神 社

全国には沢山の神社があります。
多くの神社は、総本社や総本宮とされる神社から
ご祭神を分霊してお祀りしています。
- 八幡(はちまん)神社
- 伊勢(いせ)神社
- 天神(てんじん)神社
- 稲荷(いなり)神社
- 熊野(くまの)神社
- 諏訪(すわ)神社
- 祇園(ぎおん)神社
- 白山(はくさん)神社
- 日吉(ひよし)神社
- 春日(かすが)神社
- 愛宕(あたご)神社
- 三島(みしま)・大山祇(おおやまつみ)神社
- 鹿島(かしま)神社
- 金毘羅(こんぴら)神社
- 住吉(すみよし)神社
- 宗像(むなかた)・厳島(いつくしま)神社
- 貴船(きふね)神社
- 香取(かとり)神社
- 恵比寿(えびす)神社
- 浅間(せんげん)神社
- 秋葉(あきは)神社
- 賀茂(かも)神社
八幡(はちまん)神社
総 本 宮 宇佐神宮(大分県宇佐市)
三 大 八 幡 石清水八幡宮(京都)、筥崎宮(福岡)、鶴岡八幡宮(神奈川)
分 社 八幡宮、八幡神社、若宮神社 など
主な御祭神 八幡大神(応神天皇)
神 社 数 約7,817社
第29代・欽明天皇の御代、
宇佐の地のほとりに応神天皇が同時の姿で現れ、
自分が八幡大神だと告げ、
この地に社を建立したのが始まりと言われています。
奈良時代に、皇位を狙った道鏡に対し、
野望阻止の託宣を下したことで、
八幡神は皇室の守護神となりました。
その後平安初期、石清水八幡宮が京へ勧請され、
平安京鎮護の神として祀られました。
更に、源頼義によって鎌倉に勧請され、
源頼朝によって現在の地、鶴岡八幡宮が建てられました。
こして源氏の氏神になると、
八幡神は鎌倉武士の守護神として全国に勧請されました。
通称「はちまんさま」と呼ばれ、
武運長久から発展し、勝負、勉学、仕事の成功、出世などの他、
無病息災・家内安全などの ご利益があると言われています。
伊勢(いせ)神社
総 本 宮 伊勢神宮内宮(三重県伊勢市)
分 社 神明神社、神明宮、皇大神社、天祖神社、大神宮 など
主な御祭神 天照大御神
神 社 数 約4,451社
「お伊勢さん」と呼ばれ親しまれている伊勢神宮ですが、
正式名称は「神宮」です。
「内宮(皇大神宮)」と「外宮(豊受大神宮)」、
更に14の別宮と、摂社・末社・所管社を合わせた全125社からなる、
大規模な神域を持ちます。
内宮の天照大御神は、垂仁天皇の御代、
皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)とともに
皇居のある大和を出て諸国を巡り、伊勢へと至りました。
外宮の豊宇気毘売神は、雄略天皇の御代、
丹後(当時は丹波)から伊勢へ勧請されたと伝わっています。
高天原の最高神で、皇祖神でもある天照大御神を祀るため、
別格で特別であったため、神社として別格の存在。
江戸時代、「一生に一度は伊勢参り」が庶民の夢となり、
「お陰参り」が大ブームとなり、伊勢信仰は爆発的に広まりました。
こうした中、伊勢神宮の分霊を祀る神社が全国に勧請されました。
天神(てんじん)神社
「太宰府天満宮」は菅原道真が埋葬された地に
905年に廟所が建てられたのが始まりとされています。
一方「北野天満宮」は、
都で不穏な出来事が続いたことが道真の祟りとされたため、
そこで神託があって、
霊が鎮めるために、947年に北野の地に創建されました。
朝廷からは「天満大自在天神」(てんまんだいじざいてんじん)の称号が贈られ、
道真は平安京鎮護の神として祀られました。
道真は和歌や学問に優れていたことから、
和歌や芸能の神、そして学問の神へと神格が変わり、
江戸時代には天神信仰が庶民に広く浸透していきました。
稲荷(いなり)神社
元々稲荷神は、朝鮮半島から渡来してきた
秦氏が氏神として祀った稲の神であったので、
親和性の高い『古事記』などに登場する
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と結び付きました。
また、平安時代、空海が東寺の守護神を稲荷神としたため、
現世利益をもたらす真言宗と結び付き、広まっていきました。
後に曹洞宗や日蓮宗にも取り入れられ、
