「帰ってきたヒトラー」という映画をご存知でしょうか?フィクションですが、映画の劇中で今ドイツの政党で1番いい政党はどこか?と聞いたら、ヒトラー役は「緑の党」だというシーンがありました。現在環境政党の大半が社会民主主義的で進歩的な政党がほとんどですが、ドイツ緑の党はそもそも保守派が設立した政党でした。元々環境保護という政策は、保守派と革新勢力どちらも与するものではなくドイツではナチスは環境政策に熱心な政党でした。1933年、ナチ政権で樹立した「動物保護法」は1970年代まで法律は残り、改正においても微修正に留まりました。ナチズムという思想は流石に左翼の思想であるという、トンキチな人はSNS上にしかいませんが、ナチの幹部は人間中心ではなく生命を中心に大事にすべきであり、ドイツは動物への偉大な愛情を持つべきであるという主張は当時としては画期的でした。参政党が熊の保護を訴えた時、そうしたナチズムのイデオロギーを思い出しました。それを考えてみると欧州の極右とアメリカの新右翼では多少の違いがあります。
ナチスのイデオロギーには農村や農業に対するものが深く、ヒトラーユーゲントは長期休暇になれば農村で農民の手伝いをしたという記録は多く残っています。またこれはイスラエルの主張する反ユダヤ主義ではなく、ナチズムにおける教義としてユダヤ人排斥のための動物保護でもありました。ユダヤ教の教えには「血を食べてはいけない」という教義があり、動物が生きているうちに一気に切り落とすという方法で屠殺を行っていました。ナチ政権は「それは残酷である」という事で、こうした動物保護をしてきたもので一概に愛護のためにやっているわけではないです。ただ第二次世界大戦が終結し、西ドイツも経済発展を遂げていくなかで、こうした右の環境政党は誕生しつつありました。
設立当初のドイツ緑の党は農民出身者や保守派が中心であり、ドイツ社会民主党など左派陣営がいまいち環境政策と距離をとっていたのは、労組の支援を受けている面もない事もないですがナチスの環境政策を思い起こしていたという事も大きな要因であり当時のドイツの人々にとって、それだけナチズム=環境保護というのも記憶の奥底にあったからです。当初のドイツの原発反対運動も地元の農業、漁民、地主の反発があって、必ずしも左派中心の運動ではありませんでした。ドイツでも自然食運動が80年代に流行りましたが、これはナチズムの「生活改善」という思想が多く関係し、それを支持する人も当然保守層でした。当時の保守的な緑の党に入党していた人の話がありますが、「戦争中は国のために貧しさに耐えていた。何もかも使い捨てになった世の中で節約することが何が悪いのか」というような証言をしています。戦争で物不足に喘いでいたのは日本も同様ですが、ドイツではそれが初期緑の党のイデオロギーでした。
それではこうした保守派中心だった緑の党が、いかにして現在のような政党になったのか?それはやはり68年学生運動世代の影響が大きかったです。当時の学生運動のかなり無謀な運動だったのも確かですが、そのエネルギーは非常に情熱的でした。私もかつて組合の専従になりたての頃にその世代の個性派ぶりには驚いたものです。またそういう機会において自分の体験をブログかnoteで発信したいと思います。ただあまりに熱がありすぎて、保守派の緑の党員は徐々に党内で居場所がなくなり、最終的には追放のような形になってしまい学生運動出身者が党の主導権を握りました。この辺りはペトラ・ケリーやヨシュカ・フィッシャーなどが有名ですね。山本新撰組のローテーション制度はドイツ緑の党を思い出しました。元々はカリスマ的指導者、ペトラ・ケリーがローテーションを拒否してそうした制度は終わったものです。いかにも新撰組にほぼ脱走のように出て行った緑の党関係者が考えそうな事です。世界最大の緑の党の立ち位置が明確になったことで、比較的規模が大きかったスウェーデン緑の党やフィンランド緑の党なども左派市民運動や学生運動の経験者が主流になっていきました。
参政党のオーガニック信仰もたまに見せる環境保護志向もナチズムから来るとまでは言いませんが、ナチスを模倣している部分はあると感じます。イデオロギーが多様化される時代において、本来右も左もない政策も単純化されて彼らは極右ではない、中道であるという主張する人もありますが、そのような右でも左でもない政策は利用されやすいとも思います。こうした右派の運動は、ありとあらゆる目眩しをしてくると考えます。一つ一つに気を取られず、まずは明確なゴールを定めて、そのために短期的な目標を定め終着に近づいていくという方法が1番の近道ですが、情報が早い時代において見失う人も多いです。