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秋のヴェネツィア紀行Ⅰ マルコ・ポーロ空港、ホテル、サンマルコ広場

こんばんは、Clariceです。

4泊6日でヴェネツィアに行っていました。

アドリア海の女王、夢の浮島。

素晴らしい天気に恵まれ、美しい歴史的景観を見ることができて感無量でした。



ーcontentsー

旅の経緯

決意したのは仕事に忙殺されていた4月頃。

「海外旅行には今年絶対行く、行き先はイタリア」と決めていたのですが、日程の使い方で迷っていました。

ローマは別に良くて、フィレンツェヴェネツィアの両方に行きたくて、二都市間の距離は列車で片道2時間ほど。

しかし、時間が足りずに消化不良で後悔したくないなと思い、一都市に絞ることに。

優先順位をつけるとヴェネツィアかなということで、ヴェネツィアマルコポーロ空港へ飛びました。

航空会社は安心のエミレーツ。ドバイで乗り継ぎを経ての合計15時間フライトでした。

無謀にも、自分探しにひとりで行くかとも思ってみたのですが、大学時代の歴女友達を誘ってみると行きたい!と休みを取ってくれました。

旅の道中、感動を共有出来て、とても嬉しかった。

一人旅だったら、どこかしらで詰んで守りに入り、何かを諦めて見れなかったものがあった可能性があります。


空路

0時前発の空港の雰囲気は、リミナルスペースのようで不思議な感覚でした。

保安検査を受けた後、ターミナルを移動し、空港最果ての搭乗口へ。

どうせ飛行機で寝るのだからと、深夜発~現地に午後着の便。


離陸後、初手の機内食をスキップしたことに気が付かないほど熟睡し、何度か目が覚めると機内は暗くしてくれていて、これが寝ても寝てもなかなか着きませんでした。そのまま9時間45分。

2度目の機内食



空気で膨らませるネックピローのおかげで首は寝違えなかったです。


ドバイに到着。空港で5時間待機。

飛行機から見えたまだ真っ暗なドバイは朝5時時点で、煌々とした灯りが碁盤の目のようになっていて、友達は「綿密な都市計画の下で開発されたんだろうな」と言ってました。


空港内は相変わらず金の装飾でキラキラ。



機内食でお腹いっぱいだったためカフェなどには入らず、お土産屋さんをうろうろし、次の搭乗口にて待ちます。

時間にじゅうぶんすぎるほど余裕を持って行動のできる友達に乾杯!私は極度の心配性なので。

出発前日に友達が持たせてくれたチョコボールには銀のエンゼルが。これは幸先が良いと大いに喜ぶ。


こちらは搭乗口から飛行機までシャトルバスでどんどん輸送される。

このペースで間に合うか?と思っていたら、案の定離陸時間は過ぎていました。笑


バスを降りたタイミングで外に出たが、夜が明けて日が照っていたドバイは暑く、埃っぽかった。

機内は先ほどよりもゆったりしている印象。全然追いついていない塩野七生さんの『海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年』の4巻を読みます。

ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを巡ってのトルコとの戦いの場面。

私が一番最初に読んだ同著者の『コンスタンティノープルの陥落』と重なる場面あり。

4世紀末、東ローマ帝国の首都としてはじまったコンスタンティノープルは、1453年オスマン帝国マホメッド2世によって陥落し現在はトルコのイスタンブールとなっています。

ちなみに友達は『海の都の物語』2巻の途中らしかった。文庫版は全6巻。ふたりとも読破ならず。笑

友達、日本史専攻だけどさすが教養があって勘が良く、着眼点が鋭いため、どこを歩いていても、色んな気づきを拾ってくれました。


乗ってすぐ軽食で出た、箱入りのハードパンサンドイッチが美味しくて感動。

数時間後にまたランチ。スクランブルエッグ、ビーフのミートボール、ペンネ、パン。冷え冷えのピスタチオのムース。美味しい。

あとからコーヒーか紅茶もいただけるのであった。

ヴェネツィアマルコ・ポーロ国際空港

昼過ぎ、空港着。

正式名称はヴェネツィア・テッセラ空港らしいけど、ヴェネツィア共和国時代の有名人マルコ・ポーロにちなんでこう呼ばれているんだとか。

ヴェネツィア商人の息子として1275年、中国の元までたどり着き、しばらく仕えた彼の伝聞をヨーロッパに伝えた『東方見聞録』。

そこには、極東にある黄金の国ジパングの記載もあります。

中国からの帰国後、ヴェネツィアとライバル状態にあったジェノヴァ船に捕虜にされた際、口述した内容を居合わせた人が書いたもの。偶然の産物。

ドュカーレ宮殿の展示。

ちなみに、そのおよそ200年後、スペインの援助を受けて大西洋横断を果たしたコロンブスジェノヴァ人です。

俗にいう「大航海時代」はポルトガル、スペインが国家事業として牽引しましたが、それまでに地中海貿易を担っていたのは海洋国家ヴェネツィアジェノヴァアマルフィ、ピサ等。

