「愛のことば」(作詞・作曲:草野正宗)は、
スピッツの6枚目のアルバム
『ハチミツ』(1995年)の
5曲目に収録されています。
☆分かり合えない辛さと
言葉にできない心の叫び
分かり合えない君と僕の
心が通じ合うには
どうすればいい?
多様な価値観に溺れながら
でも君が大切だから
世界がどうなろうとも
分かり合えなくても
ひたすら模索していく
※あくまで私なりの解釈で、
これを強要するとか、他の解釈を否定する意図はありません。
【勝手に解釈】は、私の妄想のページと思ってください。
この歌はシングル化されていませんが
MVがあるんです。
荒野に立って
神妙な面持ちで歌う草野さんの映像の合間に
何かと意味深な映像が
サブリミナル的に映り込みます。
砕けてしまう花瓶
人工的なアンモナイトのようなもの
車輪に轢かれる鳥のおもちゃ
消えていくロケットペンダント
人体実験のような様子
番号が付けられ、鎖でつながれた天使
などなど・・・
このサブリミナル的に映る映像は
草野さんの、というか
歌の中の「僕」の脳裏によぎる
記憶や不安、想像のようなものではないかと
思っています。
YouTubeで配信されていますので
まだの方はぜひご覧ください。
そのMVの内容も参考にしながら
歌詞を考えていきたいと思います。
青文字は、
「愛のことば」(作詞・作曲:草野正宗)より抜粋
歌詞を少しずつみていきます。
限りある未来を 搾り取る日々から
脱け出そうと誘った 君の目に映る海
「限りある未来を~抜け出そうと誘った」のは
僕ではないかと思っています。
「限りある未来を搾り取る日々」
それは、未来を断ち切るというより
未来が続く限り(生きている間)
夢や希望、自由な意思を奪い取られ
せっかくの限りある未来を
無意味なものに、
本来のその人自身の未来を
送れない日々にされる
ということかと思います。
二人は、ストレスフルで抑圧された
とても生き辛い状況だと想像します。
「君」は、男性か女性かわかりませんね。
正規雇用が叶わず
理不尽な働き方を余儀なくされている、とか。
今でいうパワハラやセクハラに遭っている、とか。
いじめや家庭内での問題とか。
もしかしたら
逃れられない組織や状況にあるのかもしれない、とか。
或いは、愛し合う二人が
世の決まりのせいで結ばれることが許されない、とか。
考えたらきりがないけど
権力のある支配者や為政者等
強者側からの何らかの差別や抑圧の下にあったり、
「当たり前」とされてる概念に縛られ
「足並みを揃えられない」として排除されてる、
ような気がします。
僕からしたら、理不尽でおかしいことばかり。
だから君に「抜け出そう」と誘ったのでは。
「抜け出す」というのは
辞めるとか逃げ出すとか、
ひとまず安全な状況に身を置く、
ということでしょうか。
このあたりは、
映画「フォレスト・ガンプ」に似てると思いました。
草野さんは、
映画「フォレスト・ガンプ」を観て
このアルバムの3曲目、
「歩き出せ、クローバー」を作ったと
されています。
この「愛のことば」にも影響が・・・
とは考え過ぎでしょうか?
