春は旅立ちが多いですね。
キーちゃんもチョッちゃんも、いろんな大事な猫さん犬さん、旅立っていくなぁ。
別れと出会いの交錯する季節は、魂も行き来しやすいのかな。
その日はチョッちゃんが朝に出てきて、なんかチョッちゃんと繋がりやすかったんですよ。
それでシスが隣にいたから、ちょっとチョッちゃんとお話ししました。
チョに親方は尋ねました。
「シスが隣にいるけど、何か伝えることある?」
「特にないよ。」
シス、ズコッ🤣
でもそれは、わざわざ言葉で伝えることなんてないよ、って意味の「特にないよ」なのです。
そんな言葉なんて必要ないよ、の「特にないよ」なんです。
それでも、一人でスタスタ歩いて、お部屋でコロコロしている様子を見せて、「また会おうね」とメッセージをくれたチョさん。
人間は想い出を宝箱のように大切にしちゃうんだよ、って親方が言うと、
「愛してるのに悲しむ必要なんてある?」って返ってきました。
そう、動物たちは、ただその時愛したその愛の気持ちそれだけなんです。
生前、チョさんはとにかく鳴いて鳴いて猫語で訴えていました。
人間が言葉でメッセージを欲しがったり、触れることに想いを残してしまうことについて、親方は言いました。
チョもさ、よく鳴いてたじゃん。声を聴けたり撫でたりさわれたりするのはとても嬉しいことなんだよ。生きている間しかできないもんね。チョも撫でられるの好きだったよね。
「大好き!!」チョが嬉しそうに言いました。
やっぱりそうやって肉体で交流できることは楽しいんだよ。
「うん、楽しいよね!」
「僕は自由だよ、自由なんだ。だから自由なことを悲しまないで。」
彼が自由なことを悲しんでいるわけじゃなくて、自由な魂の世界にいることで会えないことが寂しいのが人間。
でもそれはチョにとっては、チョが自由でいることを悲しむことと時にイコールなのかもしれません。会えないで悲しいとか会えないで寂しいなんて、魂の世界では思いもよらないことでしょう。
さらにチョは言いました。
「人間てさ、なんで話したがるんだろうね。」
ワラウ、ワラウシカナイ😁
「チョはどう思う?」
「そんなのくだらないよ。なんで人間は人間の言葉が最優先なんだろうね!」
ワ〜😅😅😅
「チョはどう思う?」
「種を超えて、愛し合うためだよ!!」
人間は人間の言葉しか話せない。猫が猫語しか話せないのと同じ(たまに人語を使う猫さんいますけどね)。
人間は動物たちのようにテレパシーで会話もできない(実際は使ってますけどね、でも明らかに人間同士でテレパシーで会話はしない)。
でもそうなっているのは、種を超えて愛し合うためだそうです。
なんて深いの!😭
チョの伝えたい意味伝わりますかね。
言葉が通じなくても、種を超えてこんなにも愛し合える。
種を超えて愛し合うために、同じ言語を持ってきていない。
言葉なんてなくても、愛し合えるでしょ。
種が違っても、言葉が違っても、それでも愛し合えるでしょ。
伝わるかな😅
「種を超えて愛し合うのは当たり前のこと。神様がそう作ったから。愛し合えないのはおかしいんだよ」とチョさん。
チョは、シスの顎に額をくっつける仕草で合図を送ると伝えてきました。
僕はここにいるよって。
それは、生前チョが抱っこされている時によくやっていた仕草だそうです。
言葉で伝える必要性を感じないチョさんの想いを、人間の言葉に翻訳して伝える親方。
チョからしたら「いらんことを」って感じですわよ🤣
許せ、チョよ。
