮な気持ちを体験することができた。

とはいえ、もう少し参加者を増やしたいとは思うが、それはもう以前ブログに書いたのでさておく。

luccafort.hatenablog.com

なぜより多くの人に参加してほしいかというと、知識はさまざまな背景を持った人と対話することで磨かれ、鍛えられるとぼくは信じているから。 あとはまあいろんな人が参加してるほうがいろいろな意見が聞けて楽しい。

なので、いつものメンバー以外にも参加してほしいのでそれは引き続き考えないといけないんだけどそういう観点もあるのかと目から鱗が落ちる思いだった。

翻って、ではいまオンライン配信も珍しくない世の中で「地方コミュニティに求められるものとはなんだろう?」という疑問がわきあがった。 地方コミュニティというと主語が大きすぎるが、ぼくが関わるKyoto.rbやKyoto.go、主催ではないがKyoto.jsあたりを対象にどういったことを求められてそうか考えてみた。

1つ目は「対話ができる相手がいること」だと思う。 これは全てのコミュニティがそうだと思うが自分と異なるコンテキストの人に話しを聞いてもらいたいと思うことは往々にしてあり、そういう人や熱意を持った人が対話する(会話ではないので注意)場があるだけで価値があるのではないかと思う。

対話と会話の違いについては以下のサイトの画像がわかりやすかった。

www.sofia-inc.com

対話とは?対話が必要な理由や対話を行うポイント、対話を取り入れる方法を解説 より引用

2つ目、これは先程よりもフワッとした話しだけど「面白い技術の話しや面白い人の話しが聞ける」ではないかと思う。 自分では知らない技術や知識、経験の話しを聞いて「自分ならどうするか?」と考えることがぼくはあるのだがこういう妄想の話しはとにかく楽しい。 見えていないものもあるとは思いつつ、「ここはこうするのがベターでそうすると…あれ?結局今話してようなことになるな。なんでだろう?」とか考えるのが好きだ。

3つ目、「普段の業務や個人開発では得られない技術テーマの話しが聞ける」こと。 これは地方なのでより顕著かもしれないが京都や大阪でRubyやGoを使った開発というのはまだまだ少ない。

求人情報……といっても、もう5年も前の話だが圧倒的に多かったのはPHPJavaだった。 恐らく今も大きくは変わっていないと思う。

これは関西の会社は自社サービスを開発するような企業が少ないことに起因すると思う。 受託開発で儲けを出している場合、新しい技術を試すよりも既存の技術を使いまわして利益を上げるほうが確度が高いのでそうなってるのではないか?と推測している。

反面、近年は変化が出てきている部分もある。 大学発のベンチャーや東京本社の開発拠点が大阪や京都がコロナ後に再び増えつつある。 まだまだ数は少ないかもしれないが芽は出ているし、フルリモートで働いてるエンジニアの人のコミュニティ参加も増えている。

4つ目、これは地元に住む人にとって求められているものではないが「観光する名目が生まれる」こと。 特に京都というブランドはとても魅力的なのか、近隣の神戸(兵庫)や大阪、滋賀から参加してくれるメンバーもいる。

それだけでなく、東京や鎌倉、舞鶴、名古屋、岐阜、岡山から参加してくれた人もいた。 一番遠い例だとブラジルからKyoto.rbに遊びに来てくれた人もいる。彼の場合、メインの目的はその後のRubyKaigi 2024の参加だったが……。 海外からの参加例はかなりレアだが、他府県からの参加者は一定数いるのが常態化している。

5つ目、自分の場合はこれが結構大きいのだけど「技術的な雑談を楽しむ」がある。

普段、会社でもすることはあるが雑談というのは話す相手が変わると同じテーマでも全く異なる話になることがある。 もちろん、「結局結論は同じだね」となることもあるんだけど、そうなるかどうかは蓋を開けてみるまでわからない。 思わぬ展開を見せることもあれば想定した流れになることもある。 あるいは話している人のこれまでの人生談(中にはとても稀有な経験、経歴を重ねている人がいる)が面白いということもある。

いくつか理由は上げたのだけど結局は「人と技術」の交わるところが求められているのだと思う。 問題は「人と技術が交わるところを作ればヨシッ!」とはならない点だ。 もう1要素足りない何かがある、それが生まれたときコミュニティはさらなる飛躍を遂げるのだと思うがまだぼくはそれを発見できていない。

コミュニティの価値のような答えのない課題に対して少しでも解像度を上げたい、ヒントを得たい人はコミュニティに足を運ぶし、そういった対話を好んだり、楽しむ人は明確な課題がなくても参加してくれているように思う。 なんというかコミュニティは街中にある児童館のようなものかもしれないなと書いていて思った。 そこにいけば何をして遊ぶかは本人が選ぶことができ(登壇や発表、懇親会、相談など)、一人で黙々と何かをすることもできる。 遊ぶ環境が用意されており、遊ぶためのガイドラインのようなものはあるがそれに沿った遊び方をするか新しい遊びを見つけるかは当人次第。