ただ君は僕のその提案を
受け入れないのだと思います。
「君の目に映る海」
君は、僕の目を通り越して
遠い「海」を見ています。
それは絶望なのか、諦めなのか、後悔なのか。
現状は変えられないと諦めているのか、
変えることは身の危険につながるのか、
あるいは、現状に麻痺しているのか。
もっと頑張ればもっと幸せに近づくと思ってるとか。
「洗脳」という言葉を安易に使いたくないですが
身体的のみならず心理的にも支配されていて
その窮状に気付かず享受しているのかもしれません。
ここで僕が憂うのは
僕たちの置かれたそんな状況だけでなく
僕の気持ちが君に通じないということ。
僕は君と
「分かり合えるようで分かり合えない」
もどかしさ、辛さを感じています。
くだらない話で安らげる僕らは
その愚かさこそが 何よりも宝もの
お金や地位や名声などでなく
贅沢や特別扱いでもなく
誰かやどこかに気を遣うことなく
何気ない日々にこそ
安らぎや幸せがあると思ってる僕は
君の真意がわからず
不安になります。
何気ない生活が一番の幸せ
それ以上何を望むことがある。
昔あった国の映画で 一度観たような道を行く
なまぬるい風に吹かれて(*)
分かり合えないことに
僕は自分の無力を嘆きます。
誰も人を支配することなんて
できないはずなのに
まるで君は誰かに何かに支配されてるよう。
ふと、昔観た映像を思い出します。
何となく「ソ連」なのではないかと
思います。
「映画」というよりは
何かの「ドキュメンタリー映像」だと思います。
強制収容所や極秘研究所、
あるいはチェルノブイリの光景。
そして、
MVでサブリミナルのように流れる映像は
実際のそのドキュメンタリー映像の再現ではなく
「その映像からの不安」のように思います。
車輪に轢かれる鳥の人形は
当初は「子供」を表してるのかと思いましたが
さすがに残酷すぎるので、
胸に温めた夢を砕かれる、とか或いは
始めから夢などなかったようなイメージ。
消えていくロケットペンダントは
かつて愛し合った人が
何らかの事情でいなくなる、
もしかしたら、
愛し合った人の存在が
記憶から消される
なかったものにされるイメージ。
見つめるだけで
その標的を破壊できる能力。
都合の悪いもの(夢や愛など)は
記憶から消し去る措置。
昔、星新一の小説で読んだような?
ひょっとしたら別の作家だったかもしれないけど。
強者側からの差別や抑圧は
本来の人間の持つ強さや弱さ、優しさや残酷ささえ、
つまり「人間らしさ」を奪い、
ただ機械的に動くだけの
強者側にとって都合のいい「ロボット」を
作り出しかねません。
そして、無意味な戦争や抑圧、
反対の意を唱えるものへの弾圧。
僕は、「昔あった」とされる国が歩んできた
同じような轍を踏むことになるのではという
危惧や不安に苛まれます。
君を救うことの難しさを知るまでは
平和で幸せだと思って
生きていたつもりだった僕は。
今 煙の中で 溶け合いながら
探しつづける愛のことば(*)
今僕たちは、様々な価値観の中で
何が正しくて何が正しくないのかわからず
互いの心が見えにくく
手探りでもがき苦しんでいます。
でも、
どんな状況でも
分かり合うことを諦めない。
そのための「愛のことば」を
探し続けています。
それは、言葉にできない叫びや思いです。
傷つくことも なめあうことも
包みこまれる愛のことば (*)
傷つくことも
有利な思いをすることも
全て認め合える「愛のことば」です。
全てに等しく
分かり合える「ことば」です。
優しい空の色 いつも通り彼らの
青い血で染まった なんとなく薄い空
国の内外を問わず
夢や希望、命までも奪われることになった
たくさんの人々の流した血や涙や汗。
空に昇華されたそれらは崇高で「青い」。
そして、汗や涙で「薄い」。
彼らの無念さを考えると
手放しで美しいとは賞賛できないような空。
でも、全ての人に等しく広がる空。
焦げくさい街の光が ペットボトルで砕け散る
違う命が揺れている
人間の営みであふれる街の光は
いつか「ペットボトルで砕け散る」かも。
人間の作った無機質で有害なもの。
ペットボトルは便利さの象徴でした。
ゴミとして捨てられたら
自然に帰ることなく放置され、
ゴミの島に埋め立てられていく人工物。
今はリサイクル法ができて変わってきてるけど
人間が便利さを追求するあまり利己的に作ったもののせいで
生態系を破壊し、
環境も汚染し、
地球のリズムまで崩していってしまう。
やがて人間が絶滅危惧種となっていく。
かつて温かい身体や心を持った
「人間」が存在していたと、
後世の生命体は
ニンゲンの化石を発見するでしょう。
無機質なチューブでできたような
不思議なアンモナイトを。
今 煙の中で 溶け合いながら
探しつづける愛のことば
もうこれ以上進めなくても
探しつづける愛のことば
昔と同じような轍を踏んでも
地球が破壊されていこうとも
君を守りたいのです。
僕の心を伝えたいのです。
分かり合いたいのです。
いや、分かり合えないとしても
ずっとそれを模索していく。
それはただ、君と僕のために。
雲間からこぼれ落ちてく 神様達が見える
心の糸が切れるほど 強く抱きしめたなら
(*)くりかえし
強者に都合のいい「画一的な人間」は
神様なんて必要としません。
支配者にとって、むしろ神は不都合でしょう。
そんなに神様って大勢いるの?
