中選挙区制から始めて小選挙区比例代表並立制を導入。自民党の場合は現職優先、棲み分けが直ちに行われましたがそれでも選挙区が足りない場合は若手が選挙区優先。いわゆる「コスタリカ式」を導入しました。
対する新進党の場合は比較的都市部を地盤とする現職(これは民社党出身者、公明党出身者が該当します)多かったので、積極的に民社系と公明党出身者は比例代表に回されました。この辺りは都市部で集票していた野党系と中選挙区制の広い選挙区の中比較的、組織化された自民党の方が小選挙区制とは言え棲み分けは難しいものではなかったです。基本的に比例代表に目玉候補はおかず、選挙区から漏れたベテランに偏重した布陣でしたが、この時代は執行部より現職の議員の方が発言権はずっと強いものでした。派閥活動も復活し、旧経世会は、空いた小選挙区に積極的に候補を擁立しました。
新進党の場合は執行部に権限がありました。比例はやや現職優先ながら旧党派のバランスを意識したものでした。また擁立者は自民党より多かったです。小選挙区に出馬する候補者は比例代表との重複立候補を例外を除いて認めず、現職には厳しいものだったと思います。当時結成された社さ新党である民主党は急造だったため現職、新人関わらず差別化はなされていません。これは分裂した社民党も同様で、党執行部の権限自体がそもそも弱体で、議員の生き残りがまず最優先でした。日本共産党の場合は、中央幹部の小選挙区立候補をできるだけ避けて、比例区優先となりました。この辺りは民主集中制の政党による戦略です。初の小選挙区制において共産党もほぼ全選挙区擁立という積極的な候補者擁立を目指しました。
結果として新進党内では公明党系は96%の再選率を誇り、民社党系も70%代を超えました。割を食ったのは自民党離党組や日本新党組で自民党離党組の再選率は67%ほど。日本新党は55%でした。この辺りは自民党出身者や日本新党組が執行部に対する批判を強め、のちに新進党が解体される一つの原因となります。当時の小沢一郎執行部の狙いは創価学会の集票力を背景に小選挙区で背水の陣を引いて多数派を獲得する戦略でしたが、この試みは失敗したという事です。この辺りはあくまでマクロな話であり、ミクロな話になれば政党内権力闘争は「寄り合い所帯」だった新進党は非常に激しいものでした。(続きます)