これら海洋国家の東西交易にともなう造船技術の発達や、アラビア経由で中国から入ってきた羅針盤の小型化が時代を動かしました。

小型化した羅針盤は、砂漠を歩くのにも役立ったとか。

歴史は、時代の転換期と異文化のぶつかる地において興味深い発見があります。


着いてすぐ空港で、台車を押した荷物運び男性にキャリーケースを奪われかける。毅然と断って逃亡。

友人がアプリで事前にローマ広場までのシャトルバスを予約してくれていて、QRコードでバス乗車。


現地は暑い。ヴェネツィア本島が見えてきました。歴史を感じる建物群。海。

感慨に浸る間もなく、橋で青年にキャリーケースに手を掛けて奪われかけ、引っ張り合いになり、奪取。

キレながらNo!というと、諦めたよう。チップ目当てよ。

至るところに掛かっている橋は、運河に船を通すだけの高さが必要なことから上がり下がりが激しいため、キャリーケースを持っているとカモすぎました。

これを回避するには、ヴァポレット(水上バス)でホテル近くまで移動が安全。

(ちなみに帰りは友人が荷物取られて、チップ要求されてました。現金本当に持ってなくて「ただ運ばせただけ」になり、睨まれたそうです笑)


橋を渡ると、運河にヴァポレットが行き交い、教会建築の上部にある半球型のクーポラが見え、感動しました。

とりあえずスリが怖いため、無心にホテルを目指しました。

ホテル・チェックイン

ホテル玄関からの赤い絨毯の階段が長く、キャリーを持ってあがるだけで汗だくになりました。扉もすごく重く、なんかツメが割れました。笑 

三ツ星ホテルですが、さすがヴェネツィア本島のホテル。狭い、高い、道が悪い、橋が多い。


チェックインでは観光税を支払うようです。クレカ決済。デビットカードとクレカの二枚持ちで行きました。

教会や古い雑貨屋さん以外ではほとんどカード決済可能でした。


室内レビュー。

冷蔵庫なし。

エアコンは表示ではCoolとHeatがあったのに、実際はHeat Onlyでした。(のちほどホテルの口コミにも書かれてました)
普通にちょっと暑かったです。これ夏だったらどうするの!

壁は真っ赤なストライプの布貼り。寝具は清潔。

アメニティは、タオルくらい。使い捨てスリッパ、部屋着、歯ブラシ等の持ち込みは必須です。

そして、先客の蚊と蠅が数匹いました。

友達が何匹も倒したのに、無限に入ってきて、ずっと虫と格闘。

はじめは共存を覚悟しましたが、さすがに多すぎるしきっと刺されてしまう!


すぐに対策をググって、我らが日本企業のフマキラー社のベープを求め、地域版ドラッグストアみたいな店へ立ち寄る。

こちらのベープは「ヴァ―ぺ」として売られています。プラグにセットするシートマットタイプを購入。

ついでに虫よけスプレーも購入。ポケットムヒは日本から持ってきてました。


効果のほどは、セットして数時間すると、3~4匹の蚊や蠅が落ちていました。

それ以来、虫の気配はせず。隙間からお隣の部屋やお外に行ってくれたようです。

これがニンゲンの適応能力よ。


シャワー、トイレ、洗面台は清潔ですが、換気扇がなく湿気っぽい。

シャワールームからはどうしたって水が流れ出る仕様。


たぶん、窓を開けるのですが、網戸ないので虫さんがいっぱい入ってきます。

ドライヤーは壁に備え付けるタイプで可動式の管から温風が勢いよく出るタイプ。持ち手は高温になります。

ヨーロッパクオリティ!

