「1000のバイオリン」
(THE BLUE HEARTS 1993年)
作詞・作曲:真島昌利
先日書いた記事、
「Sixteen Bars(16小節の恋)」の歌詞に
♬ thousand violins(千のバイオリン)
が出てくるので
この歌を思い出しました。
「ギャツビー」で「ロバート・レッドフォード」を思い出したり、
記憶の引き出しが見つかっていくのは楽しいことです。
以前、
女優の宮崎あおいさんが出てるCMで
この歌が使われていて、
すごく印象に残りました。
CMでは「1001のバイオリン」
(「1000のバイオリン」の
オーケストラバージョン)が使われていたようです。
聴いたことはあったかもしれないけど
宮崎あおいさんが可愛いかったのと
その可愛さゆえの歌とのミスマッチな感じで
それから初めて「ちゃんと」聴いてみました。
「台無しにした昨日は帳消しだ」という歌詞に
すごく共感した記憶があります。
鬱屈していたのかもしれません。
若者に向けた歌というイメージでしたが、
「かつて若者だった」私にも
響くところがあったんだと思います。
※私なりの解釈で、
これを強要するとか、他の解釈を否定する意図はありません。
【勝手に解釈】は、私の妄想のページと思ってください。
青文字は「1000のバイオリン」
(作詞・作曲:真島昌利)より抜粋
ヒマラヤほどの消しゴムひとつ
楽しい事をたくさんしたい
ミサイルほどのペンを片手に
おもしろい事をたくさんしたい(*)
よく聞くフレーズで
この部分がサビだと思います。
サビから始まる歌、好きです。
このサビは歌の中で何度か出てきます。
強力なペンと消しゴムくらいの
熱い気迫と情熱で
自分の人生を堂々と生きていきたい、
したいことを自由にしていきたい。
「自分最強!」は若さの特権ですね。
何でも「修正、削除」していけて、
誰もが耳を傾けてくれる、
そんな強力なパワーがあれば
何でもできるのに、という
「怖いものなし」な自分への
尽きぬ憧れも感じます。
でも結構「重装備」って感じです。
確かに重装備で構えていれば
怖いものなしだけど
何かするのにそれほど必要なの?
と逆に思ってしまう。
普通に考えても
「ヒマラヤほどの消しゴム」や
「ミサイルほどのペン」なんて
あるわけないんだけど。
この部分は
多分に皮肉を込めてるようにも
思えるのです。
間違えちゃったことや
都合のよくないことは消したり修正して
清廉潔白(ちょっと大げさ)じゃないと
信用されないし見向きもされない。
バックグラウンドや実績
高いスペックがないと
発言権はないかのごとく
なかなか聞き入れてもらえない。
そんな思いを皆どこかに持ってて、
つい構えたり力んだり
自分をやたらとガードしがち。
確かにヒマラヤより「高い」ものはないし
ミサイルの、殺傷能力は置いといても
それほど脅威を感じさせる力を持つものもない。
でもそんなものなどなくても
ありのままの自分で、
気負うことなく
何でもしていったらいいんだよ、
できるはずさ、
ということなのかな。
「大人になった私」はそう感じました。
考えすぎでしょうか。
夜の扉を開けて行こう
支配者達はイビキをかいてる
何度でも夏の匂いを嗅ごう
危ない橋を渡って来たんだ
夜の金網をくぐり抜け
今しか見る事が出来ないものや
ハックルベリーに会いに行く
台無しにした昨日は帳消しだ
このAメロは
主人公の壮大なロマンや
自由への憧れだと思います。
昼間と違って本来「寝てる時間」である夜は
「知らない時間」。
人生の中での「未知の部分」
という意味も持たせてるのかも。
今生きてる世界がすべてじゃなくて
もっといろんな「世界」「考え方」があって、
夢や可能性が限りなく広がってる、ってことでの
「夜」じゃないかなという気がする。
夜に何かをしようとか
夜に外に出てみようとか
そういうことではなくて
有意義で無限の「未知の部分」の存在を
教えてくれている。
「支配者たち」は親や先生など
目上で権限がある人たち、でしょうか。
夜には寝てるだろうし
そんな人たちにはもう見えなくなった「部分」、
今しか見えない、感じることができない「部分」。
「何度でも夏の匂いを嗅ごう」
この歌の季節は「夏」でしょう。
「夏休み」があるからかな、
そうでなくても、
立ち止まってみると
見えてくるものや
新たな発見があるかも。
未知の可能性がたくさんあるよ、
何度でもやり直したっていい、
ということかと。
「扉」は未知の部分との「境界」で、
「金網」は自分の中での無意識の「ブレーキ」
みたいなものでは。
渡ってきた「危ない橋」とは?