と思うフレーズですが
八百万の神って言いますものね。
MVには囚われた天使が出てくるので
もう古今東西の神様たちなのでしょうか。
胸が張り裂けるくらい
君への思いを心に抱きしめたら
君に通じるのだろうか。
神様に助けを求めることができなくなっても。
MVの囚われた天使の首の後ろに
番号が付けられています。
番号で都合よく管理される社会
あ、マイナンバー制度か・・・?
でも天使は最後に立ち上がっているように見えます。
人間の姿へと変わり、
改造された?改造待ち?のような人を
助け出そうとしているようにも見えます。
神を信じる余地を残しているような描写ですが。
どうなんでしょう?
MVの最後で
高層ビル群を背に
ペットボトルや缶のゴミの山があって
そこにカナブンのような小さな虫が這っています。
高層ビル群は文明の発達の象徴として
ゴミは人間の身勝手さの象徴として。
人の気持ちや愛よりも
無機質な人工物だけが
そうやって後世に残るという不安を伝えているのかな。
僕は、世界が滅びても君と分かり合いたい。
だからこそ、「愛のことば」を模索しなきゃ、と。
【歌の感想】
甘くて可愛い『ハチミツ』のアルバムの中で
異質な歌だと思っていました。
当時の私は湾岸戦争のショックがまだ残り、
また、阪神淡路大震災も起こり
自分やこの世界が
いつどうなるかわからないと思っていました。
地震のような天災は別としても
人が起こすこと
(戦争や原発事故、労働力の搾取やいじめ、環境汚染など)は
人が未然に防げる。
皆平穏に生きたいと思ってると思うので
皆が分かり合える術がきっとあるはず、と
「愛のことば」として探し続けるのでしょう。
マクロ的にはそういうことだろうけど
僕はあくまで君に対して呼びかけていると思います。
MVを観たのは
歌を聴きはじめてからずっと後で
「えっ!」という感じでした。
スピッツのMVはわりと
歌とは無関係のようなものが多いイメージなので
びっくりしました。
スピッツの歌自体が
かなり解釈の幅の広いものなのに
その上いろいろと考えさせられるMVです。
でも、MVがなくて歌詞だけでも
この歌は
君と分かり合える術を模索し続ける決意の歌だと
思っています。
この歌はシングルとして出す予定で
MVもそのために作られたそうですが
「スピッツらしくない」とのことで
却下されたそうです。
歌詞もMVもいろいろな解釈ができそうですが
それでもこのMVは他のMVとは違うので
スピッツというバンドに
「メッセージ性」や「色」がついてしまう懸念が
あったのでしょうか。
私の感想は、
分かり合えない君との関係性から
いろいろな妄想を膨らませて不安になり
大切な君とどうすれば分かり合えるのか
悩める僕の歌です。
そして、分かり合い、最終的には
誰にも邪魔されない二人だけの世界にいたい。
「反戦歌」という解釈もあるようです。
湾岸戦争があったり、
映画「フォレスト・ガンプ」を観て
反戦の思いを込めていても
何ら不思議ではないですね。
反戦を含め、人間の弱さから来る過ちや不安を歌った
究極のラブソングともとれます。
今の時代に余計に心に響く
普遍性のある歌で、
スピッツならではの
メッセージソングかもしれないな、とも
思っています。
余談ですが、
好きな映画『ひまわり』の撮影場所も
好きな絵画「ドニエプルの月夜」の場所も
全てウクライナなんですね。
昔に知っていたけど
ウクライナ侵攻が始まってから
改めて思い出しました。