労働歌」と言う言葉を辞書で引くと1番目は労働の時に歌われるもの、労作歌があります。これは炭坑節やソーラン節がそれに近いですね。1番目の意味で語られる労働歌は民謡との境界線は曖昧で、単純に労働の際に歌わられるものに近いです。アメリカの工場では単純作業の対策としてロックなどが流れると聞いた事があります。これもまさしく労働歌でしょう。2番目の意味として労働運動や革命運動に謳われた曲として挙げられます。有名なところであれば「晴れた五月」でしょう。この曲は1945年12月に公開された映画「腕を組んで~民主戦線の歌」に幾人かの作曲家に依頼され実際に映画に採用されたのは別のものでしたが、戦後労働運動歌で1番有名な曲です。最近は歌詞がご時世に合わないからか、メーデーなどでも流れる事がめっきり減り、私と同世代の労組役員でも知らない人が多いです。合唱曲のような雰囲気なので個人的には曲調はこれもまた有名な「聞け!万国の労働者」よりも好みですが最近メーデーでもヒットソングが流れる時代です。もちろんそうした事を否定はしませんが、全肯定できるものでもないですね。無難な地協では、「連合歌」がエンドレスで流れている事もあります。
炭坑節も私たちは盆踊りで聞くものが多いですが、その中でも「ゴットン節」と言われる歌詞には当時の児童労働を痛烈に批判したものもあります。この辺りはアメリカの炭鉱労働者の労働歌にも似たような表現があり、産業革命期の無慈悲な時代も思わず考えてしまう事もあります。特にアメリカでは黒人奴隷と労働歌は切っても切れない関係であり、鉄道建設を歌った「Take This Hammer」は、その怪力で多くの仕事をこなした黒人労働者ジョン•ヘンリーが蒸気ドリルの開発で彼の仕事が奪われていくと言う悲劇を歌い上げました。こうした労働歌の研究は大学で行われており、洋の東西を問わず当時の労働者は何を考えていたのか歌から解明しようと言う動きはあります。歌詞の内容が考えさせられるのは「根室女工節」と言う北海道のカニ缶製造に従事した歌ですが、当時の東北の貧困家庭の娘達は体を売るか、北海道でカニ缶女工になるかのほぼ2択に限られていました。当時国家事業でもあったカニ缶製造でしたが現在の根室地方の業者はほとんど廃業し、当時を知る人が極端に減り歌だけが残っている状況です。産業の栄枯盛衰も感じられます。
私はバンバン日本共産党の悪い部分を徹底的に言い上げる事もありますが、共産党の文化活動はそれは高く評価していて、労演やうたごえ運動は後世にも残しておきたいと思っていますが現状ジリ貧な部分もあります。大衆運動を起こすにはもっと大衆文化も取り入れるべきだと思います。根も葉もない陰謀論の方が本物の演劇より刺激がある事が本来あってはならない事ですが、これも栄枯盛衰でしょうか?
労働組合らしい曲をー国鉄労働組合歌
私たちはおれたちは国鉄に生きている。と言う歌詞から始まる国鉄労働組合歌ですが、赤旗を掲げてデモ隊に相応しい歌をという事で公募した結果、この歌詞が採用されました。当時の国鉄は労働組合の非ばかりあげられ、それもまた事実といえば事実ですが、そもそも国鉄は国家事業のために運賃の値上げが国会を通過しないと1円たりともできないと言う制約も大きい会社でした。金属労協などは消費者目線に立って電車の運賃をビタ一文上げないようにと言う提言もするぐらいですから、戦後最強の労働組合にも泣きどころはありました。国労にとっては、指導部も多くのセクトがあり分割•民営化闘争に対して一丸となれない弱点もあり、かつて日本社会党に「国労族」と言う非公式のグループがあったぐらい影響力がありましたが、官公労は第三者を通じて初めて待遇改善を図られる構造になっています。そうした構造の問題、派閥的な部分、国策による犠牲が日本最大と言われた国鉄労働組合の地盤沈下を生みました。ただこうした官公労の組合歌は労働運動とはこうあれ!と言う決意表明をしている曲が多いです。
全逓信労働組合歌はかつて「権利の全逓」と呼ばれるほど、激しい闘争もあった単産ですが「仰げば光 空に満ち はためき靡く 全逓旗 見よその光 その旗に 誓いし勇気 湧く望み 今こそ組まん 我等いざ全逓 全逓 我等が全逓」と言う歌詞が見られるように国鉄労働組合歌と訴えたい部分は同じでしょう。ちなみに全逓は特定郵便局について、悪しき封建制の残滓が残っていると言う事で撤廃運動に熱心でしたが、それが「郵政民営化」に利用され、その民営会社の不祥事が立て続けに起こるたびに政治政策に振り回されてきた人達はもう袋小路のように出口が探せないような状況になっています。全逓と全郵政が統合してそろそろ20年ですが2000年代になっても続いた分裂状態で起きた古傷は今も組織にとって痛むものです。
