ひきこもりの働き方
下記の記事に呼応して書きます。あんまりまとまってないので、ご承知ください。
「主夫」をしていて思うのは、主夫も慣れてくるとだんだん「ふつう」になることです。「ひきこもり」も長期的になるとそれが「ふつう」の状態になると思うのですが、それって結構すごいことだなぁと思うのです。
どんな分野のものであっても、長年続けているものであれば、それなりに知見は溜まってくるし、後進にアドバイスすることもできます(やめとけ、というのも含めて)。
マイナスの文脈で語ることはいくらでも出来ると思うのですが、それを一つの現象ととらえて見ると、面白いし何かできないかな、と考える対象になります。
「ひきこもり」もまた、その経験はなにかに役立てられないかな?と思うのです。単純にナレッジを共有するプラットフォームみたいなのがあっても面白そうです。
就労はゴールなのか?
必ずしも、そうとは限りません。
「ひきこもり」が長期化すればするほど、当事者も家族も社会から孤立した状態になります。
ひきこもり当事者の高齢化は近年その問題が指摘されていますが、まずは「孤立した状態を見つける」「定期的に家族が他のだれかに会うきっかけを作る」「現状と当面1年くらいの生活をなんとか乗り切るための知恵を出し合う」などが一つのゴールになるかと思います。
「就労」はその後の話です。
下記の記事でも、「就労支援」がケアとして機能する条件が紹介されていますが、より詳しくは「ケアとしての就労支援」という本の中に書かれています。
・当事者がすでに治療を受けるなどして、心身ともに安定していること
・当事者が就労を希望しているか、なんらかの興味を示していること
・当事者と家族との関係が良好であること
・当事者の特性に見合った職場ないしトレーニングコースがあること
・当事者に家族以外の親密な対人関係があること(『ケアとしての就労支援』p.4)
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フルタイムの就労が当たり前ではない
一度、無職期間(主夫)を経て思うのは、「フルタイムの就労」はそれだけでハードワークだということです。鬱などのリワークでもそうですが、一度無理した体で同じようにもう一度働くのはしんどいので、通常は産業医と上司と相談しながら段階的に時短勤務を経て、通常業務に戻ります。
「就労」と聞くと、なぜかフルタイムで外に働きに出ることを想定しがちです。でもフルタイム就労が当たり前、という意識を一旦脇に置いておく必要があります。
「フルタイムで働くことが当たり前」なのは変、です。
ひきこもりであれば、なおのこといきなりフルタイムはしんどいので、全く収入にはならなくても、月1、週1などの働き方でもいいと思います。もちろん、そうした働き方が、クラウドワークスや派遣会社などの労働集約型でキャリアアップも期待できないところに搾取されてしまう気持ち悪さも分かりますが。
月に一度でも立派な就労である、という認識を持つこと自体が、自己肯定感にもつながるし、それが社会全体に広まれば、たとえば専業主婦・主夫だってもっと生きやすいし、生きづらさを抱える人の心的負担が軽くなるのではないかと思います。
下記の記事は、子育ての文脈で「魚の釣り方」の比喩を使っていますが、スモールステップをうまく作ることは、仕事でも、就労でもとても重要なことです。

「ひきこもり」じゃないと支援されないのか?
こちらの記事を見て、思ったのは、カテゴライズされないと支援されないという障害者福祉の現状です。
特別支援も福祉もそうなのだけど、支援を受けるためにカテゴライズされなきゃ受けられないのがいまの制度。そして、そのカテゴリーがスティグマになっていると、尊厳が損なわれてしまうことが多い。だからといってカテゴライズされないと「障害受容が云々」といわれ、支援に繋がらない。これ、変えたい
— 野口晃菜 Akina Noguchi (@akinaln) 2018年10月14日
そもそも、ずーっと家にいて何もしない人だけが「ひきこもり」ではなくて、ひきこもり未満の一見普通に見えるけどうまく働けない人ももっとたくさんいるよね、というところで、むしろ支援の対象として認められている人のほうが恵まれている、という状況もあるのではないかと思います。
そのあたりのことは、下記の記事でも少し触れています。
ひきこもりの生存戦略
FPの畠中雅子さんは、ひきこもりの当事者が、ずっと働けないという状態に陥ったとしても、彼らがひとりで生きていけるように、親が生前にその道筋を整える具体的な方法を示しています。
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これは、あくまでもそうした「プラン」 を立てることで、「絶望した先の見えない状態」から救うことを目的としています。最悪のプランを想定し、様々な制度を調べることで、ずっとこのままなのかなという閉塞感を断ち切って、「まあなんとかなるかも」とすこしラクに考えることができます。
ラクな気持ちになって、それが当事者と家族の回復へとつなげられたら、それはそれでとても良いことです。
嫌われがちな「おっさん」を救うために
そういえば「主語が大きい」という話は下記の記事でもしていました。「おっさん」は社会では嫌われがちな存在ですが、当然おっさんにもいろいろあります。
傲慢で権力を振りかざすおっさんもいれば、うまく社会と関われず苦しんでいるおっさんもいます。後者のおっさんは、運が悪ければ誰にも気づかれず野垂れ死ぬし、何かの拍子で「無敵の人」になる可能性もあります。
高齢化したひきこもり問題は、おっさんの生きづらさにもつながります。「おっさん」を敵視する社会では、支援自体に賛同が得られず、より一層支援が難しくなります。
まとめ
ニャートさんのアイデア出しは、とても面白いし、今後もできれば一緒に考えていきたいと思っています。たくさんの人で、考えたり学んだりするなかで、「ひきこもりの働き方」に限らず、「生きづらさ」を抱える人が、それでも生き抜くための方法を見出したいです。