仏教のダキニ天の化身とされ、仏教寺院でも祀られました。
中世以降、商工業が盛んになってくると、
稲荷神は農業だけでなく、
商工業あるいは屋敷の神など万能の神と見なされ、
農村だけでなく、都市部にも盛んに勧請されました。
熊野(くまの)神社
熊野は古くから山岳信仰によって、修験道の修行の地とされてきました。
その中心です。
平安時代には神仏習合の影響を受け、
「熊野権現」「熊野三所権現」とも呼ばれるようになりました。
平安中期頃から「浄土教」が普及。
紀伊半島が『古事記』での
根の国・黄泉国に関するゆかりの地のひとつであったり、
深い森や急峻な山地のすぐ先で
海に向かって明るく開かれるような地形だったりしたため、
「浄土(来世)との境界」あるいは「浄土そのもの」とされるようになると、
上皇・法皇や皇族・貴族などの間に「熊野詣」が盛んになり、
鎌倉時代には武士や庶民にまで広まっていきました。
平成16(2004)年に「紀伊山地の霊場と参詣道」が
世界遺産に登録されました。
「八咫烏」は熊野三山の神使です。
諏訪(すわ)神社
諏訪大社は、上社本宮、上社前宮、下社秋宮、下社春宮の4社からなります。
祭神の建御名方神(たけみなかたのかみ)、八坂刀売神(やさかとめのかみ)を
まとめて「諏訪明神」「諏訪大明神」「諏訪大神」などと総称されています。
上社本宮の主祭神・建御名方神は大国主神の御子神。
国譲りの神話において、建御雷神(たけみかづちのかみ)に敗れて、
飛ばされた諏訪の地で、諏訪の国造りを行い、
雨と風を司り、五穀豊穣、開拓と狩猟の神として祀られました。
中世以降は軍神として、武田信玄を始めとする戦国武将から崇められました。
上社前宮の祭神は、建御名方神の妃・八坂刀売神で、
下社は両柱が祀られています。
6年に1度、寅年と申年に行われる「御柱祭」は全国的に知られています。
樅の巨木を切り出して、急坂の木落としを経て、四社の社殿の四隅に
建て替える神事です。
祇園(ぎおん)神社
八坂神社も津島神社も、天照大御神の弟神・須佐之男命が祭神です。
平安時代、疫病が相次ぎ流行した際、須佐之男命を疫神と捉え、
祀ることで祓神に変え、災厄を鎮めようとしました。
一方、牛頭天王(ごずてんのう)は
釈迦の説法所である祇園精舎の守護神で、
熱病に効く栴檀(せんだん)の産地・牛頭山の神であることから、
神仏習合により、須佐之男命=牛頭天王を強い疫病払いの神として
深く崇敬されるようになりました。
白山(はくさん)神社
総 本 宮 白山比咩神社(石川県白山市)
分 社 白山神社、白山社、白山比咩神社、白山姫神社 など
主な御祭神 白山比咩大神(しらやまひめのおおかみ)=菊理媛尊(くくりひめのみこと)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)
神 社 数 約1,893社
白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)は、
全国に約3千社もある白山神社の総本宮で、
地元では「しらやまさん」と呼ばれ、親しまれてきました。
御祭神は、白山比咩大神(しらやまひめのおおかみ)、
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の三柱です。
白山比咩大神(しらやまひめのおおかみ)は、
またの名を菊理媛神(くくりひめのかみ)と言い、
ご縁を「くくる」神と言われています。
菊理媛尊は、『古事記』や『日本書紀』本文には登場せず、
『日本書紀』の一書に一度だけ出てくる神様です。
神産みで亡くなられた伊弉冉尊(いざなみ)に逢いに来たものの、
伊奘諾尊(いざなぎ)は、伊弉冉尊の変わり果てた姿を見て
逃げ出しました。
黄泉の国との境界で対峙する二柱の神の前に登場するのが
菊理媛尊(くくりひめ)です。
菊理媛尊が何事かを申し上げると、
伊奘諾尊はそれをお聞きになってお褒めになり、
やがて伊奘諾尊と伊弉冉尊は泉平坂を境に
互いに去って行かれたと書かれています。
菊理媛神(くくりひめのかみ)が
何を言ったのかについては分かりませんが、
その言葉に2人は納得し、黄泉の国、この世に戻ることが出来たと
