映画『木挽町のあだ討ち』感想です。
前半はネタバレなし、後半はネタバレありです。
原作小説は未読です。
作品情報
- 作品名:木挽町のあだ討ち
- ジャンル:ミステリー/時代劇
- 上映時間:120分
- 公開:2026年2月27日
- 原作:永井紗耶子『木挽町のあだ討ち』 -公式サイト:映画『木挽町のあだ討ち』公式サイト | 2026.2.27 fri
ネタバレなし感想
先入観を伏線にする配役
結論から言うと、めちゃくちゃ面白かったです。
【観客が映画を観る】という行為そのものをふんだんに利用した気持ちよさ。 早い段階で、たぶんこうなんだろうなという予測は着くのだが、今作は「じゃあなぜ?」という部分に重きを置いており、その結果、中身の部分で読めない展開がいくつもあって一筋縄ではいかない物語となっていた。
自分は常々「結末だけ分かって得意気になっているやつは馬鹿。」という小言を語っているのだが、今作はまさに!な作品で良い時代劇ミステリーエンターテインメントだった。
一方で、後半の展開になどに対しては少し不満点もあり、その辺を以降のネタバレありの感想で語りたいと思います。
ここからはネタバレありの感想になります。 未見の方はご注意ください。
ネタバレあり感想
映画の「嘘」を利用したトリック
”【観客が映画を観る】という行為そのものをふんだんに利用した気持ちよさ”というのがどういうことかというと、 「演じること」「映画としての見せ方」「観客のイメージ」など、映画を作る上でのあれこれを、そのままミステリーのトリックとして作用させているのである。
特に俳優のイメージを逆手にとったトリックにはしてやられた。
真相が明らかになった瞬間、一番やられたのは北村一輝の役どころだった。 まさか作兵衛が良いやつで、菊之助の父親を殺したことすらミスリードだとは思わなかった。
顔や立ち振る舞いだけで「悪人」だと信じ込んでた。だって北村一輝だし。
でも真相を知ったあとに見直すと、あの“悪人の顔”は、悪意じゃなくて「役者としての顔」だった。
作品をフラットに見て事件を推理しているつもりだったのに、見事に役者のイメージに引っ張られていて悔しいです......
また、他の部分でも映画の「嘘」によるトリックが利いている。 冒頭のあだ討ちのシーンそのものもそうだし、首の仕掛けなどもまさに映画制作のあれこれを利用したものといえる。
時代劇の殺陣は誇張されていて当然だし、芝居っぽい所作や大仰な場面も「そういうもの」として受け入れてしまう。
だから冒頭の芝居感も、違和感として引っかかりにくい。
小道具も同じで、例えば生首みたいに「作り物であること」が分かりやすいものほど、逆に“作り物として見る目”を封じられる。
現代劇だと殺人そのものがひとつの違和感になるため、「作ってるな」と冷める方向に働くメタ視点が、時代劇だとそもそも「そういう世界」なのでメタ視点でみると、たとえ作り物感があったとしても、この世界では現実の出来事として処理ができてしまう。
時代劇という枠組みは、“嘘を通す装置”として強く、この“受け入れやすさ”が、そのままミステリーの土台になってる。 ここが見事だった。
一方でドタバタ劇の混ぜ方は、うーん...
シンプルに話としても面白くて泣いた場面もありつつも、中身の部分ではもう少しなんとかできたのではないかとも思う。
まず、後半、冒頭の仇討ちシーンではこんなことが起きていましたということが明かされるドタバタ劇について。
ここを見た人の多くは『カメラを止めるな』を思い浮かべると思う。菊之助のあだ討ちが行われる裏で、色んなハプニングが起きていましたという展開のツイストが行われる。たしかに笑えるし、楽しさもあった。
ただ、全体のテイストとは若干ズレた感じもして、ここは好みが分かれそう。 個人的にはあんまりかなという印象。
というのも、この作品の肝はあだ討ちを行うまでの過程にあると思うからだ。
総一郎はなぜ菊之助の仇討ちを疑っているのか? 芝居小屋の面々はなぜ菊之助のあだ討ちに手を貸そうと思ったのか。
そこにある人間関係だったり、個々人の過去が組み合わさって、菊之助という”未来”に賭けようというカタルシスに繋がるのではないか。
それをあのドタバタ劇で締めてしまうと、たしかに仇討ちのくだらなさを強調する効果はあるかもしれないが、それ以上に彼らの想いが弱くなってしまう気がした。また、ハプニングを乗り切るために無関係な人に暴力を振るうっていうのもテーマと相反していて、それはメッセージがブレない?と思った。
もし、あのドタバタ劇を成立させるなら、総一郎による捜査パートに彼らのうっかりを組み込んで、結果的に追い込まれていく形だったら、同じ軽さでももっと効いた気がする。
最後まで中身で勝負すればいいのに、小手先の手法に逃げてスカしたなという印象を受けてしまった。
もう一段ほしかったカタルシス
また、もう一つ不満点を挙げるなら、総一朗と菊之助の関係性はもう一段積み上げてほしかった。 最後の最後にふたりが対峙する場面は必要だったのではないか。
まだ若い菊之助を巻き込んでしまったことへの贖罪や、総一郎にすら真実を打ち明けずにひとりで抱え込もうとする菊之助の優しさに対する怒りなど、事件の発端となった二人が最後に会話をするからこそ、これまで積み上げてきた物語が結実するのではないか。
また、それがあって初めて、滝川家に対しての“仇討ち(徒討ち)”が成功したカタルシスが生まれると思う。
終わり方も良かったばかりに惜しまれる。 あの場に菊之助も総一郎と一緒にいて、作兵衛と3人で視線を交わすことで新たな時代の始まりとフィクションの力の勝利をこれ以上ない形で味わえたのにな。
まとめ
正直、早い段階で「たぶん死んでないパターンだな」と察しはつく。
でも、この作品が上手いのは、そこをゴールにしていないところ。
「死んだ/死んでない」よりも興味が自然に、
- じゃあ、なぜ死んでいないのか
- どうやってそう見せたのか
- その嘘は、誰のためだったのか
に移っていく。
時代劇ミステリーの形を借りて、「演じる/見せる/信じる」をそのままトリックにしている。
観客の先入観まで伏線にして回収してくる。
さらにタイトルの矢印まで反転させてくる。
人間ドラマとしてもちゃんと泣ける要素もあり、時代劇だからできるミステリーとして、かなり満足度が高い一本だった。 だからこそ、最後まで中身の部分で勝負してほしかったな。