
「招き猫」は古来より、
開運招福や千客万来、商売繁盛をもたらす
縁起の良い置物として、
多くの日本人に愛用されてきました。
招き猫の種類は様々で、
それぞれにご利益も異なります。
三毛猫は幸運を呼ぶ
「招き猫」の人形になっている猫はなぜか、
猫の中でもなかなか生まれることのない
日本原産の「三毛猫」が多いです。
希少な故に「三毛猫」が幸運を呼ぶと言われ、
「招き猫」のモチーフになったのかも
しれません。
「三毛猫」は、とても健康で丈夫な猫が多く、
性格は猫らしい自立独立型の
しっかりした性格の猫が多いと言います。
ネズミを捕るのが上手で、
なおかつ手が掛からないため
昔から人気があり、愛され続けてきました。
また、他の猫に比べて平均寿命が長い、
という報告もあります。
「三毛猫」はほとんどメスしかいないので、
発情期にマーキングやオスのような喧嘩も
しません。
猫種の中でも飼いやすい猫です。
また日本の船乗りの間では、
「三毛猫」を船に乗せると
遭難しないという言い伝えがあります。
船内の「三毛猫」が騒ぐとしけになり、
のんびり寝ていると
天気も安心と考えられていました。
更に「三毛猫」の3色のカラーにも
それぞれ意味があります。
三毛猫のベースカラーである
「白」は来福招福、
「純白」は清潔・純粋を意味し、
幸せを包み込んで育てるというイメージが
定着しています。
「黒」は魔除け、厄除け。
「赤」は日本では昔から麻疹や疱瘡の神が
嫌う色であると信じられ、
「無病息災」の色として考えられています。
招き猫の起源
「招き猫」は江戸時代に出現したようですが、その起源については諸説ありますので、
その中のいくつかをご紹介します。
最も古い「自性院説」
最も古いのは、文明9(1477)年、
「江古田・沼袋原の戦い」で、
劣勢に立たされ道に迷った太田道灌を
黒猫がが現れて手招きをし、
自性院 (じじょういん) に案内しました。
これをきっかけに盛り返しに成功した道灌は、
「猫の地蔵尊」を奉納したという説です。
「自性院」は、今も東京都新宿区落合にあり、
「猫寺」とも呼ばれています。
最も有名な「豪徳寺説」
最も有名なのは、彦根藩2代藩主の井伊直孝が
猫に手招きされて豪徳寺に辿り着き、
それをきっかけに菩提所を移したため、
寺が復興したことから、
手招きをした猫が亡くなると
その猫の姿を象った 「招福猫児」 (まねきねこ) を作って冥福を祈ったというものです。
遊女薄雲説
元禄年間、江戸で名を馳せた遊女・薄雲太夫は、
「玉」 と名付けた三毛猫を可愛がっていました。ある日、薄雲が厠へ行こうとすると、
なぜかその猫が裾を噛んで離さないので、
郭の主人が猫の首を切り落としてしまいました。
すると、その首が飛んで行って、
厠に潜んでいた大蛇を噛み殺しました。
薄雲は自分を守ってくれた猫を供養するため、
西方寺に猫塚を祀り、猫の像を作りました。
その後、猫の像の置物を縁起物として
浅草の歳の市で売ったところ、
人気となったという説です。
その後、薄雲太夫は身請けされ吉原を後にし、
西方寺は東京豊島区に移りました。
今戸人形説
嘉永5(1852)年、浅草に住む老婆の夢枕に
愛猫が立ち、
「自分の姿を人形にするなら、
必ず福徳を授かるだろう」と告げました。
そこで老婆は、当時浅草で盛んに作られていた
「今戸焼」で猫の人形を作らせ、
浅草寺の参道で売り出すと、これを手本に、
各地で「招き猫」が作られるようになったと
いう説です。
安土桃山時代の初頭の天正年間 (1573-1592)、
隅田川西岸の今戸地域では
焼物に適した粘土が採取されたため、
「今戸焼」(いまどやき) という素焼きの瓦や
日常生活道具が盛んに作られていました。
その傍ら、狐・狸・おかめ・福助など、
数多くの土人形 「今戸人形」(いまどにんぎょう) も
作られ、特に「招き猫」の元祖とも言われる
「丸〆猫」(まるしめのねこ) は大流行しました。
「丸〆猫」(まるしめのねこ) は、
背面腰の辺りに「〇」に「〆」の陽刻があって、
「金銭や福徳を丸く勢〆 (せしめ) る」という
縁起担ぎの意味合いがあります。
なお今戸人形の「招き猫」は、
「横座りで頭を正面向きにして招く」
ポーズのものが基本です。
