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片山哲と100年 12月29日note掲載予定

 今年は日本の社会民主主義者の象徴的存在だった片山哲が代議士になって95年の歳月が経ちました。当時の社会民主主義と現在の社会民主主義はかなり変わってしまい、無産政党社会民衆党がの流れをわずかに汲む立憲民主党は「石橋湛山研究会」「田中角栄研究会」などは開きますが、なぜか無産政党日本社会党民社党社会主義者達の事を学ぶのに、消極的どころかゼロに近いです。民主党時代はわずかに浅沼稲次郎江田三郎などについて取り上げる事もありましたが、政権をほとんど獲得する事がなく、獲得しても連立政権でむしろ干される事も多かった社会党は、勉強する気になれないのか分かりません。特に8党連立政権においては、社会党内でも二分されて行ったのだから、結果として連立政権に入ってはいけませんでした。旧無産政党の流れもあの時代からかなり水で割ったものになりました。
 1928年無産階級の代議士が誕生、その数は8名です。
労働農民党
水谷長三郎 京都一区(後に西尾ら右派のメンバーになる。)
山本宣治  京都二区(暗殺後は日本共産党へ入党)                         
社会民衆党                  
安部磯雄  東京二区(日本フェビアン協会創設者、軍部とは距離をとった)         
西尾末広  大阪三区(労働組合出身、戦後民主社会党結党者)
鈴木文治  大阪四区(労働組合出身、総同盟の拠点で活動)        
亀井貫一郎 福岡二区(後に親軍部となり、国家社会主義路線を鮮明に)
日本労農党
河上丈太郎 兵庫一区(中間右派 河上丈太郎グループを形成)       
九州民憲党                   
浅原健三  福岡二区(労働組合出身、親軍部どころか石原莞爾の太ろ懐刀に)
とあるように片山は実は最初の無産政党代議士ではありませんでした。2年後の1930年に当選。無産政党は全国中小零細規模を含めて相当数誕生しましたが、30年になれば社会民衆党、各地の無産政党特に日本労農党を含めて合流させた全国大衆党労働農民党の改組した労農党などが大きな無産政党としての役割を果たし、これらを全て合流させて社会大衆党を結成しました。完全なる寄り合い所帯です。それは後に親軍部と軍部と距離を置くグループと大分裂をするのですが、今回はこの話は本筋ではないので、記録だけにしておきます。
 社会大衆党は麻生久ら親軍部グループが主導権を握り、片山が属していた社会民衆党系は体制翼賛会に入らないメンバーであり、鳩山一郎の同交会という会派を結成。当時のメンバーは後に片山哲内閣の主要メンバーになりましたが、当時はまだこの保革混成会派が将来どうなるか分かりませんでした。
 そして戦後、日本社会党という統一無産政党が誕生すると片山は委員長に就任します。片山よりキャリアがある人も大勢いましたが、社会党は比較第一党でありながらも、少数派。組閣するには保守派にも知己がある片山哲の方が象徴的な意味合いで都合が良いと当時の参謀役である西尾末広は考えていました。当時の日本社会党は、戦前の社会民衆党出身者がしっかり党内を掌握していました。
 さて現在日本には「片山哲研究会」なるものは存在せずこの社会民主主義者として初めて首班となった人の知名度はゼロに近いです。片山内閣では多くの政策が実行されましたが、それでも知名度はなし。ただ日本の社会民主主義の始祖としてここで再発見をしておくことは、日本の社会主義運動の新しい戦略となります。国際政党組織「進歩同盟」は英語版では社会民主主義、民主社会主義進歩主義のインターナショナルとWikipediaでは書かれていますが、日本語版でもそう書かれたのに立憲民主党 の加入が決まるといきなり中道政党と中道リベラルの政党グループと書き換えられました。日本人の保守的なドグマは中々治す事ができないです。2026年は労働組合にとっても節目の年を迎えます。社会民主主義もさらに更新していきましょう。(続)




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