言われています。
白山比咩神社では、菊理媛尊とともに
伊弉諾尊・伊弉冉尊も祭神として祀られています。
菊理媛神は伊奘諾尊と伊弉冉尊を仲直りさせたとして、
「和合の神」「縁結びの神」としても崇敬を受けています。
日吉(ひよし)神社
日吉大社は、創祀は『古事記』に
「大山咋神、亦の名を山末之大主神。
此の神は近淡海国の日枝の山に坐し」とあるほど古いです。
大山咋神(おおやまくいのかみ)と妻の鴨玉依姫神(かもたまよりひめのかみ)を
祀ったのが始まりです。
天台宗の護法神であり、延暦寺の発展とともに整備されました。
社殿の立つ場所が平安京の表鬼門に当たるため、
平安時代より都の守護神としても信仰され、
方除け、厄除けのご利益で知られています。
日吉大社は「山王七社」「山王二十一社」とも言われ、
摂社・末社が多くあります。
「西本宮」は大津京遷都に当たって
奈良県の三輪山より大己貴神(おおなむちのかみ)を勧請したもので、
宇佐神宮の姫神を祀る「宇佐宮」、
加賀国一宮である白山比〓神社から勧請した「白山宮」などがあります。
元々、比叡山に多く生息していた猿が、
いつのころか魔除けのシンボルとして大切に扱われるようになり、
日吉大社の神様のお使い「神猿」(まさる)と呼ばれるようになりました。
「まさる」は、「魔が去る」「勝る」に
通じるようにつけられた名前であり、縁起の良いお猿さんです。
神猿さんは、方除け、厄除け、必勝祈願、合格祈願にご利益があります。
春日(かすが)神社
大化の改新で功があり、藤原の姓を賜った中臣鎌足は、
一説には、鹿島出身と言われ、鹿島神宮を氏神としていました。
また、宮中の祭祀を担当した中臣氏の祖神は、
枚岡神社に祀られる天児屋根命でした。
平城京造営に伴い、鎌足の子・不比等は
平城京鎮護の社として春日大社を創建しました。
春日大社の主祭神は、
国の秩序を司る「武甕槌命(建御雷神)」「経津主命」、
政治と神事を守護する「天児屋根命」と、
平和と愛をもたらす「比売神」の四柱です。
武甕槌命は、鹿島神宮から御蓋山(みかさやま)に降り立った神で、
この時、白鹿に乗っていたと言われ、鹿は春日神の使いとされます。
愛宕(あたご)神社
「火伏せ・火防せ」の神社として知られ、
若宮には火の神である迦遇槌命(かぐつちのみこと)をお祀りしています。
「火迺要慎」(ひのようじん)と書かれた火伏札や、
毎年7月31日夜から8月1日早朝にかけて参拝すると、
千日分の後利益があるとされる「千日通夜祭」(せんにちつうやさい)が有名。
三島(みしま)・大山祇(おおやまつみ)神社
総 本 宮 大山祇神社(愛媛県今治市)、三嶋大社(静岡県三島市)
分 社 大山祇(積、津見)神社、三島(嶋)神社、山祇神社 など
主な御祭神 武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)
神 社 数 約704社
大山津見神は、山の神の総元帥。
別名を和多志大神といい、海の神としての神格も持ちます。
そのため、陸海両方を含めた軍事、農業、漁業、鉱業、酒造りと、
広範囲の神徳で尊崇されました。
三嶋大明神は、元々伊豆諸島の開拓神として崇められていました。
その後、東国武士の守護神を経て、
商売繁盛、家内安全、農業、漁業、航海安全の神と神格を広げ、
全国各地に勧請されていきました。
鹿島(かしま)神社
近代まで「神宮」と呼ばれていたのは、
伊勢神宮、香取神宮、そして鹿島神宮の三社のみで、
由緒と歴史の長さでは別格の存在です。
鹿島神宮の御祭神「武甕槌大神」は、
神代の昔、天照大御神の命を受けて
香取神宮の御祭神である経津主大神と共に出雲の国に天降り、
大国主神と話し合って国譲りの交渉を成就させた神様です。
武甕槌大神は、武の神として
古くから皇室や藤原氏の崇敬を受けてきました。
その後は、武士達からも厚い信仰を得、武術も盛んになりました。
国譲りの交渉を成し遂げた勝利神である武甕槌大神にあやかり、
武芸上達、勝負に打ち勝つ「勝負運」、
迷いを断ち切り強い意志で進める「決断力」、
邪魔するものをはねのけて突き進む「行動力」、
人を導き変革を成し遂げる「リーダーシップ、交渉力」の他、