トイレは、多くの場所ではペーパーを水に流せるようでそこは安心。


これもホテル指定できないパック旅行ならでは。

でも、住めば都とはよく言ったもので、滞在3日目には我が部屋のように使いこなせました。

以上、某三ツ星ホテルのレビュー。


朝ごはんがものすごく美味しかったし、食堂の窓から見える中庭の景色も情緒がありました。だからEverything OK!

ラウンジの自販機は2日目からずっと壊れてて「out of service」だったけど。

部屋に冷蔵庫ないから冷たいものが飲めなかったけど。イタリアはそんなの気にしない。

お客様は神様じゃない。


街には運河が毛細血管のように通っているので、徒歩の場合は橋を渡らずしての移動は叶いません。

100を超える小島が400以上の橋で結ばれています。

ローマ広場より本島は、車は進入禁止。もちろん横断歩道もなし。



荷物の運搬は台車。台車は橋の段差の上がり下がりを想定した、高さに違いのある車輪が二つ付いていて、一段ごとにがたんがたんと乗り越える仕組み。

量の多い食料品などは小型のモーター船で運搬されていました。


どこを切り取っても絵になる通りを歩くと、ほぼ例外なく広場に行き当たります。

ヴェネツィアでは広場を「カンポ」と呼び、そこには必ず井戸と教会があります。

カンポは、ヴェネツィア共和国時代から各地区のコミュニティとなっていたそうです。


ヴェネツィア人の像が立っていたり、ヴェネツィア国旗がはためいて居たり時計塔があったり。

滞在中、数えきれないほどの広場で足を止め、その独自性とそれぞれの暮らしに思いを馳せました。



サンマルコ広場

そうして迷路のような路地を30分ほど歩くと、サンマルコ広場に到着しました。



幼少期からずっと来たかった、念願の場所です。

私の異国への憧憬のきっかけであるアンデルセンの『絵のない絵本』の一番好きな第十八夜!

語り手の月が絵描きの青年に物語る「都市の幽霊」だというヴェネツィアの情景に、小学校の図書室の片隅で魅入られたのでした。

当時は時代背景もモチーフもわからず、そもそもどうして都市の幽霊なのか?と不思議に思ったものでした。

ただ、きれいで詩的な文章だなという印象だけで好きだったのでした。

(当時、周りに勧めても「面白さがわからない」と共感は得られませんでした。笑)


アンデルセンがこの本を書いた頃のヴェネツィアは千年続いた共和国としては、すでにナポレオンによって滅ぼされ、フランス支配下にありました。

だからこんなに陰鬱なのかい。と今になってすべて理解。

共和国元首の総督(ドージェ)が、彼を乗せたブチントロという軍船から海に金の指輪を投げ込む、という描写も、キリスト昇天祭の日に本当にあった儀礼を指しています。

海との結婚、というヴェネツィア共和国海上支配を象徴するイベントがあったのです。

「翼のある金の獅子が縛られている」という表現は、ヴェネツィア共和国の運命を指します。

共和国時代の赤地の国旗には、翼のある獅子が描かれているからです。

作中で広場に居るトルコ人ギリシャの少年も、ヴェネツィアが東方交易の影響を強く受けていたことを描写していたんだなと。

景色を見た瞬間、すべてが伏線回収のようで感動しました。


「きみは三方からアーケードに囲まれています。」



「いまきみの眼の前に見えるのは妖精の城ではなくて、教会です。」



月よ、ここまで連れてきてくれてありがとう。


広場では、ヴィヴァルディ「四季」がカフェの楽隊により演奏されていました。

昔、ピアノの発表会で弾いたことがあるので、一番好きなのは『秋』です。

カフェ・フローリアン

現存するヴェネツィア最古のカフェ、フローリアンにて。

イタリアと言えばカプチーノですがコーヒーが飲めないので、名前に「ヴェネツィア」と名のついたアップルルイボスティーとホットサンドを頂きました。



ゲーテやモネ、ワーグナーディケンズニーチェなど、さまざまな偉人がここを訪れたと言います。

豪奢な赤い布張りのソファで生演奏を聴きながら、歴史に酔いしれる夢のような時間は2名で58ユーロ。



夜の灯りのなかのサンマルコ広場も素敵。



日没は18時頃。通りが暗くならないうちにホテルへ帰りました。






今日も最後まで読んでくださりありがとうございました!(^^♪
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今でもヴェネツィア・ロスが続いていて、ヴィヴァルディを聴きながらこの記事を書いています。




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