10月31日金曜日
夜中に悪夢で一度目が覚めました。
忙しい中何とかやっつけて休暇入りしていますが、未解決の心配事は残ってますからね。大体悪夢は仕事関係。仕事がストレスなんだな。
ホテルの朝食です。結構いいです。
☆☆なのに生ハムってところがいいな、フランス。

そば粉のガレット、ここのは昨日のより大分大ぶりでしたが、頂きました。卵や野菜やハムを挟むのではなく、私はヌテラを塗ります。
床のガラス窓を通じて食堂の下に見えるのは井戸か水道か。
レセプションから我らの部屋(右手)の前を通って夜間通用口に繋がる地階廊下。
宿泊料金114€、追加清算額34.9€(朝食16€×2、宿泊税1.45€×2)。短い滞在期間でしたが、手入れが行き届いていて快適でした。
なお、事前に一区画離れたところに駐車場20€を押さえていただいていて、旧市街に進入できなかった我々は別のところに駐めた訳ですが、料金なしにしていただけました。
チェックアウトします。
一区画よりは遠いですが、円形闘技場の前を通って500m先、町の反対側の駐車場へ。

133m×101m×2層のニームに対し、136m×107m×2層とアルルの円形闘技場の方が若干大きいのですが、そもそもは2層でなく3層だったそうです。収容人員はあんまり変わらなかったようですが。

まあ確かに、アーチの上に有ったでしょ、と思いますよね。ほら、塔は余計でしょ。
ローマのコロッセオの20年程後、ニームより10年程早く建ったようですが、若干洗練度が落ちるように思われるのは、経済力の違いかローマの影響力の違いか。ほぼ何もないところに建設されたニームの方がよりローマ的で、こちらはより市民的で土着的というか。
円形闘技場には、早くから団体の観光客が押し寄せていました。
尚、昨夜レストランを探し求めて歩いた旧市街北西側、即ちホテルの近くには「コンスタンティヌスの公衆浴場」'Thermes de Constantin'があるのですが、残っている部分が少なく、あまり見るべきものがないので、スルーしました。他にも世界遺産構成物はありますが、同。
路地の先に見上げるのは、'Église de la Major d'Arles'。

アルルから時間にして20分ちょっと、距離にして17kmのほぼ一本道を東進して次に訪ねたのは、レ・ボー=ド=プロヴァンス'Les Baux-de-Provence'。
の入口よりちょっと離れた路上のパーキングメーターですけども。Googleで調査した限りでは駐車場の評判がどこも悪かったので。
レ・ボー=ド=プロヴァンス'Les Baux-de-Provence'
まず駐車場所から400m程てくてく歩いて着いたのは、町の中でなく、Carrières des Lumières(TAレ・ボー=ド=プロヴァンスの観光 13件中1位)。広大な石室状になっている石灰岩の採石場跡(宇都宮の大谷石地下採掘場みたいなところですが、塞いであって自然光が入りません)をまるまるプロジェクションマッピングのスクリーンにしています。

プログラムは2つ、「モネ」と「星の王子さま」で、嫁は「星の王子さま」推しなのですが、生憎曜日で決まっていて、今日はモネ。
ということで、印象派をさして好まない2人ですが、モネの人生を辿る旅に出ます。
浮世絵の影響を多大に受けているということで、ジャポニズムな感じの映像も。
岩が白いので、それはそれは美しく映像が投影されます。

これはどこぞの軍人さんでなく、モネがアルジェリアに従軍していたときのことを描いているのだと思いますが、生憎さっぱり詳しくない私。
入場は随時なので、大概途中から見ることになります。ので、次のプログラムの途中まで見て1周+α見たところで退出。時間がある人は何回でも見られます。
外には、オープンのホールとカフェとトイレがあります。
こことシャトーのセット券で21€@1人です。システムトラブルでこの後シャトーではチケットが買えていないとかで単独入場料10€@1人を払うのですが、ここでの21€の決済自体できていなくて支払わなくて済んでいるのか多く払わされたのかは未確認です。
そのすぐ先にも1つ同じようなのがあるのですが、そちらはサイトが死んでいて今ひとつ情報が手に入りません。
まあ2つ見る時間はないのでいいです。
続いては、徒歩で丘の上に登っていきます。
レ ボー ドゥ プロヴァンス(TAレ・ボー=ド=プロヴァンスの観光 13件中2位)。ボー家が支配した地だから「ボー」だそうですが、ここも「フランスの最も美しい村」の1つで年間150万人もの観光客が訪れるそうです。

