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自民党、極右派のルーツとその消滅。参政党の先祖なのか?

 「あれはある意味健全なナショナリズム自民党ハト派の重鎮、宮澤喜一が評した言葉です。1973年、「北海のヒグマ」と言われた中川一郎を中心に自民党タカ派の中堅•若手が結成した「青嵐会」というグループがあります。宮澤の発言は当時下火になりつつあったが、散々自民党政権を苦しめた学生運動も立場が違えど反米ナショナリスト運動であると喝破しているので、一つの意見に過ぎない。そう思ったでしょう。「旧鳩山民主党の再来。」「自主憲法を制定を目指す反共集団」と青嵐会は当時日中国交正常化を目指す田中角栄政権にとっては、面倒な党内非主流派でした。 

 菅谷幸浩「青嵐会秘録」でかなり世間取り上げる事が増えた印象もある青嵐会社会主義者として反共集団である社会党右派と違い、保守派からの反共グループを取り上げています。社会党右派は「反共」を取り上げる事で票を伸ばし、むしろ共産党が退潮すると自分達も萎むという弱点があり、後の民主社会党は結局中規模な政党でしか存在し得なかったと私はnoteかTwitterで一度書いていますが、自民党の場合はそのことについては抑制的でも票が取れます。ですが派手なパフォーマンスによって結成された青嵐会はわずか6年で終焉を迎え、残ったグループが中川一郎をリーダーにして小派閥として残留し続けます。元々領袖の中川一郎をはじめとした青嵐会所属議員は農水族が多く、「総合農政」を主張し右派パフォーマンスはあくまで、付随的なものではないか?とも言われます。

 1960年代は高度経済成長の弊害に悩まされていました。特に住宅問題など「社会開発」の分野は急務であり、一部右派から「自民党は一つのイデオロギー集団という性格を忘れてしまった」というような批判があったとされます。一つのイデオロギー集団になれば、それは国民政党の放棄ですが当時河野洋平などハト派グループが12人の議員を連れて離党。保守派の動揺は収まらなかったです。

 当時中川一郎は北海道開発長官開発専門官として辣腕を振るい、そこから政界にスカウトされてから浜田幸一石原慎太郎など政界の暴れん坊たちも自分達より実績ありのランクが上と思っていました。田中角栄首相、大平正芳外相など日中国交正常化自民党の主流になると、賀屋興宣(元A級戦犯)ら重鎮を中心に親台派は自民党内反対派を形成するようになります。それが青嵐会です。清和会10人、中曽根派政科研9人という旧鳩山民主党系で占められ、当選は2回以下、地方選出、そして40代が多いグループでした。清和会と中曽根派がほぼ同数。これが青嵐会が後にうまくいかなくなった要因となります。

 これは当時の様子ですが、陰でコソコソ動く派閥の領袖の有権者の目から不信感しかなかったのですが、「憲法改正、自主防衛をはっきりと打ち出し、彼らが堂々と主張している様は痛快に見えた」という証言があります。現在の参政党に一部通ずるものがあります。しかしそのメンバー構成から見てわかるように、基本的に清和会と中曽根派が多数を占めるグループで、一部の議員は活動に消極的でした。また派閥の命令を受けて参加した人もいます(森喜朗など)そもそもグループ幹部の浜田幸一も親台派でしたが田中派のお目付け役のように参加していました。青嵐会はそもそも反田中角栄の集団でもあるはずですが。

 

 青嵐会に特筆されるのはその政策です。1自由主義国家との連携。2教育正常化3不労所得排除•富の偏在の是正4国防強化5自主憲法制定6妥協的な党運営打破 の6点です。新自由主義が席巻する10年ほど前。青嵐会のメンバーには後の新自由主義改革をはっきりと行なった人もいますが、現在皆様これはどうお考えでしょうか?戦前の青年将校もクーデターを起こす際、おそらくこのような事は発言したと思います。当時冷戦期には国防強化と言いつつも民社党のように対米依存から自立した国防論を唱える野党もあり、自民党民社党との連立を考えなかった最大のハードルでした。そして意外にも国連軍の参加には積極的で、これは小沢一郎民主党に合流した時に、左派である旧社会党グループと最初に擦り合わせた政策です。小沢は青嵐会に参加していませんが、後に青嵐会大幹部の渡辺美智雄を調略し、非自民政権を延命させようとする工作をした事があります。一時的な右翼グループですが、意外にもそうした事から政変は起こります。彼らの憲法観も右派としてかなり現代から考えれば独特なもので、「個人の権利ばかりうたわれ巨大な私有財産の勝手な権利行使には規制がない」「国家元首の規定もなく、反逆の罪もない。忠誠心を問うものもない」この言葉の是非は置いておきましょう。私は憲法は専門家ではないので、何事も一般論になります。当時の情勢において改憲運動は冬の時代で岸信介のような重鎮が金集めしないとまともに集会も開けませんでした。その中で若いぽっと出にも見える青嵐会改憲運動は徐々に人気を博してきました。まさにこの時が青嵐会の全盛期だったのでしょう。