更には、恋の駆け引きに打ち勝つ「恋愛運」にも
ご利益があるとされています。
金毘羅(こんぴら)神社
金刀比羅宮は、大物主神が西日本統治の拠点として
行宮を営んだ跡を祀った象頭山の琴平神社から始まったとされます。
大物主神の御神徳は多岐に渡りますが、
大国主神の国造り神話にて
海原から現れた光輝く神だったこともあり、
元々、海上交通の守護神としての性格も帯びていました。
その後、仏教の宮毘羅と習合して「金毘羅大権現」と称しました。
平安末期に起こった「保元の乱」で破れ、四国に流されていた
崇徳上皇がそのまま崩御したため、祟り神として恐れられ、
その鎮魂のために、「金毘羅大権現」に合祀されました。
「金毘羅大権現」は、航海や漁業の守護神として、
漁師や船乗りなど、海辺地域の庶民の多大な信仰を集める他、
水神や竜神という性格も帯びていたことから、
農業守護や商売繁盛の神としても信仰され、
内陸部や都市部にも広がっていきました。
住吉(すみよし)神社
住吉大神は、伊邪那岐命が黄泉国での穢れを祓った際に
海中より出現された、底筒男命・中筒男命・表筒男命の
三柱の神の総称です。
その住吉大神は、第14代・仲哀天皇の皇后・神功皇后に
新羅遠征を託宣。
身重であった神功皇后は新羅平定に成功し、
凱旋後に無事に応神天皇を出産しました。
加護を感謝した皇后に、
更に墨江の地(大阪市住吉区)に祀るようにとの託宣したことを受け、
社を創建したことが、住吉大社の始まりです。
この時が、卯年卯月卯の日だったことから、
ウサギが住吉大社の神使とされています。
仁徳天皇の住吉津の開港以来、
遣隋使・遣唐使に代表される航海の守護神として崇敬を集め、
また、王朝時代には和歌・文学の神として、
あるいは現実に姿を現される神としての信仰もあり、
禊祓・産業・貿易・外交の祖神と仰がれています。
宗像(むなかた)・厳島(いつくしま)神社
総 本 宮 宗像大社(福岡県宗像市)
分 社 厳島神社、厳嶋神社 など
主な御祭神 宗像三女神(タゴリヒメ、タギツヒメ、イチキシマヒメ)
神 社 数 約530社
天照大御神と須佐之男命の「誓約」によって生まれた
三女神(タゴリヒメ、タギツヒメ、イチキシマヒメ)がそれぞれ
宗像大社の沖津宮、中津宮、辺津宮に祀られています。
天照大御神から命じられて、海の守護神になったとされています。
そしてこの三女神は、厳島神社の祭神でもあります。
6世紀末に造営された厳島神社は、
その後、平清盛は現在のような海上建築に作り変えて、
海の神として厚く信仰。貴族の間にも広まりました。
戦国時代には、安芸の戦国大名・毛利氏の深い崇敬を受けるなど、
軍神としても信仰されました。
また神仏習合によって、ヒンドゥー教の川の女神をルーツとする
七福神の弁財天と、水の神としての神格が共通することから、
宗像三女神の中でもとりわけ美しいとされる市杵島姫命と習合。
海上の守護神としては勿論のこと、
音楽、芸術、財宝の神ともされるようになり、
全国に広まっていきました。
宗像神社、胸方神社、宗形神社、厳島(嶋)神社などがあります。
主に、西日本に広がっています。
貴船(きふね)神社
総 本 宮 貴船神社(京都)
分 社 貴船(舟、舩)神社、貴布禰神社、意賀美神社、雄神神社など
主な御祭神 本宮-高龗神、結社-磐長姫命、奥宮-高龗神・玉依姫命
神 社 数 約463社
『古事記』の神生みで、伊邪那美命は
火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を産んだことによる
大火傷により遂に亡くなってしまいます。
伊邪那岐命は、最愛の妻を失った怒りから、
火之迦具土神を「十拳剣」(とつかのつるぎ)で切り殺してしまいます。
本宮の御祭神、高龗神(たかおかみのかみ)は、
この剣に付着した血から生まれた闇龗神(くらおかみのかみ)のことです。
雨乞いを受けて雨を降らせたり、大雨を止めたり、
水全般を司る神です。
水の神であることから、水を扱う商売として
飲食、醸造、浴場業者などが厚く信仰されています。
ある時、浪花の津(大阪湾)に黄色い船が現れ、
乗船していた玉依姫命(奥宮に祀られている)が