狭い石畳の道を登っていきます。
ボー家は15世紀に滅び、17世紀にモナコのグリマルディ家に譲渡され、レ・ボー侯爵 'Marquis des Baux'の称号は現在でもモナコ大公家が継承しているそうです。
嘗て4,000人を数えた人口は現在その1/10。生活の街でなく、観光で成立しています。
石畳をほぼ登り切ると、'Chapelle des Pénitents Blancs'。「モンペリエの白懺悔の同胞団」の礼拝堂ということだそうです。
丘の上には平坦な土地が広がっていて、事前調査の際、私はこの辺に石切場があるものと思って一所懸命探していました(結果としては「違う」)。

ボー家の館に入ります。
これは本物の人がやっています。
ハロウィーンてのは秋彼岸みたいなもんだと思うのですが、日本人的な感覚で言うと、個人への敬意が足りないですよね。
とか言いながら、城内はアップダウンが激しいので、私が1人で走ります。
ボー家滅亡後200年程の城の歴史は分かりませんが、プロテスタントの牙城となっていたことでリシュリュー枢機卿により破壊されたのが1632年。町がグリマルディ家に譲渡されたのが1643年。まあ「処分された」ってことですね。

ちゃんとした建築物が載っていて適度に広い階段や廊下があったのか、それとも崖に張り付いた山城みたいなものだったのか、今の姿からは分かりませんね。城内の移動は結構大変です。
南の塔側から北の塔本館方面を望む。
町を見下ろします。平地から200m程高い高台のピークで、反対の東側も景色がいいです。

アルミニウムの原料「ボーキサイト」'bauxite'は、地質学者ピエール・ベルチェがこのレ・ボー=ド=プロヴァンスで1821年に発見したことに由来します(既に枯渇)。
レ・ボー=ド=プロヴァンスの丘から降り、D5を峠越えしてドミティア街道の町サン=レミ=ド=プロヴァンスに向かう途中、9km、10分ちょっとのところにあるのが、「グラヌム遺跡(またはグラナム遺跡)」。
グラヌム'Glanum'
D5の道端、駐車場の入口にある「死者記念塔」'Mausolée'と凱旋門、合わせて'Les Antiques'(TAサン レミ=ド プロヴァンスの観光 33件中3位)と呼ばれる遺跡があります。

この地域のローマの統治に多大な影響を及ぼした(ということでこの旅行の中で複数回言及している)アグリッパとその一族に捧げられています。
いずれも素晴らしい保存状態です。というか、埋まっていたとのことですが、こんなデカいものがどうやって埋まっていたんでしょうか。
駐車場から道を渡って坂を登ると、グラヌム遺跡'Glanum'(TAサン レミ=ド プロヴァンスの観光 33件中1位)があります。敷地内の丘の上から見下ろすとこんな感じになります。

古くはガリア人の集落がギリシャ人、ローマ人の手によって都市化してきた、という歴史の古い街です。「グラヌム」はケルト神「グラナス」由来。
傾斜地の上側、地図で言うと北側から下・南側に拓けてきた町で、最上部はガリア人の居住区。
集会所の辺り。
円柱が立ち並んでいるところは「市場」と説明されていたように思いますが、ガイド資料によると共同浴場。
井戸は2006年に修復されています。
ローマ神殿。
凱旋の泉から見上げる神殿。
徒歩で通りを行き交う人々が見えるようです。
丘陵地に佇む静かな遺跡ってところがいいですね。
出入口が小さな博物館になっています。
ガリア期の復元模型。

ガリアの彫像。
最盛期ローマ時代の姿。
ローマの彫像。
簡易なパンフレットが置かれていますが、「グラナム遺跡」と表記された日本語版もあります。立地の妙でまだ中国人観光客の津波に呑み込まれてないってことなんでしょうね。ここまで訪れていた日本人の先達の皆さんは凄いな。
続く。