以下の内容はhttps://lociepatay.hatenablog.jp/entry/2026/03/22/220005より取得しました。


【感想】映画『プロジェクト・ヘイル・メアリー』科学的描写を切り捨てたことによる代償で損なわれたドラマ

映画『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の感想です。ネタバレありです。 原作小説を読んだ上で、良かった点と悪かった点について書きます。


www.youtube.com

作品情報

• 原題:Project Hail Mary
• 制作国:アメリカ
• ジャンル:SF/冒険
• 上映時間:156分
• 公開日:2026年3月20日
• 原作:アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』(早川書房)
• 監督:フィル・ロード/クリストファー・ミラー
• 脚本:ドリュー・ゴダード
• 配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
• 主要キャスト:ライアン・ゴズリング、サンドラ・ヒュラー
• あらすじ:未知の原因で太陽エネルギーが奪われ、人類滅亡の危機が迫る。唯一無事な恒星を目指す“ヘイル・メアリー”計画に選ばれた中学教師グレースは、宇宙の果てで同じ目的を持つ未知の生命体と出会い、ともに故郷を救うための難題に挑む。
• 公式サイト:https://projecthm.movie/

面白かったけれど残念......

ロッキーが登場してからの展開は純粋に楽しいし、ビジュアル面ではラージフォーマットで観る必然性のある映画だった。原作を読んでいたときのイメージがそのまま映像になっていて特別な映画体験ができたと思う。

上下巻合わせて600ページを超える大ボリュームの原作を大胆に取捨選択した構成も、映画化としては適切だったと思う。

ちなみに、公開前からロッキーの存在がネタバレになるのではという議論があったが、映画を観たら、「全くネタバレじゃない」とはっきり言える。

原作ではロッキーが上巻中盤で登場することで、それまで「孤独なサバイバルSF」だと思って読んでいた物語のジャンルがガラッと変わる驚きがあった。しかし、映画ではかなり序盤でロッキーが登場し、物語のほとんどがグレースとロッキーの友情を描くものになっており、「バディムービー」という文脈が強いため、まああの宣伝方法にするしかないよなという感じである。

宣伝担当の人も大変だっただろうな......

話を戻します。

面白かった。本当に。 しかし、一方で、原作からカットされた展開や省略された要素が物語の根幹の部分を損なわせていて、個人的には残念が若干勝ってしまった。

ここからはその理由をつらつらと書いていこうと思う。

科学的描写を切り捨てた代償

156分の中に原作を収めるにあたって、科学的な描写と、グレースがヘイル・メアリーに乗り込むまでの経緯が大幅にカットされている。「堅苦しい科学映画にしたくない」という意図はわかる。軽快さは原作が持つエッセンスだし、その判断自体を否定するわけではない。

ただ、削った代償が思ったより大きかった。

まず単純に、人類滅亡の危機感が全然伝わってこない。観ている側としては「なんとなくやばいらしい」くらいの温度感なので、任務の重さがぼんやりしたまま物語が進む。何をなんのためにやっているのかが伝わらないまま、ロッキーが登場し、友情が育まれ、感動のラストへ向かっていく。

グレースは教師であり科学者だ。未知の生命体に出会ったとき、言語を解析し、ロッキーの文化を知ろうとし、物理の法則を通じてコミュニケーションを取ろうとする。その「知りたい」という本能がグレースというキャラクターの核にある。

映画ではその部分がほとんど描かれない。ロッキーへの能動的な好奇心も、本編内の描写としてはあまり見受けられず、関係の構図が「ロッキーが歩み寄る、グレースが受け取る」という非対称になってしまっている。原作のグレースが対等な探求者として向き合っていたのに対し、映画のグレースは役割として有能なだけで、知的欲求を持つ人間としての深さが見えなかった。

これが致命的に感じてしまった。

原作でグレースとロッキーの友情が熱いのは、互いの知識をぶつけ合い、誤解して、修正して、突破していく知的格闘の積み重ねがあるからだ。「種族を超えた絆」の根拠は科学への共通の態度にある。それが映画だと体験できない。結果として二人の関係が「有能なパートナー」どまりに見えてしまう。

損なわれた熱さ

ラストでグレースはロッキーを助けに行くことを選ぶ。

あれは燃料が足りないとか食料が足りないという問題だけではない。エリディアンの環境下では人間は生きていけない。つまりあの選択は地球へ帰ることを、“生きることを諦める決断”だ。 

逆もまた然りで、ロッキーがグレースを助けた場面の重みというのが、なんとなくは伝わってくるけど原作読んだときのような真に迫る想いまでは感じることができなかった。

その覚悟の重みは、それまでの積み上げがあって初めて機能するもので、映画のトーンを軽快にしたことで、あの決断が“ただの”感動的な場面になってしまったきらいを感じた。

180分でも全然いいのに......

映像は本当に良かった。宇宙船の登場も、ロッキーのビジュアルも文句のつけようがない。ロッキーが出てきてからは純粋に楽しいし、キャラクターとしての魅力は十分に伝わっている。

尺があれば科学的描写も積み上げられたし、グレースとロッキーの知的格闘ももっと描けた。そしてラストのカタルシスは、もっと大きかったはず。

だからこそ惜しかったなと。 まあただのわがままなんですけどね。

156分でこのダイジェスト感に仕上がるなら、あと20分足しても良かった気がする。156分も180分もここまで来たら変わらないし僕たちは3時間超えだろうが観ますよ。

なんなら二部作でもいい。

原作既読者は足りない情報を頭の中で補完しながら楽しめる。でもこれ一本で考えたとき、やっぱり惜しかったな〜、と正直に思う。

原作未読の人は無理して予習しなくてもいいと思う。 映画を見て、原作で補完のじ順番のほうが楽しめると個人的には思います。




以上の内容はhttps://lociepatay.hatenablog.jp/entry/2026/03/22/220005より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14