労働歌に込められた貧困
前述にしたように炭坑節は盆踊りの定番曲の部分が私たちが知っている部分ですが、例えば「ゴットン節」。曲調はしんみりしたもので、歌詞の内容も「七つ八つからカンテラ下げて 坑内下がるも親の罰」と言うような当時の労働状況を端的に表しているものです。炭坑節自体は色々な作業工程を紹介するような歌で「ゴットン節」は採炭作業の事です。ツルハシを炭壁にゴットンと打ち下ろす。それは当時、体の小さな児童が「労働者」として使われたのですが、炭鉱労働は死亡率も高い仕事です。「ヤマの坑夫も人間なら蝶々 トンボも鳥のうち」と言う歌詞はこの歌がかつて「エッタ節」と言われ、公然と坑夫たちは差別されていた歴史があります。黒人労働者が奴隷制を批判的に歌った労働歌は、奇しくも海を超えて日本にもそうしたテーマが同じの労働歌はありました。特に有名な筑豊炭田は多くの出稼ぎ労働者が従事しており、その中では福岡から遠く離れた鹿児島県、与論島出身者が集団移住をし様々な事で差別されました。現在の移民問題を語る上でこの歴史的な事実は決して忘れてはいけないです。仮に日本人ファーストと言う世の中が達成された日には、今度も敵を見つけて差別をし出すと言う事です。排外主義者の愛国主義はそもそもそうした歴史をほとんど踏まえているものではないから、外国勢力のプロパガンダにも引っかかる人が続出するのでしょう。身分や門地、人種で差別するよりも個人の「属性」を愛せよ。と言うのが日本国憲法解釈ですが、そうした議論はほとんどなく9条しか注目されない憲法議論なら、やらない方がいいです。
いずれ部落解放同盟についてもnoteで取り上げたいとは思っていますが、今回はその本筋ではないので、割愛させて頂きます。貧困を歌った労働歌では、大衆の歌として「ヨイトマケの唄」もあげられると思います。例えば炭鉱作業は危険極まりない産業ですが、落盤事故で亭主を亡くし育児のために建設作業に従事する事は当時はありました。「うちの親は炭鉱で死んだから、戦争年金を貰えなかった。子供の頃はなんで戦争で死んでくれなかったのか?と思っていた」と言う言葉が当時の世代から出てくるほど、そもそも未亡人に対する保障はゼロに近く、その子供たちは貧困に喘いでいました。食パン1枚を3人の兄弟で分けて食べたと言う話もあります。「ヨイトマケの唄」は元は炭鉱従業員が集まる場所で歌を披露する事になり、乗り気でなかった美輪さんが満員御礼の光景を見て「自分のチケットを給料から支払って自分の歌を聞きたいとお客さんは来てくれたのに自分はこの人たちに歌える歌がない」と衝撃を受けたのが「ヨイトマケの唄」の創作秘話でした。
新しい労働歌の形
先ほど申しあげた通り労働歌には労働の時に歌われるものと労働運動を歌うもの2種類があって、どちらかと言えば前者の歌の方が皆が知っているものが多いです。どちらにも歌詞には決して言葉の羅列ではない意味があり、そしてその時代背景が必ず隠されているものです。
いつの時代になっても人間は労働をしていきました。その中で歌われる歌はテンポ良いものがあり、一見作業の際に歌われる歌にしか過ぎないと思われがちですが、わざわざ歌になるとと言う事は作詞者の思いがあるのです。また労働組合歌もその初心表明な意味が歌詞に込められていて爽やかでありながら、団結の熱意を感じさせるものばかりです。結果としてどう言う結末に終わったとしても、歌だけが残りその労組が目指したものを知る歴史的一次資料です。歌手の寺尾紗穂さんがアルバム「わたしの好きな労働歌」を発売しました。楽しく、やる気も出る歌詞の中で、どこか物悲しくも感じてしまうのが労働歌の醍醐味と言えるでしょう。
現代の労働歌を作るとしたら、やはり当時の背景がよく分かるものを散りばめておく事は必要になります。人の労働観は様々あり、どれもが否定はできない尊重すべきものですが、そうしたものが歌ではなくSNSというノイズが入ったものばかりになるのは大変残念です。歌だからこそ、団結して、歌だから、皆に広まり、歌だから、文化となったという労働歌の再評価がされると良いと私は思います。