 この後も田中•大平政権に対して青嵐会メンバーは政府の職を辞職したり反対集会に参加するなど元気でした。そして1974年参院選です。史上最大の企業選挙と呼ばれ、自民党では山東昭子日立グループ鳩山威一郎住友グループでした。もっと言えば芙蓉グループは斉藤栄三郎、鹿島建設日本鋼管佐藤信二佐藤栄作の息)でした。山東は今年で遂に議席を失いましたが、かつてに比べると小さくなったとは言え日立グループの応援は続いていました。こうした選挙の中で、自民党は不信。田中政権の弱体化は青嵐会のチャンスでしたが、むしろこうした党内政局を行うことを止めたのは浜田幸一中山正暉でした。これも当時の状況が分からないと難しいですね。自民党総理候補に三木武夫がいましたが、三木は元々協同党出身の資本主義ではないが社会主義ではないというイデオロギーの持ち主で便宜上ではありますが、党内の中でも左派というより異色でした。三木は野党ともパイプがあり場合によっては三木グループを連れて野党と手を組むという報道は当時真偽不明でしたがありました。現在と同じように、田中角栄を下ろした後、青嵐会には誰を推すのか展望がなかったのです。これが派閥の寄り合い所帯最大の弱点でした。独自候補すら派閥の親分にストップされます。

 そもそも青嵐会も野党、民社党とある程度接点もありましたが1975年の東京都知事選挙でハシゴを外されました。石原慎太郎支持を得ていた青嵐会陣営は安心しきっていると民社党は独自候補を擁立。結果として美濃部都政継続となりました。幹部クラスと密に話をしていた三木武夫に比べて、青嵐会はお粗末でした。民社党社会党右派と連携し野党連合政権を目指すグループと自民党を利用して最大限の果実を得る派閥がありましたから。1976年には政府主催憲法記念式典糾弾国民大会では、政府は本来開催自体に反対、主催した青嵐会は「糾弾」の文字を外し了承されますが、一部の青嵐会議員はあえて糾弾の文字を入れて強行。青嵐会大幹部、玉木和郎は「政治というものは跳ね返ってやるものではない」「約束が破られるようじゃ本物ではない。やめなさい!」と言って止めたそうです。玉置とは私の信条と相容れないものですが、彼が言った約束が破られるようじゃ本物ではないという言葉は非常に印象深いです。玉置は党総務でした。血気盛んであとはなんの後始末をする気がない人たちに対して怒りを覚えるのは理解はできます。

 

 こうした青嵐会の本質があらわになると急速に支持を落としていきました。メンバーは所詮バラバラで統一した合意はなかった。これは現在の参政党に当てはめると彼らは一応統一した理論があり、それよりも理論を押しつぶす事がいざとなればできる組織政党である。青嵐会とはその点違いますね。憲法改正を目指していたが、憲法をしっかりと勉強していた人は皆無で改憲派憲法論すらつまみ食いしていた実態が浮かび上がります。当時は政策秘書がいなかったため、改憲するには改憲するための憲法草案は必要でしたが彼らにはなかったのです。そういう細かい事ができる人は不在です。本来政策秘書がその部分を詰めるのですが、日本は以上に安い議員報酬のために政策に資金を投入する事が難しいです。憲法議論の前に多くの課題があります。日本会議が一時期持て囃された理由に彼らは少しは政策の勉強をしていて、曲がりなりにも政策を作り出す事ができたからです。自公も野党も政策は官僚任せ。自分達で作ろうとしない。私は公金でもっと政策を作り出せる機関を作るべきで、これこそ官僚任せではいけないと思っています。例えば労働組合連合総研というシンクタンクを持っていますが、これはあくまで労働行政が中心で本来頑張って何かしろ政党シンクタンク与野党作るべきですが、それを改革するような勢力は皆無です。来た球を打つだけの日本政界。

 

 さて青嵐会は唯一残った中川一郎が失脚からその非業とも言える死までの過程が本当の青嵐会の解体ですが、それは「青嵐会秘録」を読んだ人にお任せしましょう。「青嵐会は結局、角福戦争の落とし子で、最初から中川一郎を領袖に据えていれば変わったのかもしれない。」現在の自民党にもそうした点が見え隠れします。本当にそのトップを推しているのか?結局派閥というか「若頭」の意見に逆らえず腰砕けになるのでは?特に高市系は世論が一変すれば、あっさりと寝返りそうな態度を示している。これは与党だけではないですが。青嵐会は中曽根派の主張と重なる部分がありますが、中曽根政権以降そのほとんどが反故にされました。こうした恩讐が今もどこかに彷徨っていないか非常に危惧するものです。




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