昨日20日、復活祭の週が始まった。
今年は、もともとは異なる暦に基づいて祝われている、
カソリックと正教会の復活祭が、
たまたま同じ日に重なる。
これを機に、いい意味で両者の間の垣根が取り払われ、
対話が進む年になって欲しい。
何と、復活祭の前日には雪が降った。
寒い復活祭になるかも、と身構えていたら、
雪はすぐに融け、寒すぎず過ごしやすい復活祭に。

復活祭と言えば、イースターエッグ。
今年は「シンプルだけど可愛らしく」をテーマに染めてみたが、
12個も並べたのに、飾って2日後にして、完食。
私たち(特にスラバ)のコレステロール値、大丈夫だろうか。

せっかくなので、復活祭の朝、
自宅から一番近い正教会であるスパスカヤ教会に行ってみると、
予想以上に人は多かったが、
参拝者の年齢層は、私か私より上ぐらいに偏っていた。
信仰心に目覚めやすかった世代なのかもしれない。



ロシアの教会では、聖歌隊の歌声がとても美しい。
その清らかな声に雑念を追い払ってもらい、
私はとにかく一日でも早く、
誰もが安心して暮らせる平和な日々が訪れるよう、祈った。
最大限、罪が贖われ、
二度と戦火が人々の命を奪うことがないように、と。
ところで、この教会の外には、有名な伝説をテーマにした、
王子ピョートルと、彼の病を治した
平民出身の女性、フェヴロニアの像がある。

この像の後ろには、
フェヴロニアが飼っていたといわれるウサギもいるので、
復活祭のウサギとは意味合いが違うが、久々に会いに行ってみた。
このウサギの前で願掛けをすると叶うといわれるし、
何といっても可愛らしいからだ。

13世紀、ピョートルとフェヴロニアは曲折を経て結ばれ、
生涯をともにする。
この伝説の詳細については、改めて語るとして、
伝説には、とてもロマンチックながら怪奇的な結末がある。
ピョートルとフェブロニアは
同じ日に死んで同じ場所に葬られることを願い、
生前に墓まで用意していた。
そして願い通り、二人は同じ日の同じ時間に亡くなったのだ。
しかし、二人と繋がりがあった修道院は
宗教上の理由から二人の願いをかなえることなく、
別々の修道院に遺体を安置した。
それにもかかわらず、
翌日、二人の遺体は同じ場所で発見されたという。
何とも不思議な余韻が残るラストだが、
この伝説、イルクーツクとは何の関係もない。
ならなぜここに像が?と思い、調べてみると、
じつはこの伝説を記念した像がここに建てられたのは
意外と最近で、2009年のこと。
2008年以来、「家族、愛、忠誠の日」を祝うための
国家プロジェクトの一環として、
ロシア全土に同じような像が89も置かれ,
その内の1つがこの像、なのだそう。
同じモチーフの像の、
これほどまでの大量制作&大量設置は、
正教の歴史上、他に例がないらしい。
だが、イルクーツクには、革命前ほどでないにしても、
けっこうたくさんの教会がある。
なぜよりによってここに?と思った時、
ある仮説が浮かんだ。
この像の後ろに広がる敷地には、
今こそ、ハトがエサをついばむ、
長閑な広場と散歩道しかないが、
じつはソ連時代に更地にされるまで、
墓地が広がっていたそうだ。

つまり、墓とゆかりのある像がここに建つことで、
この土地が昔「墓地」であったことが、
多少なりとも、記念できることになる。
墓地があったことなど、まったく知らない人にも、
そこはかとなく暗示する形で。
そんなことをつらつらと考えていたら、
フランシスコ教皇の訃報が。
フランシスコ教皇については恥ずかしながら、
広く報道されていることぐらいしか知らないが、
敢えて言うなら、
映画『二人のローマ教皇』は興味深い作品だった。
実は、私はアンソニー・ホプキンズのファンなので、
最初は何より彼の演技が観たくて見始めたのだが、
観終わってみると、政治と宗教の関係について、
あれこれ考えさせられた。
映画において、ベルゴリオ枢機卿(のちのフランシスコ教皇)は
アルゼンチンにいた頃、
軍事独裁政権に立ち向かわなかったことを理由に
自らには教皇になる資格がないと考える。
枢機卿の苦悩の深さは、想像するに余りある。
独裁的な政治に、宗教はどう立ち向かえばいいのか。
立ち向かえない場合、信仰とはどう折り合いをつけるのか。
ロシアの軍事侵攻によって多くの人の命が失われている今、
とても切実な問題だ。
ロシアでも、教皇死去のニュースは盛んに報道されている。
しかし残念ながら、今のロシアのマスメディアにおいて、
フランシスコ教皇の内心にあったであろう葛藤に、
焦点が当てられることはないだろう。