伏見人形説
京都の「伏見稲荷大社」の周辺では、
土人形の元祖とも言われる「伏見人形」が
古くから作られてきました。
中でも「招き猫」の土人形が人気で、
やがて、この伏見人形の「招き猫」は、
愛知県・瀬戸へと伝わり、
瀬戸焼の招き猫のルーツになったとも
言われています。
養蚕農家が奉納した「猫の像や碑説」
かつて養蚕が盛んだった時代、
養蚕農家を困らせる
天敵の「ねずみ」を食べてくれる猫は
養蚕農家にとっては、
まるで神様のような存在だったため、
猫の像や碑が神社に奉納されるました。
そして時が経ち、養蚕業が下火になってからも
猫は福を呼ぶ「招き猫」として
人々に大切にされていったという説も
あります。
招き猫の種類
右手・左手・万歳
右手を上げている招き猫は、
金運を招くという意味があるとされ、
左手を上げている招き猫は
人脈を招くという意味があるとされています。
更に、両手を上げた招き猫は、
金運と人脈の両方を招き入れるらしいです。
但し、万歳をする姿が「お手上げ」のようだと
避ける人も多いのだとか。
招く手の高さ
諸説ありますが、一般的には、
上げている手が耳より高いと
「遠くの福」または「遠い未来の福」を招き、
上げている手が耳より低いと
「近くの福」または「近い未来の福」を招くと
言われています。
色とご利益
- 白:開運招福
- 赤:無病息災、回復祈願
- 黒:厄除け、家内安全
- 金:満願成就、財運興隆、商売繁盛
- 銀:満願成就
- 黄:金運万来
- 桃:恋愛成就
- 緑:必勝合格
- 青:健康長寿
- 紫:健康長寿
「招き猫」の三大産地
「招き猫」は日本各地で作られていますが、
三大産地と言われているのが
「瀬戸焼」「常滑焼」「九谷焼」です。
瀬戸焼の招き猫
瀬戸焼の「招き猫」は、
京都・伏見稲荷の参道で売られていた
伏見人形をモチーフにして作られたので、
ちょっと狐っぽい顔をしていて、
複数の鈴とひだのある前掛けをつけている
ことが多いですが、細身で猫背と、
本物の猫に近い姿をしています。
手の上げ方が控えめなのも特徴の一つ。
明治30年代頃から作られるようになりました。
常滑焼の招き猫
「招き猫」といって思い浮かべる、
大きな耳、まるい顔、大きく垂れた目に、
二頭身スタイルで、小判を抱えたものが
「常滑焼」のものです。
そのルーツは、愛知県半田市の土人形
「乙川人形」(おつかわにんぎょう) と言われます。
常滑では、瀬戸に遅れること50年後、
第二次世界大戦後、
下火となった主要産業の代わりに
「招き猫」づくりを始めたといいます。
このふっくらとした可愛いデザインの
「常滑焼の招き猫」は瞬く間に人気を博して、
「招き猫」の生産日本一になりました。
そして日本の景気が良くなると、
「信楽焼の狸」と共に「常滑焼の招き猫」は、
商売繁盛のアイテムとして、飲食店を中心に
店舗に飾られるようになりました。
現在も、常滑市は日本一の招き猫生産地です。
常滑市キャラクターも招き猫の「トコタン」。
市内には、「招き猫通り」もあり、
39体の「御利益陶製招き猫」には、
39体分それぞれに御利益が込められています。
またイオンモール常滑には、
高さ6m50㎝を誇る世界最大級の招き猫
「おたふく」もあります。
九谷焼の招き猫
九谷焼の「招き猫」は、
全身が極彩色の文様で覆われていたり、
金彩が施されたりと、
華やかな見た目が特徴のものです。
威厳のある表情で異国情緒溢れる姿から、
海外での東洋趣味のブームに乗って、
そのほとんどが輸出用として生産されたため、
国内であまり馴染みはないかもしれません。
神使(眷属)
明治時代から昭和初期にかけて
全国で養蚕業が盛んになると、
養蚕農家は鼠に解雇を食べられる被害に
大いに悩まされました。
そのため、当時の神社では、
鼠除けの御祈祷が
ごく普通に行われていたようです。
天敵の猫を飼ったりして鼠対策に励む一方、
養蚕の神様に養蚕守護を祈り、
その眷属である猫の力添えを願って、
神社に猫の石像を奉納したり、
神棚に猫の絵入りのお神札や絵馬などを
お供えしたりしていたそうです。
来る福招き猫まつり
「招き猫の日」や「来る福招き猫まつり」、
「招き猫ミュージアム」については
こちらをご覧下さい。
