一時期を除いて総主流派体制が続いた社会民主党でおそらく今後も総主流派が続いても、社民党としては史上初の3名という立候補者が出る選挙戦になりました。かつて地方によっては民主党よりはるかに強固な地方組織を有した社会民主党は、ほぼほぼ組織というものが無くなり、ある意味でフラットな選挙戦です。圧倒的に有利な現党首ですが、実際党員支持率はどのようなものか?現在の社民党の目安になります。
日本社会党の支持率は自社さ政権で暴落したという評価でしたが、当時の世論調査で新進党とほとんど変わらないものでした。ただ圧倒的に政党支持はないという無党派層が増えてしまい社会党の一部に新党構想はありました。国会議員先行で行われた新党構想だったので、社さ新党には多くの社会民主党地方議員は移行しませんでした。さらに伝統的に自民党、日本社会党ともに党籍はあっても会派は政党色を消したがる市町村議員においては、急に新党に移行すると言われてもついていけない人も多かったです。市町村議会で進出するのは組織政党である日本共産党や公明党です。特に自民党は市議会などで自民党を名乗るのを敬遠してきました。この辺りは日本の都道府県議と市町村議のある意味特殊的な事柄ですが、県議と市議はあくまで上下関係ではなく、あくまでも人間関係の問題です。県議会が分裂しても市議会までは及ばないのはそうした理由で、下手をすれば県議と市議で対立するケースは珍しくもないです。話は脱線しました。
社民党はほとんど、もう人間関係だけで政党が成立している状況です。出身労組が民主党支持に移行しても、組織内議員は社民党にとどまるケースは少なくもないですが、現在においてはもう相当数の人が引退しました。15年前に若い地方議員を中心に社会民主党は西欧の社民主義を学びながら、責任政党になるべきという提言を受けたのに、それを無為にしてしまったという思いがあります。私は現在の社民党を結構キツく言っても、私の組合員選挙運動の初は社民党にあるので、それは私なりに思い入れはあります。結局沖縄県連合すら、社民党を見放す事態になってしまい理念も大事、信念も大事、地方と中央の関係においてもそれに勝るものはないと私も思いますが、それでは人間関係を大事にしてきたのか?と言われると現在の社民党は反故にしてきました。人間には色々な意見があり、それを軽視すればたとえ信念が同じでも組織が割れる原因ともなります。どちらか大事という話ではなくどちらも大事なのです。
沖縄2区については非常に残念です。上原康助は小選挙区制になり、沖縄の選挙区に出身地の3区を選びました。革新、保守関係なく沖縄の選挙は地縁と血縁も重要な要素です。だからこそ上原は3区を選びました。本来票田となるのは上原の出身労組である2区です。全駐労沖縄の中心とも言える沖縄2区でほとんど労組と関わりがなかった故照屋寛徳元代議士が勝利し続けたのは、全駐労の維持でした。照屋さんもそうした思いを受け取っていました。だからこそ社民党に怒りを感じる事もあります。人間関係も地域の関係もそれどころか理念も信念もおよそ社会民主主義とは言えない日本の社会民主党には、喝を入れると同時にせめてしっかりと左派の一つの拠点になるべきだと思います。国際労働組合の運動においても「日本は共産党の方がなぜか社会民主的だが、社会民主党の方がタンキーに近い。なぜなのだ」という意見は多いです。
中道改革連合は私にとって言えば、サードウェイよりも右翼寄りの最大限評価してもリベラルホーク、はっきり言えばネオコンの一派かと思えば仮に一時的な連合だとしても、今すぐに一旦白紙にしてしっかりお互い党員の意見を集約してから「衆議院限定版」で成立するなら、それは自由に行えば良いとは思います。民主党や民進党の末期はどうしようもなく右往左往していた政党でしたが付き合った友好団体は、もはやどうあっても一蓮托生とそれなりに覚悟しての希望の党であり、中道改革連合という巻き込まれた中央政局です。これはもっとも労組自体も神津里季生や芳野友子も両者中央しか目に向けていなのですが、矢面に立つのは結局現場なのですよ。現場の責任者にはせめて意見を言う機会ぐらいあっても良いのでは?と思います。私は今は全く現場の責任者どころか周辺居住者ですが、保守派がより右傾化し、それに釣られて左派も右転落、サードウェイよりも右になった世界において、自称現実主義者が主張する「中道リベラル政権」は絶対にできないです。左派として立場を明確にしてから中間派に受け皿を示す事が政治、選挙の基本でしょう。右派というか自民党は一応そうしたことを意識しようとしています。もっとも魚は頭から腐る。自民党は頭から腐敗臭しかしないのですが、惣菜にすればまだ売れるという根拠を示しました。左派、左翼はもっと素材の良さを訴えるべきですよ。自ら腐ることはないです。