通貨発行権をもつ国ではいくらでも自国通貨を発行して債務を返済できる。インフレにならないように気をつける事ができれば、財政赤字はいくらでも可能。財政赤字を理由として、完全雇用の道を諦めてはならない。基本的にアメリカ民主党の急進左派とある種レッテルを貼られた人たちが最初に主張した現代貨幣理論というものは、そうしたものでした。基本的にインフレを増税によってコントロールする。減税の財源に国債を充てるというものではなく、雇用政策に関して財政難を言い訳にするな!という理論でしたが、これを右翼が都合よく自らの利権のために国債はいくらでも発行しても構わないという主張にすり替えたのだから、本来左派は、財政赤字を克服する新しい再分配理論が必要だったのです。それこそ今でも新自由主義極右が党内に大手を振って歩いている立憲民主党が、新しいエッジとして中道と唱えても、それは極右が嬉々として喜ぶ状態になるだけです。中道という言葉を免罪符にして、各国の左派はどこかしこも皆、ビル・クリントンのように福祉国家論を捨て、資本主義をケインズ的な修正すら撤廃し始めたなら、それは格差社会という極右が養分にできる機会が増えただけです。
国王が国家を支配し、国家権力が国王権力と一体化の時代、債務は国王の権力そのものでした。国王が法であり、いくらでも債務を取り消す事ができた時代において、将来の税収を担保にして債権を発行するシステムを考え出したのは、イギリスでありそれはフランスとの長期の戦争が可能になる魔法の杖でした。植民地の取り合いがエスカレートをし、100年に及ぶ戦争の財源は未来を切り売りする事でした。日本でも戦国時代という血で血を洗う時代には、封建領主がその財源である稲作ができる季節に出兵すれば財政は逼迫し講和をせざるを得ないという一時的とは言え、債務が戦争を終結させる事はありましたが、17世紀のヨーロッパではもはや懐事情を考えなくても、侵略戦争や帝国主義の戦争を起こせるという「国債」という制度を生み出した事はまさしく寡頭政治最たるものです。富裕層が国債を購入し、利率が上がれば上がるほどその富が青天井になり、将来受け取る事ができる社会保障を債券に変えられたその他一般市民は、自らの首を絞めかねない財政赤字について真剣に考える暇もなく、プロパガンダばかりが情報源の世界です。封建体制は、そうした市民の怒りによって一旦は中断されましたが、新しい封建領主が生まれ反動のような財政論が勃興する中で、再び世界中が一部の寡頭政治家達に権力を集中させないために市民は知恵を結集する必要があります。
よく国の借金は国民がしたわけではないので、国民一人当たりの借金額なんて官僚の嘘というようなことを言われますが、少なくともギリシャ危機の際、海外のマスコミはそう見做してくれず財政の破綻が決定的になった国は社会保障の権利も失うという事をこの場で記しておきます。日本の報道でもギリシャ人は怠け者のような報道はされていたし、公務員天国であるという話もプロパガンダのように流布されていました。財政赤字をひた隠しにしていた政権は、野党に転落後数年で息を吹き返し、危機の際政権交代によって全ての財政赤字を公表して、苦闘しながら取り組んできた全ギリシャ社会主義運動は、今や消滅の危機とされる理不尽もここに記しておきたいです。無責任な財政政策で多くのギリシャ人が人生を狂わせたデフォルトの危機を、今や破産間近の旧家から少しでも債務という形で搾り取り、いっときの選挙対策で破滅に導こうとする亡国政権と衛星政党による公債依存減税論は、まさしく封建時代への逆コースであり債務を自身の権力に変えている絶対君主の統治と同じものです。その点で現代貨幣理論はもはや進歩派の経済論ではないです。反動の道具に成り下がってしまいました。大日本帝国が積み増した債務よりも現代の日本の債務の方がはるかに大きいという事実を、ソーシャルメディアの声で覆い隠すなら私達に待ち受けているのは、第二のポツダム宣言です。デフォルトを目指す政権は打倒すべき。もはや戦後ではないという言葉ではなく、戦後は2度と起こしてはならないというのが私達の目標のはずです。
国家の債務は私達の税金を担保にしている部分において、国債は課税の前借りに過ぎないのです。日本は幸いにも、国債保持者が外国法人の割合が低い水準で、金融資産の半分が預貯金という仮に全市民がタンス預金をして、一斉に銀行口座を解約しない限り、急激なデフォルトは阻止できますが日本政府としては投資を推奨している以上、時間の問題です。また総動員のようなタンス預金は起こらないだろうと寡頭政治家達は考えているから、巨額な債務を無視し責任ある積極財政という寝言のような呪文を喋り続けるのです。議会制の政治家が封建領主、もしくはその廷臣のような呪文を一時的に過ぎない民意という言葉を担保にして、将来の税収を叩き売っているのだとしたら、私達はおろか私達の子供や孫世代にも荒廃した戦後を押しつける事にしかならないのです。
パンデミックから急速にデフレ経済が終焉していき、本来労働者が望むべく賃上げとインフレによる物価向上は徐々に行われていきますが、急速すぎて賃上げに追いついていないです。そしてアメリカ経済の減速を理由としてベアに及び腰になっている一部産別の言葉が報道される以上、春闘はタフなものになります。撤退するにはあまりに早い。これではデフレ時代と同じで、急速に景気が萎んでいけば、現在の亡国財政グループは元の緊縮財政家に、はや戻りです。太平洋戦争を引き起こした軍部に一部だけ反省会が行われましたが、多くの軍国主義者は国家を破産させたのに、権力にカムバックした事実を私達は歴史の授業で学んだものであり、その代表格が自らスターリン式の戦争遂行のための計画経済を実行をしながら、戦後はしっかりと首相になった岸信介や自民党の副総裁となり、首相を選ぶというほど冗長した椎名悦三郎らその人でした。戦後労働運動もファシズムの残滓的な部分はありますが、自由民主党はファシズムそのものが再び権力を取り戻す装置であり、すでに冷戦が終結した以上、歴史的な役割を終えましたが旧東側国家のように一党一国の政治体制だった時代と同じく、歴史が変わっても機構は残る。自民党はそういう意味で、もはや賞味期限はとっくに切れているのに、消費期限を改ざんしているので、今度は海外発信の極右政党に引き摺られて第二の敗戦にバンザイ突撃を仕掛けている状態です。まだギリギリですが、止められる。そのためにはそれを止める野党第一党が、中道を言い訳にしてエッジを効かせる事を辞めてはいけないのです。私達は寡頭政治に過ぎなかったプロレタリア独裁を目指しているのではなく、誰もが政治に積極的に参加でき、知恵を集める事ができるプロレタリア民主主義こそが救国の議会制による社会主義革命であり、極右のように暴力をチラつかせるものに民主主義を貪ってほしくは無いです。自民党は保守主義ではなく、もはや単なる抜け殻です。その抜け殻に過ぎないものが戦後の復興神話という王権神授説を流して、無理矢理統治している状況です。抜け殻を打破し、新しい未来を。