柴犬のポチが家に来たのは
私が中学2年のときでした。
ポチがまだ家に来る前に、
父と一緒に木を切って組み立てて
壁は白、屋根は茶色のペンキを塗って
犬小屋を作りました。
当時、映画『シェーン』を観て
感化されていた私は
犬の名前は絶対「シェーン」にすると主張しましたが、
父の反応は芳しくありませんでした。
やってきた子犬は、まるで小さな「ぬいぐるみ」でした。
主張していた「シェーン」はどこかへ消え去り
家族皆が「ポチ」と呼びました。
事前に子犬を見ていた父が
「シェーン」に賛同しなかったわけです。
ポチは、一緒に生まれた兄弟の中で
一番小さかったらしく、
母犬が黒毛だったようで、
顔や背中、尻尾などに黒い毛の混じった
小柄な犬でした。
散歩は私の担当で、
休みの日など気分のいいときは遠出をしたり、
テスト中や気分が乗らない日は早めに切り上げ、
「帰らない」と踏ん張るポチを無理やり引っ張ったり、
今思うとずい分勝手な飼い主でした。
家族が留守のときは
家にあげて、
ピアノを弾かせたり
2階の私の机に向かわせたりしていました。
高校入試、大学入試のときはもちろん
普段落ち込んだりしたときや
何でもない暇なときでも
よく庭でポチのそばに座っていたり
いろいろ話しかけたり
撫で回したりして
かけがえのない存在でした。
大学生になって家を出ていましたが、
ある6月、帰省の時期ではないときに
自分のちょっとした用事ができて帰省しました。
帰省したときは、私がポチの散歩をしました。
普段は妹の担当でした。
ちょっとした帰省でしたが
ポチと一緒に散歩して気分が良かったです。
「ポチがいて本当によかった」と
不思議とそんなことを思ったのを覚えています。
その後、私が大学に戻って2週間も経たない頃
両親と妹が私の住む町にやって来ました。
「遊びに行く」と聞いていましたが、
駅まで迎えに行った私に母が、
「夢、見なかった?」と聞くのです。
「何の夢?」と聞き返すと
「ポチが死んだ」と言うではないですか。
どういうことか、すぐには信じられなくて
少しポカンとしてましたが
母や妹が泣きだしたので
現実がわかって
涙が溢れ
駅なのに皆でおいおい泣きました。
犬は亡くなるとき
夢に出てきてくれると言われてるそうですが
そんな夢は見ませんでした。
考えもしませんでした。
ちょっとした帰省の後私が大学に戻ってから
妹が何かの用事で散歩できない日があり、
母が散歩に連れて行ったそうです。
そして、妹も母も用事ができて
たまたま単身赴任から戻っていた父が
ポチの散歩をしたそうです。
父までが散歩に連れて行くなど
そうそうないことです。
そして、ポチの元気がなくなり
ご飯を食べなくなったそうです。
心配して獣医さんに来てもらい
薬をもらっていたそうですが
芳しくなく。
鳴く元気もなくなっていたポチが
ある朝早く、いつものように鳴いたので
「ポチ、治ったんだ!」と
妹が庭に出てみると
縁の下できれいに足を揃えて横たわり、
もう動かなかったそうです。
何か病気だったようですが
今みたいに病院で検査するというほどの時代ではなく
獣医さんにも、
はっきりした原因はわからなかったようです。
ポチは自分の不調がわかっていて
私を実家に帰って来させたのでしょうか。
具合が悪くなる前に
見事に家族全員と触れ合う時間を作ってくれた。
もうかなりしんどかったのかもしれない。
両親や妹は、辛すぎて
観光旅行のつもりで来たのでした。
両親たちが帰った後
下宿生活をしていた私は
食欲がなくなり
授業を休んだり
授業に出ても涙が出てきたりで
友人たちや大家さんに
ずい分心配をかけました。
何をしても何を見ても
ポチがいないという現実から離れられず
もう立ち直れないとさえ思いました。
庭の犬小屋はもうありませんが、
今でもそこにまだ犬小屋があるような気がします。
それ以来動物は飼っていません。
ポチが最高の犬だと思っているからです。
今でも
「ポチは○○が好きだったね」
「ポチはよくこんなことしてたね」などと
家族で話したりします。
ポチのたくさんの思い出は
私たち家族4人の胸の中に
ずっと残っています。
(特別お題キャンペーンには参加していません)