「船の留まる場所に神を祀れば、国土を潤し、民に福運を与える」と
告げます。
黄船は加茂川を上り、水源近くに留まったため、
緑豊かなその地に貴船神社は創建されました。
平安京遷都後の貴船神社は、
上賀茂神社、下鴨神社と並ぶ格式高い神社として、
京の鎮護神社として崇拝されました。
結社には、磐長姫命(いわながひめのみこと)が祀られていますが、
縁結びの御利益も有名で、平安時代の女流歌人の和泉式部も
不和となった夫との復縁を願い、叶ったと言われています。
古来天皇は、高龗神(たかおかみのかみ)に祈る時、
雨乞いでは黒馬、雨止めには白馬か赤馬を捧げたことが、
「絵馬」の起源と言われています。
香取(かとり)神社
香取神宮は、鹿島神宮・息栖神社と合わせて
「東国三社」と呼ばれています。
創建は神武天皇の御代18年と伝えられています。
祭神は、国譲り神話に登場する武術の神様
「経津主大神」(ふつぬしのおおかみ)です。
勝運・交通・災難除けなどにご利益があると言われています。
恵比寿(えびす)神社
総 本 宮 西宮神社(兵庫県西宮市)、美保神社(島根県松江市)
分 社 西宮神社、蛭子神社、恵比寿神社、事代主神社など
主な御祭神 ・西宮神社-えびす大神、天照大御神、須佐之男命
・美保神社-事代主神(えびす神)、三保津姫命
神 社 数 約408社
恵比寿様は七福神の中では唯一の日本生まれの神様です。
元は漁業の神で、水蛭子(ひるこ)や事代主神などと結び付き、
福をもたらす神、商売繁盛の神など、多様なご利益を持つ
民間信仰の神です。
浅間(せんげん)神社
第7代孝霊天皇の御代、富士山が大噴火をしたため、
周辺住民は離散し、国が荒廃したため、
第11代垂仁天皇はこれを憂い、
浅間大神を山足の地に祀り山霊を鎮められました。
これが富士山本宮浅間大社の起源です。
関東・東海地方の富士山を望める地域を中心に東日本に多いです。
806年、坂之上田村麻呂が
現在の富士宮市の地に社殿を移しました。
やがて富士の麗峰の姿から、
美貌の「木花之佐久夜毘売命」が連想され、
「浅間大神」と同一視されるようになりました。
木花之佐久夜毘売命は
燃え盛る火中で三柱の御子神を産んだことから、
火を鎮める神、安産の神としても祀られています。
浅間信仰は修験道との関わりを持ち、
「講」(信者の集まりの団体)を先導して富士山を目指し、
室町時代には富士山頂への参拝が盛んとなり、
江戸時代には庶民にまで広がっていきました。
「あさま」は元来「火山」を意味する言葉で、
「浅間」(せんげん)は火山としての富士を指しています。
秋葉(あきは)神社
秋葉山には、火之加具土大神がお祀りされています。
秋葉山本宮秋葉神社の創建は、
今からおよそ1300年前の和銅2(709)年。
以降、火防の神様として、日本全国に存在する秋葉神社の
総本宮として崇敬されています。
因みに、東京の有名な電気街「秋葉原」という地名も
火災が頻発していた明治時代の東京で、
現在の秋葉原の地に火災鎮護の秋葉神社が祭られたことが
所以しています。
秋葉神社は、火除け、厄除け、家内安全、
産業発展、工業発展、商売繁盛に霊験あらたかとされ、
広く信仰されています。
賀茂(かも)神社
京都最古の歴史を有する一社であり、
古代山城の豪族賀茂氏の氏神を祀る神社として、
賀茂別雷神社(上賀茂神社)、神賀茂御祖神社(下鴨神社)
とともに「賀茂神社」(賀茂社)と総称されています。
奈良時代には既に強大な勢力を誇り、
平安遷都後は皇城の鎮護社として、
京都という都市の形成に深く関わってきました。
賀茂神社両社の祭事である「賀茂祭(通称 葵祭)」で有名です。
「別雷神」(わけいかづちのかみ)は、
雷を別ける「雷除け」で信仰を集めました。
古の人々にとって天災の代表的なものだった落雷を除けることから、
厄除け、方位除けなどのご利益があると信じられてきました。
更に、雷をもコントロールする強大な力が必勝に繋がるとして、
勝運と武運長久を願う
歴代の天下人や武将が好んで篤く信仰する神社でもありました。
近年では雷から転じて「電気を司る神様」として電力や鉄道、
更に機械やIT関連など幅広い企業からの参拝があるそうです。