よくわかりません。
それまで、思うようにいかなくて
𠮟られたり諦めかけたことも
あったということでしょうか。
「ハックルベリー」は
マーク・トゥエインの小説に出てくる
トム・ソーヤの親友ですね。
大酒飲みで働かず喧嘩っ早い、
どうしようもない父親から逃れて
学校に行かず自由に暮らすハック。
気が優しく賢くて頼りになる。
自分ではどうにもしようがない境遇や
状況から逃れて自由に生きるハックは
閉塞感のある鬱屈した日々を送る私たちには
憧れのヒーローに思えるでしょう。
「会いに行く」=「近づきたい」と、
憧れの気持ちを歌ってるんだと思います。
生まれた時からの環境や
既存の状況、「支配者たち」など
自分ではどうすることもできない
縛られてると感じるものから
少しでも解放されたい。
特に若い時代は
そういったものが
すごく窮屈に思えますよね。
済んだことにもいちいち捕らわれたくない。
犯罪や社会的に許されないことはだめだけど
自分がこだわってるだけの「昨日」なんて。
「台無しにした」と思ってるなら
それだけのものなのだ。
自分で「帳消し」にすればいいじゃないか。
揺篭から墓場まで
馬鹿野郎がついて回る
1000のバイオリンが響く
道なき道をブッ飛ばす
このCメロは、
すごく前向きな意思表示だと思います。
「ゆりかごから墓場まで」は、
「産まれてから死ぬまで」。
スウェーデンの「ゆりかごから墓場まで」の
充実した社会保障というものを
社会科で習いましたね。
「馬鹿野郎」は「バカヤロー」という
言葉だと思います。
叱られたり小言を言われたり。
子供の頃や若いうちは「年長者」から、
年とってからは「若い者」から、
ずっと「バカヤロー」と言われ続ける。
叱られたり小言を言われたり、
うるさく言われ続けるということですね。
「ほっといてくれよ」と言いたくなる。
でも「バカヤロー」には
「叱責」以外に「励まし」や「慰め」もあると
私は思うのですが。
「叱咤激励」というか「鼓舞」です。
ドラマなどで江戸っ子の大将が
「バカヤロー、何小さいこと言ってんだよ」
などと弟子に言ってる場面があります。
「あなたっておバカさんね❤」っていうのも
あるのかどうかはわかりませんが。
つまり生きてるうちは
何やかんや言われ続けるということです。
今じゃ価値観も多様化してるから
本当にいろんな声が耳に入ってくる。
そんな「ガヤガヤうるさい声」を
「1000のバイオリン」と言ってるんだと思います。
歌の題名にもなってる
「1000のバイオリン」は、
そんないろんな声を
総称してるのではないでしょうか。
それは
人生で絶えず浴びる「うるさい小言」であり
「叱咤激励」「鼓舞」でもあるのでは。
いろんな「バカヤロー」もたくさん集まれば
美しいハーモニーさえ奏でる、
1000のバイオリンのように。
それはつまり
自分が生きていくために
背中を押してくれる「バカヤロー」なのだ、と
肯定的に言ってるのだと思います。
ガヤガヤ言われながら「道なき道をブッ飛ばす」。
うるさいだろうけど、それが人生なのだ。
人生は皆手探り。
ありのままの自分で
思いっ切り生きていきたい
ということだと思います。
ところで
「揺篭から墓場まで
馬鹿野郎がついて回る」
経験上これは確かにあると思います。
ただ、大人になると
叱ってくれたり構ってくれることは
少なくなってきます。
だからこそ
ちゃんと言ってくれる「バカヤロー」ほど
ありがたいものはありません。
「ありがたいバカヤロー」を
意地とプライドでスルーしていくと
本当の「馬鹿野郎」になってしまいます。
もちろん「理不尽なバカヤロー」は論外ですが。
誰かに金を貸してた気がする
そんなことはもうどうでもいいのだ
思い出は熱いトタン屋根の上
アイスクリームみたいに溶けてった
そんなふうに考えると
細かいことはどうでもよくなる。
少しも利己的ではなく、むしろ利他的。
済んだことにいちいち拘らない。
そのほうが心も身軽じゃないか?
