2014年の事でした。当時、労組の専従から社業に復帰し、その後会社を異動しそこで非専従の役員を10年する事になった私の話が本題ではありません。専従というものは、意外に不安を抱えている人も多く、「このまま専従のままで、もし仮に労組から会社に戻ったらちゃんと仕事ができるだろうか?」と考え込んでしまう人は割といます。私も多かれ少なかれ、そうした気持ちはありました。私は専従の働き方改革は必要だと思います。ただ以前もこうした事はnoteで記事を掲載したので、今回は割愛します。
当時は名古屋駅周辺で仕事をしていた私は、右翼街宣車や日本共産党の団体の他に聞いた事もない恐らく新左翼系市民団体や当時世間を騒がせていた「在特会」など小競り合いもあり、公私と共に忙しかった時です。当時は既成政党の枠に囚われない参院議員、元俳優である山本太郎は方向性もまだ明確ではなかったでしょう。ただドイツでエネルギー政策を学んだ事をよく演説していたイメージがあります。あの頃私と同じ様に、名駅周辺で山本を見かけた人は「山本太郎は「簡単です」「答えは簡単です」という言葉を多様するが、単純化できない問題を単純にしようとするのは様々なものを切り捨てていないか?」と感想が書かれています。また当時は、それほど編集を意識した台本がなかったのか、演説自体はやや単調、現在の陰謀論の先駆けのような話もありました。曰く「軍産複合体が原発を推進している。」という話は、そういう面もない事もないでしょうが企業がそれを推進するのは利潤が出るから、労組が推進するのは雇用問題に直結する話だから基本的なストーリーで言うと企業は技術革新で、原発より利益率が高いものを生み出せれば、労組は代替雇用を用意すればある程度納得をする話です。ただこれはあくまでスタンダードな部分であり、枝葉の部分を詰めるためには当然様々な調整が必要な事は言うまでもなく、また演説でそういう事を1から説明しても、つまらないだけです。もっとも単純化された山本の演説も面白いとは思わなかったです。
ただその頃のイメージは、環境問題に熱心に取り組む人。原発問題だけでなく、もっと環境問題特化型の議員になれば、ドイツとまでは言いませんが日本の緑の党も一定の橋頭堡を築く事ができた様に思えます。当時、私は何となく興味があり緑の党のサポーターになった事もありました。環境政策は特定のイデオロギーを代表するものではないので、様々な立場の人がいました。追い風吹いていた状況で、現在の歪に変容した緑の党を考えると、「昔は良かった」という懐古的な事は思う事はあります。
この後山本太郎は「新党ひとりひとり」という政治団体を結成します。ほとんどの人は忘れかけているものだと思われますが、当時は岡田哲扶氏という人がいて彼はチャンプルーズのダンサーから参院議員だった喜納昌吉の秘書になり、三宅洋平の選挙を取り仕切りその当時は山本太郎の金庫番でした。どうやら現在も山本太郎周辺にいて新撰組から立候補もしています。あの長い演説から、動画映え一極集中路線に岡田氏が支えている様に思えます。演出家や脚本家が書いた「ヒーロー政治家」を俳優である山本太郎が演じているようにも傍目から見えます。脚本家が多すぎて、筋書きが狂ってしまっている。山本太郎の迷走を見ると、そう感じます。(続)