何かを得ることもあれば、何も得られないかもしれない。 行けば何かしらの反応が生まれる、ある意味でトイボックス(おもちゃ箱)のようなものなのかも。

児童館としたのは中には「アイツは嫌なやつだ」と性格や考え方、振る舞いが合わない人もいる。 そういう人といざこざが生まれても、児童館の先生のように注意する人がいるという点が似ているなと思ったのかもしれない。

何よりも好奇心のままに振る舞うという点がとても似ているし、そこに対して労力をかけて楽しんでいるのも似ている気がする。

他にも、所属する学校や学年、体力や知識も違う人たちがなんとなく集まって楽しんでいる、そういうイメージが児童館に近いと思ったのかもしれない。 あと、すごくできる人に精神的に打ちのめされる点も似ている。 仕事で感情を表に出すのはあまり好まれないと思うが、児童館なら感じたままに感情を発露してもあまり問題にならない(誰かにその感情をぶつけたりしなければ、の話し)。

他に似ているものもあるかもしれないけど、そういうあれこれが似ているのかもしれないな〜と考えた結果、脳裏に浮かんだのが児童館だった。

だがしかし、場としての機能だけを提供してもうまく人と人は混ざらない。 やはり、コミュニティの核は人で、人が集まるための仕組みとしてコミュニティがあるのだが、それでは現状維持が限界なように思う。 革新や飛躍のためのあと一歩、それがわかれば地方のコミュニティの価値をより高めることができるかもしれない。

地方は東京や首都圏の都市に比べてどうしても選択肢が限られてしまう。 それは初心者や初級者に優しくない社会と言い換えることができる、つまりは挑戦できる余地が少ないのだ。 ぼくは幸いエンジニアとしてそれなりに食べていけるようになってから地方に戻ってきた組の人間だ。 なので、新卒から地方にいた人たちの課題は正直理解できているとは言い難いと思う。

そして地方ではコミュニティの特色を保ちにくい傾向がある。 それはなんというか仕方のない話しなのだけど、言語単独のコミュニティが生き残りにくいのだ。

福岡、京都、大阪(名古屋もかな?)くらいの規模の都市ならなんとか単一言語コミュニティでも参加人数は少なくなるがやっていける。 やっていけるというか、やっていけるようにした(できた)。

結局、コミュニティの活性化は企業の数に依存する面があると思う。 東京のコミュニティが盛り上がっているのは単純に人が多いこともあるが、それと同等かそれ以上に企業の数が多いことが理由だろう。 さまざまな企業から活きの良い若手や熟練の技術・知識を持ったシニアまでさまざまな人が交流することがコミュニティの活性化に一躍買っているのだと思う。

企業が元気(儲かっていて勢いがある)だとそれに付随してコミュニティもその恩恵を受ける。 関西はまだまだそういう意味でメジャーなスタートアップやベンチャーが少ないのだろう。 そういった会社がもっともっと増えたとき、コミュニティはきっとより活性化するはずである。

これは以前ブログに詳細を書いたので、リンクを貼っておく。

luccafort.hatenablog.com

……というようなことを考えていたのだが、結局これは鶏と卵の問題なのかもしれない。 どちらかがなければ存在しないではなく、お互いがお互いに影響を発揮しあう相互依存関係な課題なのだと思う。

企業とコミュニティ、そして開発者のサイクルをぐるぐると回し、知識や人材、そしてお金を循環させることで少しずつ太く強く、靭やかになっていく類いのものなのかなと。

そのためには持続性・継続性や新規参入する人が必ず必要になる。 人はいつか離れていくし、継続していないところに人は集まらない。 そして、一定期間で変わり続けていかないと「緩やかな死」へとコミュニティは歩みだしてしまう。 ぼくがオーガナイザーを誰かに引き継いでいってもらいたいのは、そういう変化をドラスティックに生み出していきたいからだ。

秘伝のタレのように昔からあるものと新しいものを継ぎ足し継ぎ足ししていく。 そして、時には大胆な変化が必要になるということなのだと思う。

最近Kyoto.rbには新規参入してくれる人やその後継続的に参加してくれる人が増えてきた。 これはまだ妄想なのだけど、彼ら・彼女らはGiverとTakerでいえばTakerに留まりやすい傾向がある。

なので、彼ら自身がGiverに回る機会やその後押しをしてあげられるといいのではないかと考えている。 もちろん、それは本人が望むなら……という前提の元だが常に何かをもらい続けるのは不健全で持続可能性を下げてしまう要因になりやすい。 一度Giver側の視点に立つ、その機会を提供することで彼ら、彼女らに新しい視点や変化をもたらすのではないか?それがひいてはより多くの参加者とコミュニティの未来につながっているのではないか?と期待している。

安心して挑戦できる、双方向な関係こそがいま求められる地方コミュニティの価値なのではないかというようなことを考えていた。




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