「思い出は熱いトタン屋根の上」
この歌詞、大好きです。
なんてノスタルジックで素敵な表現でしょう!
トタン屋根は、
金属でできた波状の板。
平坦な板もあったかもしれない。
昔の映画などでよく
学校をサボって
トタン屋根の上で話をしたり、
寝転がって一人でぼーっとしたり
というシーンがありました。
ほぼ男子限定で
しかも暑くない季節や夏の夜に。
暑い夏の昼間は
トタン屋根は火傷するくらい熱いから
誰も上がったりしません。
主人公はトタン屋根で
いろんな時間を過ごしてたのでしょう。
思い出は、いいこともそうでないことも
トタン屋根の上にたくさんあるんでしょうね。
でも夏の熱いトタン屋根の上では
アイスクリームみたいに
溶けて跡形もなくなる。
済んでしまったあれやこれやも
もはや何もなかったように。
済んだことには拘らないほうが気も楽。
わざわざ思い出して(トタン屋根に上がって)
痛い辛い思い(火傷)をしなくても、
ということでしょうか。
(*)繰り返し
一度きりしかない人生、
未知の世界が待っている。
自由に思い切り
人生を謳歌できたらいいね。
【歌の感想】
自分の思うままに
勝手に解釈しています。
すみません。
何かを煽ったり扇動してるわけじゃなく
貴重な人生への憧れと
過ぎた日々への
ノスタルジー溢れる歌だと思います。
自由に思うままに生きていきたい。
みんな同じように思ってるんじゃないかな?
皆ハックルベリーのようになれるわけじゃないし
必ずしも思う通りにはいかないかもしれないけど、
失敗しても恥ずかしくても
まるでダメでも(あれ、スピッツ?)、
「道なき道をブッ飛ば」していける
未知なる未来がある。
「1000のバイオリン」に揉まれながら。
失敗も遠回りも、
無駄なことなどなにもない。
後になってそんなことに気づく。
でも当時はいつでも
一杯いっぱいだったんだけど。
もっと自由に自分なりに
精一杯生きていこうじゃありませんか!
*********
と、偉そうに書き連ねてきましたが、
台無しにした昨日だらけで、
済んだことにジクジク悩む私が
こんな夢のようなことを偉そうに書いても
少しも説得力がないことはわかっている。
帳消しにできない昨日はあるし
貸したお金を帳消しにしてあげる程の余裕もない。
ふと、
今自分がいるのは
果たして、かつて夢見た未来なのか?
と考えてしまう。
そんなことを言ってたら身も蓋もないけど。
でも「1000のバイオリン」が描く
憧れや希望、情熱は
大人になってみると
すごく羨ましい。
きっと自分にもあったはずで、
目の前のことに精一杯で、
忘れていってたのだろう。
そんなことに気付かせてくれる気がする。
生きてる限り
「未知なる未来」があるのだ。
「経験」に屈したり、逆に驕ることなく
ずっと人生に情熱をもっていたい!
「かつて若者だった」私は
そう思います。
自分の言いたいことばかり
書いてしまいました。
すみません。
いつも読んでくださって
ありがとうございます。